2018 アントスカップ 観戦記
ついつい忙しさにかまけて、更新が滞っていたなぁ。
いつもの事ではあるけれどね。
とは言っても、新年度も始まり、FCにとっても新シーズンの幕開けとなって、いよいよ活動も本格化してくると同時に、すでにセーラーカップも目前に迫っているという、まさに待ったなしの状況におかれている。
新シーズンに向けての指標ともいえる、恒例のアントスカップに今年も参加させて頂いた。
今回は二日目のみのお邪魔だったのだが、久々の外の感覚に戸惑いは隠しきれなかったように見えた。
試合ごとに様々な展開を見させてもらった。
というよりも、安定感に欠けているといった印象。
新チームも始動したばかりで、まとまっていない部分があるのは致し方ない。
完全に負け試合だったものを、たった一つのきっかけから同点に持ち込んだ試合もあれば、0-2というスコア以上に、内容的に大敗だと思われる試合もあった。
この日一日で感じたことは、「選手達に積極性が見られない」ということだ。
何をどのようにすればいいのかがわからないという状態は、それはそれとして良しとしておこう。
今後の指針になりうることがたくさん隠れているからだ。
ところが、わからないという感覚の中で、ひとりひとりが思ったプレーを体現するのは良いとして、全てが自分勝手なプレーに終始してしまう傾向が強かった。
失敗を恐れずにチャレンジすることは大事なことだが、その失敗を自分で取り返そうという意識が低い。
外から見ているコーチからの指示が出ているにもかかわらず、同じ失敗を繰り返す。
最終的には個人個人がそれぞれの努力を示すことになるのだが、それがチームにとって有意義なものでなければ、チームスポーツとしての意味を持たなくなってしまう。
個の能力は大事だが、ひとりよがりになってはいけない。
自分ひとりでは無理なことを、チームの仲間の助けを借りて相手の壁を越えていくというプロセスが必要になる。
そのためには、味方に対する要求を伝えること、その要求を聞き入れるか、自分で判断して違う道を模索するか、ということの繰り返しなのである。
そのために必要な、チーム内での声のコミュニケーションが圧倒的に足りない。
もはや、普段の練習の時から大声を出す練習が必要なのでは?と思われるほどだ。
試合というステージの上で、大声を出すことが恥ずかしいはずが無い。
声を出せなければチーム内での意思疎通は出来ないし、意思疎通が出来なければチームプレーも出来ない。
ひとりで相手チーム8人を全て手玉に取れるくらいの技量があればそれも可能だろうが、それではチームではない。
コーチに言われた事だけをやっていればいいというものでもないし、試合の中で状況は様々に変化していくので、その場その場での判断を自分がしなければならない。
その状況で、チームメイトに対して声を掛けて叱ったり励ましたりが出来ないと、チームの方向性は一向に定まらないままだ。
特に6年生はもっとチームメイトに声を掛けるべきだろう。
どうしたいのかという意思をしっかりと持ち、言う事を聞かないチームメイトには少しくらい強い口調で伝えても良いだろう。
自分が良い人のままで意見を押し通すことは出来ない。
チームを良くしたいという意思があるならば、少しくらいチームメイトに嫌われる覚悟も必要だ。
チームを引っ張っていくのは監督やコーチではない。
選手達自身なのである。

今回は小言が多くなってしまったが、試合をするということは相手と「戦う」ということであり、そこには一切の甘えは許されない。
相手だって勝ちたいという気持ちを持って向かってくるのだから、こっちもそれなりの覚悟を持たなくては。
これからリーグ戦も入ってくるだろうから、試合が出来る相手がいるということに感謝しながら、試合に向かう気持ちをもっと強く持っていって欲しい。
またしばらくチームに顔を出せないけど、次に行ったときに「お!意識が変わったな。」と思わせてくれることを期待している。

いつもの事ではあるけれどね。
とは言っても、新年度も始まり、FCにとっても新シーズンの幕開けとなって、いよいよ活動も本格化してくると同時に、すでにセーラーカップも目前に迫っているという、まさに待ったなしの状況におかれている。
新シーズンに向けての指標ともいえる、恒例のアントスカップに今年も参加させて頂いた。
今回は二日目のみのお邪魔だったのだが、久々の外の感覚に戸惑いは隠しきれなかったように見えた。
試合ごとに様々な展開を見させてもらった。
というよりも、安定感に欠けているといった印象。
新チームも始動したばかりで、まとまっていない部分があるのは致し方ない。
完全に負け試合だったものを、たった一つのきっかけから同点に持ち込んだ試合もあれば、0-2というスコア以上に、内容的に大敗だと思われる試合もあった。
この日一日で感じたことは、「選手達に積極性が見られない」ということだ。
何をどのようにすればいいのかがわからないという状態は、それはそれとして良しとしておこう。
今後の指針になりうることがたくさん隠れているからだ。
ところが、わからないという感覚の中で、ひとりひとりが思ったプレーを体現するのは良いとして、全てが自分勝手なプレーに終始してしまう傾向が強かった。
失敗を恐れずにチャレンジすることは大事なことだが、その失敗を自分で取り返そうという意識が低い。
外から見ているコーチからの指示が出ているにもかかわらず、同じ失敗を繰り返す。
最終的には個人個人がそれぞれの努力を示すことになるのだが、それがチームにとって有意義なものでなければ、チームスポーツとしての意味を持たなくなってしまう。
個の能力は大事だが、ひとりよがりになってはいけない。
自分ひとりでは無理なことを、チームの仲間の助けを借りて相手の壁を越えていくというプロセスが必要になる。
そのためには、味方に対する要求を伝えること、その要求を聞き入れるか、自分で判断して違う道を模索するか、ということの繰り返しなのである。
そのために必要な、チーム内での声のコミュニケーションが圧倒的に足りない。
もはや、普段の練習の時から大声を出す練習が必要なのでは?と思われるほどだ。
試合というステージの上で、大声を出すことが恥ずかしいはずが無い。
声を出せなければチーム内での意思疎通は出来ないし、意思疎通が出来なければチームプレーも出来ない。
ひとりで相手チーム8人を全て手玉に取れるくらいの技量があればそれも可能だろうが、それではチームではない。
コーチに言われた事だけをやっていればいいというものでもないし、試合の中で状況は様々に変化していくので、その場その場での判断を自分がしなければならない。
その状況で、チームメイトに対して声を掛けて叱ったり励ましたりが出来ないと、チームの方向性は一向に定まらないままだ。
特に6年生はもっとチームメイトに声を掛けるべきだろう。
どうしたいのかという意思をしっかりと持ち、言う事を聞かないチームメイトには少しくらい強い口調で伝えても良いだろう。
自分が良い人のままで意見を押し通すことは出来ない。
チームを良くしたいという意思があるならば、少しくらいチームメイトに嫌われる覚悟も必要だ。
チームを引っ張っていくのは監督やコーチではない。
選手達自身なのである。

今回は小言が多くなってしまったが、試合をするということは相手と「戦う」ということであり、そこには一切の甘えは許されない。
相手だって勝ちたいという気持ちを持って向かってくるのだから、こっちもそれなりの覚悟を持たなくては。
これからリーグ戦も入ってくるだろうから、試合が出来る相手がいるということに感謝しながら、試合に向かう気持ちをもっと強く持っていって欲しい。
またしばらくチームに顔を出せないけど、次に行ったときに「お!意識が変わったな。」と思わせてくれることを期待している。

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2017年度の思い出
さて、ようやく紹介文を書き終えた。
もっと書きたいことがあったのだが、ほどほどにしておかないと、また「からクドイ」文章になってしまうので、あとはこれを読んだ方々が想像と記憶の中から補正して頂ければと思います。
とにかくこの年代、色んなキャラクターがいて、それぞれが個性あふれる面々だった。
それが一つになる瞬間こそが、チームの醍醐味というものなのかも知れない。
思い起こせば色々な思い出があるが、まずは「メンバーの不調の闇」から。
多くのメンバーが怪我や好不調の波に飲まれ、そこからどう脱出するのかに立ち会ってきた。
ここでは一番大きな波に飲まれた感のある巧を例に挙げてみよう。
思い通りにならない、やる事成す事全て裏目、理不尽に叱責を受けるなど、巧にはポジション的な中心メンバーである事のプレッシャーが、一度にのしかかっていた時期があった。
5年生時の葛巻町長杯がそのピークで、スタメンを外された挙句、ケガで大事を取ろうとした行動を「気合いが足りない」という叱咤で、その日の出場を禁止された一幕があった。
ケガは足の親指を擦りむいた程度だったので、オレ自身も「この程度でもう試合に出るのをやめるのか?」と思ったのだが、例えハッタリでも、いつも大口をたたく巧がこの時は強気の発言をする元気も無かった事に違和感を感じていた。
実はこの少し前から、思い通りにボールを蹴る事が出来ない事に悩んでいたそうだ。
特にインステップ・キックに迷いを持っており、蹴る時に注意すべきポイントをアドバイスしながら修正していた最中だった。
ちょうどと言ったら悪いが、足の親指をケガしている事を利用して、「少しでも蹴れるなら、ちょっと一緒に蹴らないか?」と誘ってみた。
乗り気ではなかったようだが、ただ待っているのも暇だと思ったのだろうか、オレの誘いに乗ってきた。
強く蹴る事よりも、足のどこに当てるかを重要視し、力を入れなくても勝手にボールが飛んでいくポイントを探しなさいとアドバイスしながら、約20分くらいぶっ通しで蹴り続けた。
いや、これが復調のきっかけではないと思うのだが、その後の巧は、むやみやたらに強くボールを蹴る事が少なくなり、サイドを駆け上がる太地へのスルーパスや、前線で張る脩蔵へのパス、囲まれた自分をフォローするためにフリーエリアへ走りこんでくる雄大へのパスなど、強弱と方向のコントロールに気を遣うプレーが見え始めた。
周りのフォローが悪くて巧がミスをしているように見える場面も多かったので、チームの方向性とは別に、考え方としてこういう事もあるんだという選択肢を与えるように接してみた。
結果、巧はセントラル・ミッドフィールドのポジションを確固たるものにした。
もちろんすべては巧の努力の結果である。
こういったケースは、巧に限らず他のメンバーにも少なからず同じことが言えた。
何がきっかけで不調のどん底に落ちたり、好調の頂に上り詰めたりするかわからない。
選手達と接していて、改めて思い知った一幕だった。
もうひとつは、6送会の時にもスピーチで話したが、5年生時の県民共済カップでの優勝の一件。
おそらく36℃はあったと思われるむせかえる様な猛暑の中、スタッフが方々に散らばっていたためにオレなんかが任された。
この時はあまりうるさい事は言わず、基本的なポジションを伝え、「何をすべきなのか」という事だけを意識させて、あとは選手達で考えてプレーさせることにした。
この日の実にのびのびとしたプレーは、今でも鮮烈に覚えている。
ひとりが活躍すれば「次はオレも」と発奮し、それでいて決して独りよがりにならず、味方にも点を取らせようという意識も見え、チームとしてよく戦っていた。
猛暑の中にありながら、圧倒的とも言える運動量の多さと試合に対する熱意は、その日の気温を忘れさせてしまうほどだった。
結果は優勝。
様々な賞品をもらったばかりでなく、優勝チームとしてのインタビューも受けた。
そしてそれはテレビ放送され、さらにYouTubeにアップされ、そこで宣言したのチームの目標は、全世界に発信されることとなった。
その時の目標は果たされなかったが、この時帯同出来て本当に良かったと思っている。
翌年の戦いぶりに期待が膨らんだ。
この詳しい内容は以前にブログで書いているので、良かったらそちらも参照されたい。
http://faccer.blog69.fc2.com/blog-entry-818.html
結果、主要大会でも一定の成績を残し、スポット的な交流大会やカップ戦でも優勝している。
メンバーが多いにもかかわらず、2013年度の亮弥世代にも似た、ひとつにまとまっていた学年だったように思える。
しかも「ノリ」のいい面々だった。
だからこそ、テンション次第でものすごいパフォーマンスを見せたり、一人の緊張が全員に伝染するというようなところも見られた。
まさしく「チーム」だった。
その個性が、次のカテゴリーでどのように発揮されていくのかが楽しみである。
中学に上がれば、小学生時代とは全く別のフットボールを要求される事態に、うまく適応していく必要がある。
だか環境が変わろうが、方針が変わろうが、基本的に変わらないことはひとつ。
「楽しむ」ということだ。
苦しむ事もあるだろうが、いつしか様子を見に行きたいと思っているので頑張ってくれよ。
最後に、毎年卒団生に送ってきた同じメッセージで見送ろう。
「ENJOY、FOOTBALL!」

もっと書きたいことがあったのだが、ほどほどにしておかないと、また「からクドイ」文章になってしまうので、あとはこれを読んだ方々が想像と記憶の中から補正して頂ければと思います。
とにかくこの年代、色んなキャラクターがいて、それぞれが個性あふれる面々だった。
それが一つになる瞬間こそが、チームの醍醐味というものなのかも知れない。
思い起こせば色々な思い出があるが、まずは「メンバーの不調の闇」から。
多くのメンバーが怪我や好不調の波に飲まれ、そこからどう脱出するのかに立ち会ってきた。
ここでは一番大きな波に飲まれた感のある巧を例に挙げてみよう。
思い通りにならない、やる事成す事全て裏目、理不尽に叱責を受けるなど、巧にはポジション的な中心メンバーである事のプレッシャーが、一度にのしかかっていた時期があった。
5年生時の葛巻町長杯がそのピークで、スタメンを外された挙句、ケガで大事を取ろうとした行動を「気合いが足りない」という叱咤で、その日の出場を禁止された一幕があった。
ケガは足の親指を擦りむいた程度だったので、オレ自身も「この程度でもう試合に出るのをやめるのか?」と思ったのだが、例えハッタリでも、いつも大口をたたく巧がこの時は強気の発言をする元気も無かった事に違和感を感じていた。
実はこの少し前から、思い通りにボールを蹴る事が出来ない事に悩んでいたそうだ。
特にインステップ・キックに迷いを持っており、蹴る時に注意すべきポイントをアドバイスしながら修正していた最中だった。
ちょうどと言ったら悪いが、足の親指をケガしている事を利用して、「少しでも蹴れるなら、ちょっと一緒に蹴らないか?」と誘ってみた。
乗り気ではなかったようだが、ただ待っているのも暇だと思ったのだろうか、オレの誘いに乗ってきた。
強く蹴る事よりも、足のどこに当てるかを重要視し、力を入れなくても勝手にボールが飛んでいくポイントを探しなさいとアドバイスしながら、約20分くらいぶっ通しで蹴り続けた。
いや、これが復調のきっかけではないと思うのだが、その後の巧は、むやみやたらに強くボールを蹴る事が少なくなり、サイドを駆け上がる太地へのスルーパスや、前線で張る脩蔵へのパス、囲まれた自分をフォローするためにフリーエリアへ走りこんでくる雄大へのパスなど、強弱と方向のコントロールに気を遣うプレーが見え始めた。
周りのフォローが悪くて巧がミスをしているように見える場面も多かったので、チームの方向性とは別に、考え方としてこういう事もあるんだという選択肢を与えるように接してみた。
結果、巧はセントラル・ミッドフィールドのポジションを確固たるものにした。
もちろんすべては巧の努力の結果である。
こういったケースは、巧に限らず他のメンバーにも少なからず同じことが言えた。
何がきっかけで不調のどん底に落ちたり、好調の頂に上り詰めたりするかわからない。
選手達と接していて、改めて思い知った一幕だった。
もうひとつは、6送会の時にもスピーチで話したが、5年生時の県民共済カップでの優勝の一件。
おそらく36℃はあったと思われるむせかえる様な猛暑の中、スタッフが方々に散らばっていたためにオレなんかが任された。
この時はあまりうるさい事は言わず、基本的なポジションを伝え、「何をすべきなのか」という事だけを意識させて、あとは選手達で考えてプレーさせることにした。
この日の実にのびのびとしたプレーは、今でも鮮烈に覚えている。
ひとりが活躍すれば「次はオレも」と発奮し、それでいて決して独りよがりにならず、味方にも点を取らせようという意識も見え、チームとしてよく戦っていた。
猛暑の中にありながら、圧倒的とも言える運動量の多さと試合に対する熱意は、その日の気温を忘れさせてしまうほどだった。
結果は優勝。
様々な賞品をもらったばかりでなく、優勝チームとしてのインタビューも受けた。
そしてそれはテレビ放送され、さらにYouTubeにアップされ、そこで宣言したのチームの目標は、全世界に発信されることとなった。
その時の目標は果たされなかったが、この時帯同出来て本当に良かったと思っている。
翌年の戦いぶりに期待が膨らんだ。
この詳しい内容は以前にブログで書いているので、良かったらそちらも参照されたい。
http://faccer.blog69.fc2.com/blog-entry-818.html
結果、主要大会でも一定の成績を残し、スポット的な交流大会やカップ戦でも優勝している。
メンバーが多いにもかかわらず、2013年度の亮弥世代にも似た、ひとつにまとまっていた学年だったように思える。
しかも「ノリ」のいい面々だった。
だからこそ、テンション次第でものすごいパフォーマンスを見せたり、一人の緊張が全員に伝染するというようなところも見られた。
まさしく「チーム」だった。
その個性が、次のカテゴリーでどのように発揮されていくのかが楽しみである。
中学に上がれば、小学生時代とは全く別のフットボールを要求される事態に、うまく適応していく必要がある。
だか環境が変わろうが、方針が変わろうが、基本的に変わらないことはひとつ。
「楽しむ」ということだ。
苦しむ事もあるだろうが、いつしか様子を見に行きたいと思っているので頑張ってくれよ。
最後に、毎年卒団生に送ってきた同じメッセージで見送ろう。
「ENJOY、FOOTBALL!」
