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【音楽】音楽/Y.M.O.(1983)

今年も暮れようとしている。
大きな波は無かったものの、局所的にメーターが振り切れるほどの試練に晒された一件もあった。
母親の一周忌、浅里の二世誕生、鬱になりそうなほどの年末の仕事のバタバタ感・・・。
聞く人が聞いたら全く問題にもならないような事だったかもしれないが、そんな事でも自分の歴史の1ページになってしまうんだから、自分に降りかかる試練に悲観するのはもったいない。
というか、そんな暇は無い。

今年は例年以上に映画を観たし、ライブにも足を運んだ。
芸術的教養を高める年だった様な気がする。
そんな一年の締めくくりには、やっぱり「Y.M.O.」だな。
来年が穏やかな年でありますように。
自分に関わる全ての人に平安が訪れますように。

それではみなさん、良いお年を。

「音楽/Y.M.O.(1983)」



「ONGAKU/Y.M.O.」
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今日は大瀧詠一の命日

オレの音楽カルチャーに多大なる影響を与えた大瀧詠一が亡くなって、早4年。
ずっと聴いていたので追悼的な懐古主義には陥らなかったものの、また、すでに新作を発表しなくなって久しいものの、これで完全に新作の可能性は無くなった。
そんなオレにも、ついに「ナイアガラの旅」の終焉が近づいた。
とうとう買ってしまったのだ。

「NIAGARA CD BOOK」

大瀧詠一の作品集として発売されたCDボックスだ。
このボックス・セットを買った事によって、世に出回った大瀧詠一の音源のほとんどを所有することになったのである。
単純なことと思われるかもしれないが、「ナイアガラー(大瀧詠一ファンのこと)」にとっては、その事の大きさがわかっていることだろう。
大瀧詠一という人は、自分の過去作品を発売する際、今でこそ当たり前の事の様になっている「リマスター」や「リミックス」を行う人である。
何しろ演奏や歌だけではなく、自身のプロデュースも行い、福生にあった自宅にスタジオを設置し、自らがレコーディング・エンジニアをも務めていた。
権利関係の管理のために、日本のミュージシャンとしては初めて「ナイアガラ・レコード」というプライベート・レーベルを立ち上げている。
そのため、再発に関してのことは全て自分でコントロール出来るので、歌のテイクが違うバージョンに差し替えられていたり、歌詞が一部変わっていたり、フェード・アウトする曲がフェード・アウトしないバージョンになっていたり、ミキシング・エンジニアを外部の人間に任せて、全く趣の違うバージョンに変更していたりと、ひとつとして同じものがないといっていいほど。

社会人になりたての頃、たまたま立ち寄ったレンタルレコード店の閉店セールに当たり、何の気なしにCDを買い集めたのが始まり。
家に帰って聴いてみると、持っているレコードのバージョンとどこかが違うと気付いた。
その後、低価格での再販が行われ、レコードのバージョンが欲しいと、それも買い集めた。
ところがこれも微妙に違っていた。
やがて「20周年記念盤」、「30週年記念盤」、「40周年記念盤」と発売される度に全てを買い、それぞれに収録されるボーナス・トラックによって、正式発売されなかったバージョンや、シングル・レコードのみのバージョンなども手に入ってきた。
今回のCD BOXの購入によって、それでもなお入手できなかった音源や、初盤のオリジナル・アナログ・バージョンが手に入り、世に出回った音源の約95%を入手するに至った。

niagara_cd_book.jpg

ⅠとⅡのセットで(計24枚セットで中古だが)4万円という、久しぶりの趣味的無駄遣いに踏み切ったが、当然の事ながら後悔はこれっぽっちもしていない。
自分が胸を張って「好きだ」といえる趣味にお金を費やす醍醐味だ。
ここまで熱くなれるミュージシャンのファンでいられたことは、幸運としか言い様が無い。
氏の音楽活動の根底にある「趣味趣味音楽」をこれからも追及していこう。

最後に、これまで「無い」とされてきた「夢で逢えたら」の大瀧詠一本人歌唱バージョンを貼り付けておこう。
ご本人の出棺の際に流されたそうである。

【音楽】ブギー・ワンダー・ランド/アースウィンド&ファイアー(1979)

「ブギー・ワンダー・ランド/アースウィンド&ファイアー(1979)」

アースウィンド&ファイアの中でも、最も商業色の強い曲。
12インチシングルまでも発売され、売れに売れたのだが、昔からのファンに言わせれば「らくしない」との声が圧倒的。
やはり産業ロックへの道を進んで行った先に行き着いた場所に思える。
ダンス・ミュージックとしてのリズム・グルーブはさすがだがね。
メイン・ヴォーカルのモーリス・ホワイトもすでに鬼籍に入ってしまったとは・・・。

実家にも昔12インチシングルがあったなぁ。
・・・12インチシングルってのも、今の若者達は知らないのか?



「BOOGIE WONDERLAND/EARTH,WIND & FIRE」

【音楽】レッツ・グルーヴ/アースウィンド&ファイアー(1981)

「レッツ・グルーヴ/アースウィンド&ファイアー(1981)」

ディスコシリーズ、続きます。
やや白人寄りのディスコサウンドに傾倒して批判も受けたものの、不評の波を覆した頃のヒット曲。
元々の魅力であったファンク色は鳴りを潜めたものの、根底にはやはり黒人音楽がある事が感じられる。
ヴォコーダーを使うなど、テクノロジーも取り込み、YMOによって世界的に広がるテクノ・ポップのエッセンスも入り混じっている。
楽曲的にも力が入っているように聞こえるが、のちに商業ロックサウンドへと舵を切り始め、ブラック・ミュージックの息吹は薄れ始めていく。



「LET'S GROOVE/EARTH,WIND & FIRE」

【音楽】ザッツ・ザ・ウェイ/KC&ザ・サンシャイン・バンド(1975)

「ザッツ・ザ・ウェイ/KC&ザ・サンシャイン・バンド」

これも当時のディスコの代名詞的な曲。
しかしながら、のちに白人に迎合した黒人音楽というレッテルを貼られてしまうようになってしまう。
しかもよく聞くと、楽曲的にはすごく単調で面白味がない。
リズムセクションのアンサンブルの強烈さによって、勝手に体が動いてしまいそうなサウンドはさすがというところだが。
余談だが、この年のグラミー賞にノミネートされている。



「THAT'S THE WAY - I LIKE IT-/KC & THE SUNSHINE BAND」

【音楽】ハッスル!/ヴァン・マッコイとスタイリスティックス・オーケストラ(1975)

「ハッスル!/ヴァン・マッコイとスタイリスティックス・オーケストラ(1975)」

こちらはブラック・ミュージックの息吹を残したまま、ディスコサウンドの代表格に登り詰めた曲。
DJが好んで回しそうなサウンドである。
圧倒的なリズム・グルーブは、ディスコという舞台において圧倒的な存在感を放つ。
>いわば70年代のダンス・ミュージックなのである。



「HUSTLE!/VAN MACOY & THE SOUL CITY SYMPHONY」

【音楽】おしゃれフリーク/ザ・シック(1978)

こちらもブラックな息吹に満ちたディスコサウンド。
ディスコのミュージシャンたちには「一発屋」的なグループが多いが、「ザ・シック」のそのひとつ。
ギターのナイル・ロジャースは、その後ダイアナ・ロスやデヴィッド・ボウイのプロデュースで名を馳せ、プロデューサーとしてのほうが著名。

「おしゃれフリーク/ザ・シック(1978)」



これ以降はバンドとしてはさっぱり聞かなくなってしまった。
オレが知らないだけかもしれないが。
しかし、一発でもヒットを飛ばすという事がどれだけ大変かは想像できる。
事実、ディスコをテーマとしたコンピレーション・アルバムには、必ずと言っていいほどこの曲が入っている。

「LE FREAK/THE CHIC」

【音楽】ステイン・アライヴ/ビージーズ(1977)

こちらもビージーズの代表曲のひとつ。
「恋のナイトフィーバー」同様、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の挿入歌である。
こちらはロビン、モーリスの歌声もフィーチャーされている。

「ステイン・アライヴ/ビージーズ(1977)」



この歌、実はドラムスの基本リズムであるバスドラムとスネアドラムのコンビネーションが、1フレーズ分の音をテープでエンドレスにつなぎ合わせたものを使用しているらしい。
何となく機械的なドラムに聞こえるのはそのためではないだろうか。

「STAY'N ALIVE/THE BEE GEES」

【音楽】恋のナイト・フィーヴァー/ビージーズ(1977)

80年代ポップスにハマりきれなかった要因の一つとして、オレの中での「Y.M.O.」の存在があまりにも大きかったことがある。
1983年に「散開」(Y.M.O.の場合は解散ではなく散開と呼んだ)して以降、まるで腑抜けの様になってしまったオレは、これまでに紹介してきた歌がヒットしたにもかかわらず、時代の波から取り残されてしまったのである。
その後に日本の音楽シーンを席巻した、BOOWYやレベッカなどに代表される空前のバンドブームの中のムーブメント「ビート系」と呼ばれる音楽も、一時期BOOWYのコピーバンドをやった事がある程度である。
要するに、レコードを買って聞くようなミュージシャンには新しく出会えなかった、というか、どこかで拒絶していたのかも知れない。
既にオレの音楽カルチャーは、70年代に完成されていた節があり、振り返るという意識がなく、今でも聴いている音楽のほとんどが70年代のものだ。
そこで80年代ポップスもひと段落したので、次は70年代の音楽、とりわけ「ディスコ」という時代を追いかけていってみよう。

「恋のナイト・フィーヴァー/ビージーズ(1977)」

ビージーズの代表作であり、ジョン・トラボルタ主演の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の主題曲である。
オレ的にディスコというとこの曲が浮かぶほど、この独特のリズム・グルーヴは、オレの中の「ディスコのテンプレート」なのである。当時の洋楽には「恋の~・・・」というタイトルが実に多く、この頃の売り手側の熱意というものも、こういった邦題への工夫を見る事によって、その熱量を伺い知る事が出来る。



ビージーズは、長男バリー、次男ロビン、三男モーリスの3人で結成されていた。
実はその下にもう一人、四男アンディがいるが、ビージーズにはサポート的にしかかかわらず、ソロ活動をメインとして活躍した。
ファルセット・ヴォイス(高音、裏声での歌唱法)担当のバリーの歌声は、個人的にはややヒステリックに聞こえてしまうが、ビージーズの代名詞として定着している。
余談だが、「風邪」という意味も持っている「フィーバー」という単語に、ものすごく時代を感じるのはオレだけだろうか?
違和感無くこの単語を使うのは、この時代にディスコ通いをした連中か、パチンコが趣味の人くらいだと思ってしまう。
そもそも「ディスコ」という単語も、もう既に死語に近いんだよね・・・。

「NIGHT FEVER/THE BEE GEES」

【音楽】ユー・ルック・マーヴェラス/ビリー・クリスタル(1985)

80年代ポップスの特集だが、オレの知識も浅すぎるため、早々とネタが尽きることになってしまった。
なので一旦今回で幕を引くことにしよう。

コメディアンや俳優として活躍していたビリー・クリスタルがリリースした曲。
コメディに徹する企画もの的な歌であり、PVの中では様々なキャラクターに扮している。
ただし、音楽的なクオリティは高い。

「ユー・ルック・マーヴェラス/ビリー・クリスタル(1985)」



この1年後、日本では角松敏生が全くといっていいほど同じオーケストレーションで、「テイク・オフ・メロディ」という歌をリリースしている。
角松敏生の歌を先に知っていたオレは、あまりの元ネタっぷりに愕然としたものである。
こちらも貼り付けておくので、聞き比べてみて下さいな。



世間では「パクリ」と呼ぶだろうが、しっかりメロディをのせて音楽的に作られた「テイク・オフ・メロディ」のほうが完成度が高いと思える。
つくづく日本は加工貿易国家なのだと思い知る一件であった。

「YOU LOOK MARVELOUS/BILLY CRYSTAL」
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