fc2ブログ

「2001年宇宙の旅」の旅 その4

実に10数年ぶりの東京。
これといって行く用事もなく、2005年にスペインのプロサッカーチーム「バレンシア」が、鹿島と親善試合をするのを国立競技場に観に行ったのが直近。
その前は1993年に東京ドームへ「YMO」のライブを観に行ったくらいかな。

前日に行動シミュレーションは済んでいたので、最短ルートも整理券を受け取った後の行動も計画済み。
いざ東京駅に降り立ち、八重洲南口からダッシュで国立映画アーカイブへ向かう。
嗜んでいるフットサルのおかげで、1km程度の距離をダッシュする事など全く苦にならない。
時刻は09時02分。
やがて最後の交差点に差し掛かり、その先を見て驚愕。
既に200人くらいが長蛇の列を成している。
慌てて最後尾に並ぶと職員らしき方が、「今からお並び頂いても99%入場出来ずにお帰り頂く事になるかも知れませんが、それでもよろしいですか?」と。
・・・絶句。

まさかここまで激しい争奪戦になろうとは・・・。
己の予想の甘さを悔やみつつも、もう後へは引けないので、わずかな可能性を求めて列に並ぶことにしました。
そして10時。
整理券配布が始まりました。

2001-uma-odisséia-no-espaço-1
スポンサーサイト



「2001年宇宙の旅」の旅 その3

数日後、再び御成座のツイッターから情報が。
国立映画アーカイブの公式ツイッターの記事にて、「全12回の上映にて、各回100枚前後の当日券を発売する」とのこと。
一度は完全に諦めていた鑑賞という夢が、再び可能性を帯びてきたのです。
仕事における奴隷制度の様な忙しさが急に鳴りを潜め、週末はまともに土日休みを堪能出来るまでに回復。
まるで憑りつかれたかの様に、急速に東京行の欲求が膨らみ始めたのです。

しかし問題は、当日券購入整理券の入手方法が「先着順」ということ。
選択肢は「始発の新幹線」に限られました。
二戸駅発の新幹線は、始発が7時29分。
東京駅着が10時32分。
東京駅から国立映画アーカイブまで徒歩10分、走れば5分以内。
整理券配布開始時間が11時。
30分前なら何とかなるかもしれない。
金銭的にも予定的にもメドは立ったので、200枚ほどの当日券を求めて冒険をする事に決めました。

念には念を入れよ。
計画を見直すと、盛岡駅発ならもっと早い始発の新幹線があった。
万全を期すため、盛岡6時10分発の始発で行く事にしました。
それならば東京駅着が8時56分。

さて、当日は3時30分起床。
盛岡まで車で1時間20分。
05時15分盛岡駅到着。
新幹線の切符を購入し、改札を抜ける。
新幹線の指定席に着席。
個人的には、着席してからの待ち時間、そして動き出す瞬間が何とも言えない瞬間だと思っている。
定刻、新幹線は東京へ向けて動き出す。
もう後へは引けない。

2001-12.png

「2001年宇宙の旅」の旅 その2

事の発端は、お隣の秋田県にある映画館「御成座」のHPにあるツイッターの記事でした。
しかし場所は東京だし、期間限定・全12回の上映となると、さすがに観に行くという選択肢は現実的ではありませんでした。
しかも、取引先である某・超巨大自動車メーカー関連企業の横暴により、6月下旬から1日たりとも休む事が出来なかったので(バリバリの労基違反)、そもそも予定が立てられない状態。
観たい映画は仕事前、あるいは仕事の後に観に行く有様でした。

それでも、何らかの偶然が重なって、観に行くことが出来るかもしれないという希望を胸に、とりあえず前売り券の購入にチャレンジしてみることにしました。
頼みの綱はネット予約。
いざ予約にチャレンジしたのですが、仕事の合間にコッソリと手続きを目論むも、結局は購入出来ず。
あっという間に完売(一説によると5分で完売したとか)した様で、フィルム上映、しかも70mmシネラマという特別過ぎる上映会への参加は幻となってしまったのでした。

20160804212505.jpg

「2001年宇宙の旅」の旅 その1

東京は銀座・京橋にある国立美術館「国立映画アーカイブ」。
かつては東京国立近代美術館フィルムセンターと呼ばれていました。
まさに映画ファン垂涎の「聖地」ともいえる場所です。

ここで映画史上に名を残す大傑作「2001年宇宙の旅」が上映されるという。
しかもフィルム上映。
さらにそのフィルムはなんと「70mm」。
映画ファンでない人からすれば「それが何か?」と言われるだろうが、とにかく大変なことだ。
通常の映画は35mmフィルムでの撮影が通例。
巨大スクリーンでの上映を前提とした大作においては、高価な70mmフィルムで撮ることがあった。
この「2001年宇宙の旅」は70mmフィルムで撮影され、さらに前後に湾曲したスクリーンに投影する「シネラマ」という規格で、人間の視野とほぼ同等の視野角を実現し、映像の中に包み込まれるような迫力を実現している。
本来の「シネラマ」はもっと違うものからスタートしたものであるが、ここではその説明は割愛。
そしてこの上映が特別な理由は、70mmフィルムを上映出来る設備を有しているのは、日本では国立映画アーカイブだけなのである。
つまり、ここ以外では実際の70mm映画は観る事が出来ないのである。

それを上映する機会。
しかも上映作品が「2001年宇宙の旅」となれば、例え東京会場であったとしても「観たい」という欲求が沸きあがってくるのでした。

unesco2018.jpg

ようやく見えてきた

ようやく・・・ようやく見えてきた出口。
まだ到達していないが、とにかく出口が見えた。
到達するまでにあとどれくらいかかるかわからないが、とにかく出口が見えた。

これまでにも多忙な期間はあったが、これほどすさまじいものは無かった。
今回は夏の暑さも加わって、まさに気が狂う寸前だった。
昨年秋に痛めた膝も回復の見込みが立たず、個人的にフットサルを楽しむ程度なら動けるが、責任を伴う少年団の審判というところでは、無責任に引き受けることが出来ない日々が続いた。
遊びの範疇で怪我が悪化しても、「ごめん、ちょっと代わって」で済むが、審判を引き受けるにはそれでは済まされない。
スポ少の活動から身を引こうと考えた大きな理由はそこにある。
こういったことも鬱々とした感情にはまり込む要因のひとつだった。

ということを書いているうちに、全少も終わってしまった。
結局仕事で観ることすら出来なかったが、報告によれば0-0のPK4-5で惜しくも負けてしまったということだった。
失点はしていないが、得点も出来なかったという悔しさ。
公式記録的には負けていないにもかかわらず、トーナメントの宿命によって勝敗を決めざるを得ず、その争いにて一歩及ばなかった悔しさ。
PK負けの悔しさというものは、時として理不尽で納得出来ないものだ。
厳しいことを言えば、そういう状況に陥る前に勝負を決めることが出来れば何も問題は無かったということなのだろう。
結果論で言えばそういうことなのだが、プレーしている選手達こそが一番悔しい思いをしたはずだ。
その気持ちはこれから先、自分が取り組んでいくことに対する姿勢に影響するものだと思っている。
この経験をプラスにするかマイナスにするかは自分次第だ。
下を向くことは無い。
受け入れて次に進めばいいだけだ。

今回の奴隷的強制労働の日々は、こういうことさえも忘れさせてしまうほどのものだったが、選手達だって頑張ったんだからオレも頑張らなきゃな。
みんな、ホントにお疲れさん。
訪問者数
プロフィール

faccer

Author:faccer
Be Water,My Friend.

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR