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【映画】キリング・フィールド(1984)

監督:ローランド・ジョフィ
出演:サム・ウォーターストン、ハイン・S・ニョール、ジョン・マルコヴィッチ、ジュリアン・サンズ

太平洋戦争終結後、アジア諸国の覇権争いの様相を呈しはじめた二大大国(勢力)による代理戦争、いわゆる「冷戦」と言われた新たな対立の構造は、アジア諸国を混乱と破滅へと導いた。
第一次から第三次まである「インドシナ戦争」という大きなくくりで語られる東南アジア諸国の戦争の発端であった。
1950年には朝鮮半島が南北に分断し、1960年代に入ると東南アジア諸国にまで戦火は広がる。
その最たる例として、ベトナム戦争がある。
国(勢力)の対立だけではなく、イデオロギーの衝突から内戦に発展することも少なくなかった。
二つのイデオロギーのぶつかり合い、そして一方のイデオロギーの敗退が、無関係の国の内乱として、血で血を洗う抗争の火種となる。
前回紹介した「アクト・オブ・キリング」は、インドネシアの動乱を題材にしていたが、ベトナム戦争に関しても扱った映画は数多く存在する。
今回紹介する「キリング・フィールド」は1984年制作の英国映画で、カンボジアの内戦と虐殺を題材にしている。
このカンボジア内戦は、発端であるインドシナ戦争も換算して44年後の1990年にようやく終結する。
ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグの体験に基づく実話を映画化したものである。
カンボジア人助手のディス・プランを演じたハイン・S・ニョールはカンボジア出身の医師で、実際に4年の間、主導者ポル・ポト配下でカンボジアを勢力圏に治めていた共産主義勢力、「クメール・ルージュ」の元で強制労働に就かされた経験を持ち、奇跡的に生き延びた人物である。。
素人であったが、この作品でアカデミー助演男優賞を受賞した。
ちなみに「キリング・フィールド」とは、この時の大量虐殺が行われた刑場跡の俗称で、今ではおびただしい数の人骨が収められた慰霊塔になっている。

アメリカ人ジャーナリストのシドニー・シャンバーグと、現地の新聞記者であり通訳でもあるディス・プラン(カンボジア人)はカンボジア内戦を取材している。
しかし、カンボジア内戦はポル・ポト率いるクメール・ルージュが優勢となり、アメリカ軍が撤退を開始する。
この時、シドニーはプランの一家をアメリカに亡命させようとするが、プランは仕事への使命感から妻子のみをアメリカに逃がし、自分はカンボジアに残ることを決意し、シドニーと共に取材活動を続けていく。
やがて、カンボジアは完全にクメール・ルージュに支配され、シドニーたちはフランス大使館に避難する。
シドニーや他社の記者は、外国人故に帰国により逃れる事が出来るが、カンボジア人であるプランは逃げる事が出来ない。
シドニー達はパスポートを偽造して、プランをアメリカに亡命させようと画策する。
ところが、粗悪な印画紙に焼き付けたために、偽造パスポートの写真の画像が消えてしまい、プランを逃すことに失敗する。
プランはフランス大使館を出ることを余儀なくされ、クメール・ルージュの支配する集団農場へと移送されてしまう。

映画が公開された頃、「政治的で差別的な内容である」、「カンボジア大虐殺の背景や全体状況が全く描かれていない為、カンボジア情勢を誤解させるような曖昧な表現が多い」、「シャンバーグが他のカンボジア人の救出に尽力せずプランの救出のみを考えており差別的」といった批判が出ていた。
また肯定的な意見として、「ポル・ポト政権による殺戮と文明破壊の実態を極めて不十分にしか伝えていない」、「クメール・ルージュについての背景説明がまったく描かれていない」としながらも、「現実伝える努力は、かなりのところまで歴史の真実に迫っている」としている。
しかし個人的に思うことは、これはあくまでも映画であり、シャンバーグとプランの友情物語であるということだ。
確かに、当時のカンボジア情勢というものの説明が不十分であるにしろ、これは歴史を紐解く映画ではない。
体験記を元にしている以上、主観的な物語になるのは当然のことである。
なによりも、生きるか死ぬかの瀬戸際の状況下で、取材記者たちの命懸けの行動や、全体像の見えないまま泥沼化していく内戦の緊張感は描かれている。
「アクト・オブ・キリング」同様、これは罪を断罪する映画ではない。
こういった事が、日常の些細なバランスが崩れることで、いつまた起きないとも限らない。
イデオロギーの暴走は、カンボジアの基幹産業であった農業の根底を破壊しつくし、今でも各地に地雷が埋まったままである。
また、信仰心の厚い国だったものが、最終的には寺院を破壊するまでに荒れ果ててしまった。
指導者であったポル・ポトは、国の政策を批判し続け、国王追放の波に乗って支配者となったが、かつて国費で海外留学していた事に対する矛盾を見抜きうる知識人を極端に恐れ、学歴を持つもの(教師、医師、記者等)を虐殺し始めた。
無垢な子供の心こそ再建の鍵とばかりに、年端も行かぬ子供達を、強制労働に従事する大人達の監視に付け、子供達の裁量により、手が汚れていない、作業が緩慢だという理由で虐殺の対象とされた。
こんな歴史が、つい40年程前にあったのだ。
知らずに生きていくことの幸せもあるが、知ってしまった以上、再びこの歴史を繰り返さないように祈るばかりである。
と言っても、今の瞬間にも内戦によって命が失われているのが現実だ。

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