たからくん
全編弘前でロケを行った映画「泳ぎすぎた夜」。
この映画に登場する主人公の名前が「たから(鳳羅)」くんなのである。
実際に弘前に住んでいる、撮影当時6歳の男の子だ。
79分とやや短めのこの映画、セリフが一切無い。
説明的なナレーションも無い、映像だけで見せる「映画らしい映画」だ。
それかものすごくポエジー(詩的)で、ストーリーを活字に起こすことが、これほどまでに無意味で無粋な事は無いと思えるほど。
雪に埋もれた弘前の情景と、たから(鳳羅)くんの一挙手一投足で綴られる、小さな小さな大冒険の物語である。
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の台湾映画「冬冬(トントン)の夏休み(1984年)」、あるいはアッバス・キアロスタミ監督のイラン映画「友だちのうちはどこ?(1987年)」に通じる叙情詩で、子供の世界、子供から見た世界というものをよく描いている。
かつてのFCの教え子にも「たから(崇楽)くん」がいたなあ。
今でも交流があり、すでに高校2年生になっていて、相応に生意気になっているが、素直でかわいい奴だ。
また、毎回欠かさずに見ているCS番組「ゲームセンターCX」でも、番組イベントのプランナーに「たから」という名前の人がいた。
いい意味であまり聞かない名前だが、教え子「崇楽」以降、ぽつりぽつりと同名を聞くようになってきた。
ひょっとすると、空前の「たからブーム」が来るかもしれない。
この映画に登場する主人公の名前が「たから(鳳羅)」くんなのである。
実際に弘前に住んでいる、撮影当時6歳の男の子だ。
79分とやや短めのこの映画、セリフが一切無い。
説明的なナレーションも無い、映像だけで見せる「映画らしい映画」だ。
それかものすごくポエジー(詩的)で、ストーリーを活字に起こすことが、これほどまでに無意味で無粋な事は無いと思えるほど。
雪に埋もれた弘前の情景と、たから(鳳羅)くんの一挙手一投足で綴られる、小さな小さな大冒険の物語である。
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の台湾映画「冬冬(トントン)の夏休み(1984年)」、あるいはアッバス・キアロスタミ監督のイラン映画「友だちのうちはどこ?(1987年)」に通じる叙情詩で、子供の世界、子供から見た世界というものをよく描いている。
かつてのFCの教え子にも「たから(崇楽)くん」がいたなあ。
今でも交流があり、すでに高校2年生になっていて、相応に生意気になっているが、素直でかわいい奴だ。
また、毎回欠かさずに見ているCS番組「ゲームセンターCX」でも、番組イベントのプランナーに「たから」という名前の人がいた。
いい意味であまり聞かない名前だが、教え子「崇楽」以降、ぽつりぽつりと同名を聞くようになってきた。
ひょっとすると、空前の「たからブーム」が来るかもしれない。
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第70回岩手県高校総合体育大会 サッカーの部
明日から高総体サッカーが開幕だ。
元FCの教え子たちの大半が進んだ福岡高校は、第1試合で盛岡大付属高校と対戦する。
盛付の実力がどの程度なのかわからないが、初戦突破は期待したいところ。
勝てば盛岡商業とぶつかるとなれば、真剣勝負の場でこれ程の強豪と試合する機会も中々無いと思えれば、是が非でも2回戦に進みたいところだ。
これまでリーグ戦を2試合ほど観てみたが、どうしても横の広がりが今一つだ。
縦への推進力はあるが、横への揺さぶりが少ないために、せっかく縦に切り込んでも相手DFに対応されてしまっている。
2試合ともゴリ押しのゴールが目立った試合だったが、相手の守備を完全に崩してのゴールは意外と少なかった印象だ。
それでも8-0とか11-0とかの大差で勝っている事から、得点力はあるのだろう。
点を取る時間帯にバラツキがあり過ぎるのも気になるし、対戦相手のチーム力から考えても、大手を振って喜べる内容ではなかった。
バックラインでのボール回しは、ある程度の連携が出来ていた。
泰岳が気が利くプレーが出来ているのが大きい。
中盤は技量を持ったメンバーが揃っているのだから、もっとショートパスが回っていいはずだ。
ボールをもらってから判断するプレーが多くて、潰されてしまう傾向が強い。
球離れの遅さも気になるところ。
横の広がりが取れていないため、サイドアタックも効果的とは言えない。
ただし、シュートレンジで体制が整った時の攻撃力は、FCで見ていた頃と変わらぬ強さがあった。
盛大付属戦は、守りの試合にはならないだろうし、なってはいけない。
以下に点を取るかに特化してもいいと思う。
果たしてどうなりますやら。
勇雅や久慈の拓実がいる盛岡中央、竜人や亮弥がいる盛岡市立、賢心が進んだ遠野など、かつてのFCのOB達の動向は気になる。
ひとつでも多くの「いい結果」が聞けることを祈って、残念ながら見に行けないが、精一杯応援するとしよう。
みんな、頑張れよ~。
元FCの教え子たちの大半が進んだ福岡高校は、第1試合で盛岡大付属高校と対戦する。
盛付の実力がどの程度なのかわからないが、初戦突破は期待したいところ。
勝てば盛岡商業とぶつかるとなれば、真剣勝負の場でこれ程の強豪と試合する機会も中々無いと思えれば、是が非でも2回戦に進みたいところだ。
これまでリーグ戦を2試合ほど観てみたが、どうしても横の広がりが今一つだ。
縦への推進力はあるが、横への揺さぶりが少ないために、せっかく縦に切り込んでも相手DFに対応されてしまっている。
2試合ともゴリ押しのゴールが目立った試合だったが、相手の守備を完全に崩してのゴールは意外と少なかった印象だ。
それでも8-0とか11-0とかの大差で勝っている事から、得点力はあるのだろう。
点を取る時間帯にバラツキがあり過ぎるのも気になるし、対戦相手のチーム力から考えても、大手を振って喜べる内容ではなかった。
バックラインでのボール回しは、ある程度の連携が出来ていた。
泰岳が気が利くプレーが出来ているのが大きい。
中盤は技量を持ったメンバーが揃っているのだから、もっとショートパスが回っていいはずだ。
ボールをもらってから判断するプレーが多くて、潰されてしまう傾向が強い。
球離れの遅さも気になるところ。
横の広がりが取れていないため、サイドアタックも効果的とは言えない。
ただし、シュートレンジで体制が整った時の攻撃力は、FCで見ていた頃と変わらぬ強さがあった。
盛大付属戦は、守りの試合にはならないだろうし、なってはいけない。
以下に点を取るかに特化してもいいと思う。
果たしてどうなりますやら。
勇雅や久慈の拓実がいる盛岡中央、竜人や亮弥がいる盛岡市立、賢心が進んだ遠野など、かつてのFCのOB達の動向は気になる。
ひとつでも多くの「いい結果」が聞けることを祈って、残念ながら見に行けないが、精一杯応援するとしよう。
みんな、頑張れよ~。
追悼 西城秀樹
突然届いた訃報。
70年代を代表するアイドルで、新・御三家のひとり、西城秀樹が亡くなった。
二度の脳梗塞を患うも、歌を歌いたいという熱意を秘めて懸命にリハビリに取り組んできた。
つい最近もCS放送で出演番組を観たばかりだった。
言葉に若干の不自由が残ってしまっていたが、復帰を目指して頑張っている姿を見る事が出来た。
その矢先の訃報に、少なからずショックを受けてしまっている。
後続のミュージシャンにも多大な影響を与えており、西城秀樹の歌唱法に影響を受けたと公言する者も少なくない。
80年代中盤以降に登場した、いわゆる「ビート系」と呼ばれるバンドや、ビジュアル系バンドのボーカリストは、間違いなく秀樹の影響を受けている。
近年では「ちびまる子ちゃん」のエンディング「走れ!正直者」や、「ターンAガンダム」の主題歌「ターンAターン」など、アニメソングにも登場している。
「ちびまる子ちゃん」と言えば、まる子の姉・さきこがヒデキの大ファンという設定だった。
アニメでのさきこの声を担当していた故・水谷優子の命日が、奇しくもヒデキの命日と同じというのも恐ろしい偶然である。
歌手でありながら、ステージでのパフォーマンスにも力を入れ、アメリカに勉強しに行った事もあるほどの熱心さ。
秀樹の「熱さ」は歌だけでなく、自身の生き様にも表れていたのだろう。
努力の人だったんだと感じる今日この頃だ。
そんな秀樹の歌と言えば、大概オレと同じ世代ならば、「ヤングマン」か「ギャランドゥ」というところだろうが、兄がいた影響からか、やっぱりオレは特殊な部類で、デビュー直後の歌の印象が強い。
♪君が望むなら(ヒデキ!)、の「情熱の嵐」、デビュー曲の「恋する季節」、♪やめろと言われても、の「激しい恋」、定番の「傷だらけのローラ」、他にも「ブーツを脱いで朝食を」、「若き獅子たち」、「ブーメランストリート」などがある。
だが、オレのセレクトはいつも変化球なので、今回はこれをチョイスした。
「炎/西城秀樹(1978)」
25枚目のシングル曲。
序盤の「静」の歌い出しから、サビの激しい「動」の秀樹節に至るメリハリは、他の曲にはない振り幅がある。
改めてご冥福を。
やっぱりヒデキは熱い!
70年代を代表するアイドルで、新・御三家のひとり、西城秀樹が亡くなった。
二度の脳梗塞を患うも、歌を歌いたいという熱意を秘めて懸命にリハビリに取り組んできた。
つい最近もCS放送で出演番組を観たばかりだった。
言葉に若干の不自由が残ってしまっていたが、復帰を目指して頑張っている姿を見る事が出来た。
その矢先の訃報に、少なからずショックを受けてしまっている。
後続のミュージシャンにも多大な影響を与えており、西城秀樹の歌唱法に影響を受けたと公言する者も少なくない。
80年代中盤以降に登場した、いわゆる「ビート系」と呼ばれるバンドや、ビジュアル系バンドのボーカリストは、間違いなく秀樹の影響を受けている。
近年では「ちびまる子ちゃん」のエンディング「走れ!正直者」や、「ターンAガンダム」の主題歌「ターンAターン」など、アニメソングにも登場している。
「ちびまる子ちゃん」と言えば、まる子の姉・さきこがヒデキの大ファンという設定だった。
アニメでのさきこの声を担当していた故・水谷優子の命日が、奇しくもヒデキの命日と同じというのも恐ろしい偶然である。
歌手でありながら、ステージでのパフォーマンスにも力を入れ、アメリカに勉強しに行った事もあるほどの熱心さ。
秀樹の「熱さ」は歌だけでなく、自身の生き様にも表れていたのだろう。
努力の人だったんだと感じる今日この頃だ。
そんな秀樹の歌と言えば、大概オレと同じ世代ならば、「ヤングマン」か「ギャランドゥ」というところだろうが、兄がいた影響からか、やっぱりオレは特殊な部類で、デビュー直後の歌の印象が強い。
♪君が望むなら(ヒデキ!)、の「情熱の嵐」、デビュー曲の「恋する季節」、♪やめろと言われても、の「激しい恋」、定番の「傷だらけのローラ」、他にも「ブーツを脱いで朝食を」、「若き獅子たち」、「ブーメランストリート」などがある。
だが、オレのセレクトはいつも変化球なので、今回はこれをチョイスした。
「炎/西城秀樹(1978)」
25枚目のシングル曲。
序盤の「静」の歌い出しから、サビの激しい「動」の秀樹節に至るメリハリは、他の曲にはない振り幅がある。
改めてご冥福を。
やっぱりヒデキは熱い!
リーグ戦 道中記
実に久しぶりにFCに帯同した。
と言っても、審判が出来ない状態では、帯同と言うには「看板に偽りあり」ではある。
毎年刊行されている選手名鑑に載せる写真を撮るという大義が無ければ、もはやチームに帯同する意味すらなくなっている事も承知している。
残念だが、スタッフとして活動するのも今年限りだろうなぁ・・・。
ということで、久々の試合観戦となったのだが、結果的には一応「良し」としておけるものだった。
アントスカップのレビューではかなり手厳しく書いたが、今回のリーグ戦では、少なくとも自分から相手の網に掛かりに行くような真似は減った。
わざわざ混雑している所に無理なドリブルで突っ込んで行く事は少なくなったし、スペースを見つけようとする意識は見え始めた。
行われた2試合両方とも勝つ事が出来たのも、自滅が少なくなったからと言えるかも知れない。
しかし、やはり得点力という点では力不足は否めない。
チームの中心となる蓮が勝負所を敏感に察知して、「守備を捨ててでも点を取りに行く時」を見極める必要がありそうだ。
その攻撃が実らなかった場合は、全力で守備に戻らなければならないため、体力的な負担も大きくなるだろう。
当然それは他の選手にも言える事ではあるが、少なくとも、その「攻め時」を見極めて攻撃に参加した連の穴を埋める役割というのも、周りの選手が分担しなければならなくなる。
要するに、誰一人としてサボっている暇はないという事だ。
サボるというと語弊があるかも知れないが、「ちょっとくらい手を抜いてもいいだろう」、「守備に戻らなければならないけど、疲れたから他の選手に任せよう」というような気持ちを持っていては、誰か一人が二倍仕事をしたとしても勝利に辿り着くことは難しいだろう。
その為に6年生は下級生の選手達にどれだけ厳しい態度で臨めるか、下級生はどれだけ自分に厳しく出来るか、といったところが勝敗を分ける要素のひとつだろう。
上手くいかない事をミスした選手のせいにするのではなく、それをフォローした上でミスした選手にどれだけハッパを掛けられるか。
チームとして戦うという事は、どれだけ厳しい覚悟で臨まなければならないかという事を、監督・コーチからではなく、選手達自身で伝えて欲しい。
「やらされている」のではなく「自らやっている」という意識をもっと持って欲しい。
もちろん、負けたら悔しいという気持ちを忘れてはいけないし、勝つ事だけを目的にしてはいけない。
まだまだみんなの意識は、「負けて監督・コーチから怒られるのが嫌だ」という意識に留まっているように思える。
自分達自身の意識の問題として取り組んで欲しい。
そうこうしている間に、早くもセーラーカップがやってくる。
対戦相手は、アルタス、矢巾、水沢SSS、リトルスターズ、花泉。
6チームブロックに入ったので、たくさん試合が出来るぞ。
予選リーグを突破出来るかどうかについては、無責任に予想を立てることは控えておくとしよう。
全ては選手達次第だし、スタッフとしては、その選手達が試合に臨む気持ちを強く持てるように寄り添っていく事しかできない。
個人的には突破して欲しいし、突破する力はあると信じている。
リーグや交流戦で積み重ねてきた事がどこまで通用するのか、強いチームと自分達とでは何が違うのかを肌で感じ取って欲しい。
勝ちを目指すことは当然の事だが、大事なのは、その為に何をしなければならないのかということを自分なりに知ることが大事だ。
チームの帯同というよりも、大会の運営の方での参加になると思うが、常にチームの事は見ているからな。
自分に甘い奴は決して相手には勝てない。
疲れ、痛さ、怖さ、それらを克服する気持ちを持て。
決して自分に甘えるんじゃないぞ。
と言っても、審判が出来ない状態では、帯同と言うには「看板に偽りあり」ではある。
毎年刊行されている選手名鑑に載せる写真を撮るという大義が無ければ、もはやチームに帯同する意味すらなくなっている事も承知している。
残念だが、スタッフとして活動するのも今年限りだろうなぁ・・・。
ということで、久々の試合観戦となったのだが、結果的には一応「良し」としておけるものだった。
アントスカップのレビューではかなり手厳しく書いたが、今回のリーグ戦では、少なくとも自分から相手の網に掛かりに行くような真似は減った。
わざわざ混雑している所に無理なドリブルで突っ込んで行く事は少なくなったし、スペースを見つけようとする意識は見え始めた。
行われた2試合両方とも勝つ事が出来たのも、自滅が少なくなったからと言えるかも知れない。
しかし、やはり得点力という点では力不足は否めない。
チームの中心となる蓮が勝負所を敏感に察知して、「守備を捨ててでも点を取りに行く時」を見極める必要がありそうだ。
その攻撃が実らなかった場合は、全力で守備に戻らなければならないため、体力的な負担も大きくなるだろう。
当然それは他の選手にも言える事ではあるが、少なくとも、その「攻め時」を見極めて攻撃に参加した連の穴を埋める役割というのも、周りの選手が分担しなければならなくなる。
要するに、誰一人としてサボっている暇はないという事だ。
サボるというと語弊があるかも知れないが、「ちょっとくらい手を抜いてもいいだろう」、「守備に戻らなければならないけど、疲れたから他の選手に任せよう」というような気持ちを持っていては、誰か一人が二倍仕事をしたとしても勝利に辿り着くことは難しいだろう。
その為に6年生は下級生の選手達にどれだけ厳しい態度で臨めるか、下級生はどれだけ自分に厳しく出来るか、といったところが勝敗を分ける要素のひとつだろう。
上手くいかない事をミスした選手のせいにするのではなく、それをフォローした上でミスした選手にどれだけハッパを掛けられるか。
チームとして戦うという事は、どれだけ厳しい覚悟で臨まなければならないかという事を、監督・コーチからではなく、選手達自身で伝えて欲しい。
「やらされている」のではなく「自らやっている」という意識をもっと持って欲しい。
もちろん、負けたら悔しいという気持ちを忘れてはいけないし、勝つ事だけを目的にしてはいけない。
まだまだみんなの意識は、「負けて監督・コーチから怒られるのが嫌だ」という意識に留まっているように思える。
自分達自身の意識の問題として取り組んで欲しい。
そうこうしている間に、早くもセーラーカップがやってくる。
対戦相手は、アルタス、矢巾、水沢SSS、リトルスターズ、花泉。
6チームブロックに入ったので、たくさん試合が出来るぞ。
予選リーグを突破出来るかどうかについては、無責任に予想を立てることは控えておくとしよう。
全ては選手達次第だし、スタッフとしては、その選手達が試合に臨む気持ちを強く持てるように寄り添っていく事しかできない。
個人的には突破して欲しいし、突破する力はあると信じている。
リーグや交流戦で積み重ねてきた事がどこまで通用するのか、強いチームと自分達とでは何が違うのかを肌で感じ取って欲しい。
勝ちを目指すことは当然の事だが、大事なのは、その為に何をしなければならないのかということを自分なりに知ることが大事だ。
チームの帯同というよりも、大会の運営の方での参加になると思うが、常にチームの事は見ているからな。
自分に甘い奴は決して相手には勝てない。
疲れ、痛さ、怖さ、それらを克服する気持ちを持て。
決して自分に甘えるんじゃないぞ。
【音楽】チューリップのアップリケ/岡林信康(1969)
自分の多忙を、大層な論点から書いた前回、フォークの神様と称される岡林信康の歌を紹介した。
政治的な抗議と言えるプロテストソングの傑作を立て続けに発表した時期の問題作がこれ。
「チューリップのアップリケ/岡林信康(1969)」
靴職人の父を持つ少女が、極貧生活の中で母親が家を出て行ってしまった悲しみを訴える内容。
この歌は発表直後、放送禁止歌とされてしまう。
靴職人という設定が原因なのだが、そう言われてもピンと来ない人がほとんどだろう。
靴職人、つまり革製品を扱う人が当時置かれていた立場。
これこそが理由なのだが、その理由を掘り下げてみると、「同和問題」というものにぶち当たる。
実に複雑な成り立ちになっているため、「これ」というひとつの回答を出すことが難しいのが同和問題。
端的に言えば、因習文化的差別に関する人権・利権を含む社会問題の事。
古くは日本の身分制度の中の、「エタ」、「非人」と呼ばれる人達に対する扱いなどの問題があり、そういった人たちをまとめて住まわせ、被差別民達の町を形成させていった。
それが後の被差別部落というものを生み、部落出身者は精神的迫害を受け続けていくことになる。
長文になりそうなので、またいずれこの事を掘り下げてみることにする。
改めて強調する必要も無いが、歌詞の中に隠されたテーマに同和問題があったとしても、それそのものを描いたものではなく、あくまでも赤貧にあえぎ、母親が出ていった事への悲しみを歌った歌である。
同和問題は付随的なものに過ぎない。
それが当時は放送禁止歌にされてしまうのだから・・・。
政治的な抗議と言えるプロテストソングの傑作を立て続けに発表した時期の問題作がこれ。
「チューリップのアップリケ/岡林信康(1969)」
靴職人の父を持つ少女が、極貧生活の中で母親が家を出て行ってしまった悲しみを訴える内容。
この歌は発表直後、放送禁止歌とされてしまう。
靴職人という設定が原因なのだが、そう言われてもピンと来ない人がほとんどだろう。
靴職人、つまり革製品を扱う人が当時置かれていた立場。
これこそが理由なのだが、その理由を掘り下げてみると、「同和問題」というものにぶち当たる。
実に複雑な成り立ちになっているため、「これ」というひとつの回答を出すことが難しいのが同和問題。
端的に言えば、因習文化的差別に関する人権・利権を含む社会問題の事。
古くは日本の身分制度の中の、「エタ」、「非人」と呼ばれる人達に対する扱いなどの問題があり、そういった人たちをまとめて住まわせ、被差別民達の町を形成させていった。
それが後の被差別部落というものを生み、部落出身者は精神的迫害を受け続けていくことになる。
長文になりそうなので、またいずれこの事を掘り下げてみることにする。
改めて強調する必要も無いが、歌詞の中に隠されたテーマに同和問題があったとしても、それそのものを描いたものではなく、あくまでも赤貧にあえぎ、母親が出ていった事への悲しみを歌った歌である。
同和問題は付随的なものに過ぎない。
それが当時は放送禁止歌にされてしまうのだから・・・。
【音楽】山谷ブルース/岡林信康(1968)
会社の横暴で、昨年12月から今年4月にかけて、朝8時から夜12時までというシフトを続けさせられてきた。
さすがに精神が参ってしまいそうになったが、ようやくここに来て落ち着きを取り戻し、めでたくGWも人並みに休むことが出来た。
フットサルを続けてなければ、とっくに体力の限界を超えてしまい、倒れていたことだろう。
まあ、これには世界に冠たる超大企業「ト○タ」の系列会社の横暴が全てだったのだが、中小企業がどんなに生産能力限界を超えていることを訴えても、聞く耳なんて持ちゃしねぇ。
上にいる人間どもにゃ、下の事などわかっちゃいねえのさ。
と、昔風の世を妬む言葉を綴ってみたが、こんな状況で思い出した歌があった。
「山谷ブルース/岡林信康(1968)」
フォークの神様と謳われた、岡林信康のデビュー曲。
底辺に暮らす日雇い労働者の独白の形を取った、政治的抗議をテーマにした、いわゆるプロテストソングの代表格。
この歌で語られる山谷とは、現在の東京都台東区・荒川区にあった寄せ場(日雇い労働者の集まる場所で、いわゆるドヤ街)で、ここを住処にする労働者の悲哀を描いた歌である。
1969年の歌ではあるが、歌詞の内容は今現在の事と言ってもいい内容である。
現在は非正規雇用労働者と名を変えているが、その日その日の働き口を求める者もいることから、日雇い労働者と変わりない。
こう書くと炎上の元となりそうではあるが、歌詞の内容は現在の実情でもある。
真面目に働く者が苦労をし、その上で胡坐をかく者がのうのうと私腹を肥やすという図式は、今も昔も変わらない。
しかし、それを悲観したところで何もならないことを、この歌の主人公は知っている。
そんな人たちの心情を歌に出来ていた時代でもある。
今ではすっかりこういう歌は作られないし、世間に向けてメッセージを発信する人も少なくなった。
それが良い事か悪い事かはわからないが、確実に言える事は、こういった働き口で汗をかいて苦労してきた人たちの上に、今の世の中が成り立っているということだ。
そして今もこういうことの積み重ねによって、未来は作られていくのである。
高度経済成長を支えた労働力たる人たちの苦労に比べたら、オレが経験した苦労なんて「苦労」とは呼べないものだろうね。
さすがに精神が参ってしまいそうになったが、ようやくここに来て落ち着きを取り戻し、めでたくGWも人並みに休むことが出来た。
フットサルを続けてなければ、とっくに体力の限界を超えてしまい、倒れていたことだろう。
まあ、これには世界に冠たる超大企業「ト○タ」の系列会社の横暴が全てだったのだが、中小企業がどんなに生産能力限界を超えていることを訴えても、聞く耳なんて持ちゃしねぇ。
上にいる人間どもにゃ、下の事などわかっちゃいねえのさ。
と、昔風の世を妬む言葉を綴ってみたが、こんな状況で思い出した歌があった。
「山谷ブルース/岡林信康(1968)」
フォークの神様と謳われた、岡林信康のデビュー曲。
底辺に暮らす日雇い労働者の独白の形を取った、政治的抗議をテーマにした、いわゆるプロテストソングの代表格。
この歌で語られる山谷とは、現在の東京都台東区・荒川区にあった寄せ場(日雇い労働者の集まる場所で、いわゆるドヤ街)で、ここを住処にする労働者の悲哀を描いた歌である。
1969年の歌ではあるが、歌詞の内容は今現在の事と言ってもいい内容である。
現在は非正規雇用労働者と名を変えているが、その日その日の働き口を求める者もいることから、日雇い労働者と変わりない。
こう書くと炎上の元となりそうではあるが、歌詞の内容は現在の実情でもある。
真面目に働く者が苦労をし、その上で胡坐をかく者がのうのうと私腹を肥やすという図式は、今も昔も変わらない。
しかし、それを悲観したところで何もならないことを、この歌の主人公は知っている。
そんな人たちの心情を歌に出来ていた時代でもある。
今ではすっかりこういう歌は作られないし、世間に向けてメッセージを発信する人も少なくなった。
それが良い事か悪い事かはわからないが、確実に言える事は、こういった働き口で汗をかいて苦労してきた人たちの上に、今の世の中が成り立っているということだ。
そして今もこういうことの積み重ねによって、未来は作られていくのである。
高度経済成長を支えた労働力たる人たちの苦労に比べたら、オレが経験した苦労なんて「苦労」とは呼べないものだろうね。
ようやく落ち着く
ようやく身の回りが落ち着き始め、また下らないブログを書く余裕が少しばかり出てきた。
とにかくスポ少に携わる時間がなくなってきた、というより、スタッフとしての義務を果たせなくなってきてしまっていることから、どうにも顔を出しにくくなったというほうが正しいかも。
去年の秋に壊してしまった膝は、もはや手術以外に快方に持っていくことは困難な状況だ。
そのことを知ってか、周りもあまり当てにしなくなってきている。
実際何も出来ないので、申し訳ないと思いつつも助かっているというのが正直なところ。
怪我の事以外にも、自分自身の指導者としての限界も感じ始めていたところなので、一旦身を引くことを決めている。
それでも、及ばずながら手伝えるところは手伝っていきたい。
ということで、今週末は久しぶりにチームに帯同する。
リーグ戦とカップ戦が週末にある。
前回のアントスカップのときに感じた危惧というものが、どれだけ解消されているのかいないのか。
オレなりの目線で見ていこうと思う。
技術的なことは細かく言うつもりは無い。
一言二言アドバイスしたからといって、劇的に上手くなるなんて事はありえない。
それに、オレは魔法使いではない。
選手達自身が、上達しようという意識と共に行動するのを見守ることしか出来ない。
要するに「やる気」の問題だ。
もちろん結果だけを追求するつもりも無い。
結果なんて、それまでの蓄積によって得られるもの以外の何物でもないからだ。
試合に出るということが、自分の中でどれだけの意識の高さを持って行われていることなのかを自覚するだけで良い。
それが出来るなら、いい加減な気持ちで「試合に出たい」などと発言するはずが無い。
全てはそこでの自分自身の行動に表れる。
あまりくどく言うつもりは無いが、その場での行動を見たうえで接していこうと思っている。
それがオレなりの精一杯の厳しい対応だ。
やるかやらないか。
それが全てだ。
見させてもらうよ。
とにかくスポ少に携わる時間がなくなってきた、というより、スタッフとしての義務を果たせなくなってきてしまっていることから、どうにも顔を出しにくくなったというほうが正しいかも。
去年の秋に壊してしまった膝は、もはや手術以外に快方に持っていくことは困難な状況だ。
そのことを知ってか、周りもあまり当てにしなくなってきている。
実際何も出来ないので、申し訳ないと思いつつも助かっているというのが正直なところ。
怪我の事以外にも、自分自身の指導者としての限界も感じ始めていたところなので、一旦身を引くことを決めている。
それでも、及ばずながら手伝えるところは手伝っていきたい。
ということで、今週末は久しぶりにチームに帯同する。
リーグ戦とカップ戦が週末にある。
前回のアントスカップのときに感じた危惧というものが、どれだけ解消されているのかいないのか。
オレなりの目線で見ていこうと思う。
技術的なことは細かく言うつもりは無い。
一言二言アドバイスしたからといって、劇的に上手くなるなんて事はありえない。
それに、オレは魔法使いではない。
選手達自身が、上達しようという意識と共に行動するのを見守ることしか出来ない。
要するに「やる気」の問題だ。
もちろん結果だけを追求するつもりも無い。
結果なんて、それまでの蓄積によって得られるもの以外の何物でもないからだ。
試合に出るということが、自分の中でどれだけの意識の高さを持って行われていることなのかを自覚するだけで良い。
それが出来るなら、いい加減な気持ちで「試合に出たい」などと発言するはずが無い。
全てはそこでの自分自身の行動に表れる。
あまりくどく言うつもりは無いが、その場での行動を見たうえで接していこうと思っている。
それがオレなりの精一杯の厳しい対応だ。
やるかやらないか。
それが全てだ。
見させてもらうよ。