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降臨祭

今日はオレの神、ブルース・リー生誕の日である。
亡くなった年齢をとっくに超え、それでもなお、オレの唯一の神として君臨する現人神。
今年は映画館でブルース・リー映画を観る機会に恵まれ、ブルース・リー映画を映画批評的に語ることもやってみたが、やっぱりファン心理はそれを許してくれず、「出ているだけでOK」という結論に達した。
ちなみにこの日は、ギタリストのジミ・ヘンドリクスも誕生日だ。
11月27日は、魂の人の日なのか?

ここ数年、少年団の子供達にもブルース・リーの教えの一端を叩き込んできたし、名言としてこのプログでも紹介した。
「考えるな、感じろ!」
「水になりなさい。」
「板は反撃しない。」
実に抽象的な「東洋思想」を語ってきた。
今日もここで書き込んでみよう。

少年団の活動の中で、なぜか相手チームの事を気にする傾向がある。
「相手はどこですか?」
「相手は強いですか?」
「前にやって勝ってるチームだ。」
などと枚挙に暇がない。
しかし、相手がどこであろうと、やるべき事は変わらないし、やる事も変わらない。
そもそも、相手に合わせて戦い方を変えられるほど器用じゃないし、そんな高度な実力も無い。
自分達がやってきた事を全力で試すだけ。
これしか出来ないし、これしかやることが無い。
つまりは、敵は相手ではなく自分だという事だ。

「燃えよドラゴン・完全版」の中にこういうシーンがある。
戦いを終え、師匠の元を訪れたブルース・リー。
師匠からの問いを受け、こんなやりとりをしている。

師匠「お前の技量は、肉体のレベルを遥かに越え、もはや精神的レベルに達している。そこでお前の目指す境地について問う。敵と対峙した時、何を思う?」
リー「敵はいない、ということです。」
師匠「それはなぜだ?」
リー「そこに自分が存在しないからです。」
(中略)
リー「例えそこに敵が現れたとしても、私が撃つのでない。この拳そのものが撃つのです。」

これは「無の境地」というものを指しており、「禅」の最高レベルである「領悟(悟り)」と「知行合一」の事である。
つまり「自分を無にし、考えることなく、状況に応じて最適の技を繰り出す事が出来る状態にある」という意味だ。
これは全ての事に通じるものだ。
相手が強いからといって構えることはない。
無の境地で、これまでやってきた事を自然に表現するだけだ。



字幕無しだけど、かつては観る事が出来なかった削除シーンを。
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