【海外ドラマ】大草原の小さな家(1974-1982)
前回「鬼警部アイアンサイド」の話が出たので、少しばかり海外ドラマのネタを。
道徳的観点からも名作と呼ばれているホームドラマがこれだ。
「大草原の小さな家」
NHKで土曜日の夕方に放送されていた記憶がある。
ドラマの登場人物でもあるローラ・インガルス・ワイルダーの原作自叙伝的小説を元に、西部開拓時代の家族の理想像を描いたホームドラマ。
人生訓を教えられるような名エピソードも少なくない。
どうもこの音楽を聴くと、週末感が強く感じられる。
まだ土曜日が「半ドン」だった頃の思い出に溢れている。
「Little House On The Prairie」
道徳的観点からも名作と呼ばれているホームドラマがこれだ。
「大草原の小さな家」
NHKで土曜日の夕方に放送されていた記憶がある。
ドラマの登場人物でもあるローラ・インガルス・ワイルダーの原作自叙伝的小説を元に、西部開拓時代の家族の理想像を描いたホームドラマ。
人生訓を教えられるような名エピソードも少なくない。
どうもこの音楽を聴くと、週末感が強く感じられる。
まだ土曜日が「半ドン」だった頃の思い出に溢れている。
「Little House On The Prairie」
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【音楽】鬼警部アイアンサイド/クインシー・ジョーンズ(1967)
前回の「ソウル・ボサノヴァ」の作曲者、クインシー・ジョーンズ繋がりでもうひとつ。
「愛のコリーダ」でのポップス部門でのヒット後、マイケル・ジャクソンと組んで、プロデューサーとして活躍したのは前回も紹介した通り。
ミュージシャンとしての活躍は、1950年代から1960年代のいわゆる「ジャズ期」がメインとなっており、「ソウル・ボサノヴァ」もその一つだ。
日本国内ではもう一つ知名度の高い曲がある。
「鬼警部アイアンサイド/クインシー・ジョーンズ(1967)」
アメリカNBCネットワークで、8シーズンに渡って放送された刑事ドラマのメインテーマである。
サンフランシスコ市警察の刑事部長ロバート・アイアンサイドは、犯罪者に撃たれた銃弾のために下半身不随となる。
しかし、署長の厚意で嘱託警部の地位と、3人の部下を与えられ、車椅子に乗りながら犯罪に挑むというストーリー。
ハンディキャップを抱えた主人公が活躍するドラマは他にもあるが、実にピンポイントのマニアックな話をすれば、妻の誕生日を祝う花束に仕掛けられていた爆弾により、妻の命と自身の視覚を奪われた保険調査員が、犯人を突き止めるべく執念の捜査を続けるという、無名時代のブルース・リーが準レギュラー扱いで出演した「復讐の鬼探偵ロングストリート」というドラマもある。
そしてこの「鬼警部アイアンサイド」でも、第1シーズンの「殺しのパズル」というエピソードで、やはり無名時代のブルース・リーが空手の師範役として出演している。
ところが日本ではドラマと関係なく、日本テレビで放送されていた深夜情報番組「テレビ三面記事 ウィークエンダー」での使用例が一般的かもしれない。
(最近ではクエンティン・タランティーノ監督の「キル・ビルVol.1」や「ダウンタウンDX」でも使用されている。)
全国ニュースでなかなか伝えられることがないB級事件について、フリップボードや再現フィルムを使って解説していた番組である。
「11PM」と並ぶ深夜番組の看板番組の一つだった。
日本テレビの朝のワイドショー「あなたのワイドショー」のコーナー「テレビ三面記事」を、週末のプライムタイム枠に持ってきて、夜の放送に向いた(男性向き)事件内容にスポットを当てたスピンオフ的な番組。
「新聞によりますと・・・」で始まる事件解説のイントロダクションでこの曲がかかり、インパクトの増大に貢献している。
性犯罪や情欲絡みの殺人事件、少女買春などを扱うことが多かったが、震災や殺人などの凶悪事件も多少放送しており、「グリコ森永事件」や「ロス疑惑」、また当時は原因不明の奇病として世界中で恐れられていたエイズなども報じていた。
その内容のアダルト志向から、日本PTA全国協議会からも“超ワースト番組”(子供たちに見せたくない低俗な番組)の烙印を毎年のように押されていたらしい。
司会の漫画家・加藤芳郎は、当時NHK総合の「連想ゲーム」やニッポン放送のラジオ番組「テレフォン人生相談」のパーソナリティを務めており、そのような番組にこんな低俗番組の司会者が出ることはふさわしくないなどの非難が寄せられたそうである。
だが、こういういわゆる「正論」とも言えるものに糾弾されるものにこそ、世の真理というものが詰まっている事が多い。
こういう事に難癖をつける理想論者は、現実を現実として受け止められない者達なのだろう。
のちに日本で製作されたアニメ「カウボーイ・ビバップ」においては、この曲をモチーフにした音楽が数多く使われている。
音楽的にも素晴らしいので、一度聞いてみると面白いかも。
この「カウボーイ・ビバップ」、もう20年も前のアニメだが、ホントに傑作なので一度観てみる事をお勧めします。
「Ironside/Quincy Jones」
「愛のコリーダ」でのポップス部門でのヒット後、マイケル・ジャクソンと組んで、プロデューサーとして活躍したのは前回も紹介した通り。
ミュージシャンとしての活躍は、1950年代から1960年代のいわゆる「ジャズ期」がメインとなっており、「ソウル・ボサノヴァ」もその一つだ。
日本国内ではもう一つ知名度の高い曲がある。
「鬼警部アイアンサイド/クインシー・ジョーンズ(1967)」
アメリカNBCネットワークで、8シーズンに渡って放送された刑事ドラマのメインテーマである。
サンフランシスコ市警察の刑事部長ロバート・アイアンサイドは、犯罪者に撃たれた銃弾のために下半身不随となる。
しかし、署長の厚意で嘱託警部の地位と、3人の部下を与えられ、車椅子に乗りながら犯罪に挑むというストーリー。
ハンディキャップを抱えた主人公が活躍するドラマは他にもあるが、実にピンポイントのマニアックな話をすれば、妻の誕生日を祝う花束に仕掛けられていた爆弾により、妻の命と自身の視覚を奪われた保険調査員が、犯人を突き止めるべく執念の捜査を続けるという、無名時代のブルース・リーが準レギュラー扱いで出演した「復讐の鬼探偵ロングストリート」というドラマもある。
そしてこの「鬼警部アイアンサイド」でも、第1シーズンの「殺しのパズル」というエピソードで、やはり無名時代のブルース・リーが空手の師範役として出演している。
ところが日本ではドラマと関係なく、日本テレビで放送されていた深夜情報番組「テレビ三面記事 ウィークエンダー」での使用例が一般的かもしれない。
(最近ではクエンティン・タランティーノ監督の「キル・ビルVol.1」や「ダウンタウンDX」でも使用されている。)
全国ニュースでなかなか伝えられることがないB級事件について、フリップボードや再現フィルムを使って解説していた番組である。
「11PM」と並ぶ深夜番組の看板番組の一つだった。
日本テレビの朝のワイドショー「あなたのワイドショー」のコーナー「テレビ三面記事」を、週末のプライムタイム枠に持ってきて、夜の放送に向いた(男性向き)事件内容にスポットを当てたスピンオフ的な番組。
「新聞によりますと・・・」で始まる事件解説のイントロダクションでこの曲がかかり、インパクトの増大に貢献している。
性犯罪や情欲絡みの殺人事件、少女買春などを扱うことが多かったが、震災や殺人などの凶悪事件も多少放送しており、「グリコ森永事件」や「ロス疑惑」、また当時は原因不明の奇病として世界中で恐れられていたエイズなども報じていた。
その内容のアダルト志向から、日本PTA全国協議会からも“超ワースト番組”(子供たちに見せたくない低俗な番組)の烙印を毎年のように押されていたらしい。
司会の漫画家・加藤芳郎は、当時NHK総合の「連想ゲーム」やニッポン放送のラジオ番組「テレフォン人生相談」のパーソナリティを務めており、そのような番組にこんな低俗番組の司会者が出ることはふさわしくないなどの非難が寄せられたそうである。
だが、こういういわゆる「正論」とも言えるものに糾弾されるものにこそ、世の真理というものが詰まっている事が多い。
こういう事に難癖をつける理想論者は、現実を現実として受け止められない者達なのだろう。
のちに日本で製作されたアニメ「カウボーイ・ビバップ」においては、この曲をモチーフにした音楽が数多く使われている。
音楽的にも素晴らしいので、一度聞いてみると面白いかも。
この「カウボーイ・ビバップ」、もう20年も前のアニメだが、ホントに傑作なので一度観てみる事をお勧めします。
「Ironside/Quincy Jones」
【音楽】ソウル・ボサノヴァ/クインシー・ジョーンズ(1962)
前回の「パパはマンボがお好き」と共に、フットボールイベントでよく聴かれる曲がこれ。
「ソウル・ボサノヴァ/クインシー・ジョーンズ(1962)」
シカゴ出身のクインシーは、10歳の頃に転居したワシントン州で、盲目のピアニストの少年レイ・チャールズと出会い、音楽活動を始める。
その後音楽大学を卒業後、アレンジャーとしての才能を見出され、カウント・ベイシー、サラ・ヴォーン、デューク・エリントンなどのスターのアレンジを手がける様になる。
さらにはプロデューサーとしての才能も開花し、フランク・シナトラやマイルス・ディビスのプロデュース、さらには映画音楽でも「夜の大走査線」などを手がけて、一躍時代の寵児となる。
80年代に入ると、ディスコシーンにおいて「愛のコリーダ」をヒットさせる。
そしてアルバム「Off The Wall」でマイケル・ジャクソンとタッグを組み、「Thriller」、「Bad」と立て続けにメガヒットを繰り出す。
さらには、アメリカのスーパースター達が一堂に会した「We Are The World」をヒットさせる。
今回の「ソウル・ボサノヴァ」は、1990年代のクラブシーンにおいて、ファンキーなジャズサウンドの再評価によって再び脚光を浴び、コメディ映画「オースティン・パワーズ」のテーマ曲としても使用された。
あまりフットボールに縁があるように思えないのだが、結構な確率で会場に流れている。
知名度の高さもあるから耳馴染みなのかも知れないね。
「Big Band Bossa Nova/Quincy Jones」
「ソウル・ボサノヴァ/クインシー・ジョーンズ(1962)」
シカゴ出身のクインシーは、10歳の頃に転居したワシントン州で、盲目のピアニストの少年レイ・チャールズと出会い、音楽活動を始める。
その後音楽大学を卒業後、アレンジャーとしての才能を見出され、カウント・ベイシー、サラ・ヴォーン、デューク・エリントンなどのスターのアレンジを手がける様になる。
さらにはプロデューサーとしての才能も開花し、フランク・シナトラやマイルス・ディビスのプロデュース、さらには映画音楽でも「夜の大走査線」などを手がけて、一躍時代の寵児となる。
80年代に入ると、ディスコシーンにおいて「愛のコリーダ」をヒットさせる。
そしてアルバム「Off The Wall」でマイケル・ジャクソンとタッグを組み、「Thriller」、「Bad」と立て続けにメガヒットを繰り出す。
さらには、アメリカのスーパースター達が一堂に会した「We Are The World」をヒットさせる。
今回の「ソウル・ボサノヴァ」は、1990年代のクラブシーンにおいて、ファンキーなジャズサウンドの再評価によって再び脚光を浴び、コメディ映画「オースティン・パワーズ」のテーマ曲としても使用された。
あまりフットボールに縁があるように思えないのだが、結構な確率で会場に流れている。
知名度の高さもあるから耳馴染みなのかも知れないね。
「Big Band Bossa Nova/Quincy Jones」
【音楽】パパはマンボがお好き/ペリー・コモ(1954)
最近参加するフットボールイベントで、会場に響いている音楽がある。
今ではすっかりスタンダードナンバーとなっているものが多いが、タイトルと歌っている人は知らなくても、聞けば「ああ~」と耳馴染みのあるものがこれ。
「パパはマンボがお好き/ペリー・コモ(1954)」
かつて、ブラジルとポルトガル代表のサプライヤーだったナイキのCMで使われていたので、覚えている人も多いだろう。
入場口で審判からボールを受け取ったルイス・フィーゴが、ロナウドに又抜きを仕掛け「Ole」と煽ると、ロベルト・カルロスがボールを奪って「Ole」と応酬する。
やがて会場全体に飛び火し、ピッチにまでなだれ込んでいく。
監督のスコラーリや、イタリアのフランチェスコ・トッティ、元フランス代表エリック・カントナが一般客としてゲスト出演している。
ロナウジーニョ・ガウーショの超絶技巧を目にした直後、審判がスライディングでボールを奪い、「戻れ」と指示。
試合が始まる頃には両チームの選手がボロボロになっているというオチのCMだった。
歌っているペリー・コモは、フランク・シナトラと並ぶエンターテイナーとしてアメリカで人気を誇っている大物歌手。
レコード会社の移籍を繰り返すことでキャリア&ギャラアップをするのが通例のアメリカにおいて、40年も同じレコード会社に所属し続け、マフィアとの交流を嫌い、カジノでの公演をずっと拒み続けてきた。
フランク・シナトラとは異なり、スキャンダルの少ないクリーンな歌手として活躍し続けた人物である。
「パパはマンボがお好き」は、ペレス・プラードの「Mambo No.5」や「Mambo Jumbo」と並んで、マンボのスタンダードとして認知度の高い楽曲である。
今回は歌とCM両方を貼り付けておこう。
「Papa Loves Mambo/Perry Como」
今ではすっかりスタンダードナンバーとなっているものが多いが、タイトルと歌っている人は知らなくても、聞けば「ああ~」と耳馴染みのあるものがこれ。
「パパはマンボがお好き/ペリー・コモ(1954)」
かつて、ブラジルとポルトガル代表のサプライヤーだったナイキのCMで使われていたので、覚えている人も多いだろう。
入場口で審判からボールを受け取ったルイス・フィーゴが、ロナウドに又抜きを仕掛け「Ole」と煽ると、ロベルト・カルロスがボールを奪って「Ole」と応酬する。
やがて会場全体に飛び火し、ピッチにまでなだれ込んでいく。
監督のスコラーリや、イタリアのフランチェスコ・トッティ、元フランス代表エリック・カントナが一般客としてゲスト出演している。
ロナウジーニョ・ガウーショの超絶技巧を目にした直後、審判がスライディングでボールを奪い、「戻れ」と指示。
試合が始まる頃には両チームの選手がボロボロになっているというオチのCMだった。
歌っているペリー・コモは、フランク・シナトラと並ぶエンターテイナーとしてアメリカで人気を誇っている大物歌手。
レコード会社の移籍を繰り返すことでキャリア&ギャラアップをするのが通例のアメリカにおいて、40年も同じレコード会社に所属し続け、マフィアとの交流を嫌い、カジノでの公演をずっと拒み続けてきた。
フランク・シナトラとは異なり、スキャンダルの少ないクリーンな歌手として活躍し続けた人物である。
「パパはマンボがお好き」は、ペレス・プラードの「Mambo No.5」や「Mambo Jumbo」と並んで、マンボのスタンダードとして認知度の高い楽曲である。
今回は歌とCM両方を貼り付けておこう。
「Papa Loves Mambo/Perry Como」
ほぼ主役じゃないか
フットボール女子日本代表を率いて、W杯優勝を成し遂げた佐々木則夫元監督が、軽米にてクリニックを開催してくれた。
二戸FCの子供達も多数参加し、何かを見つけた事だろう。
そんなクリニックの記事を岩手日報で発見。
写っている子供達は、全て二戸FCの子供達ではないか。
どうだ!といわんばかりに。

この子達、この講師が「世界一」に輝いた監督であるということを承知しているのだろうか。
言ってみれば、2014年優勝ドイツのヨアヒム・レーヴ、2010年優勝スペインのビセンテ・デル・ボスケ、2006年優勝イタリアのマルチェロ・ロメオ・リッピ、2002年優勝ブラジルのルイス・フェリペ・スコラーリ、1998年優勝フランスのエメ・ジャケ、1994年優勝ブラジルのカルロス・アウベルト・ゴメスパヘイラ、1990年優勝ドイツのフランツ・アントン・ベッケンバウアー、1986年優勝アルゼンチンのカルロス・ビラルド、1982年優勝イタリアのエンツォ・ベアルツォット、1978年優勝アルゼンチンのセサル・ルイス・メノッティ、1974年優勝ドイツのヘルムート・シェーン、1970年優勝ブラジルのマリオ・ジョルジ・ロボ・ザガロ(以下省略)らと同列の人だということなんだが・・・。
子供達には関係無い事なのかな?
二戸FCの子供達も多数参加し、何かを見つけた事だろう。
そんなクリニックの記事を岩手日報で発見。
写っている子供達は、全て二戸FCの子供達ではないか。
どうだ!といわんばかりに。

この子達、この講師が「世界一」に輝いた監督であるということを承知しているのだろうか。
言ってみれば、2014年優勝ドイツのヨアヒム・レーヴ、2010年優勝スペインのビセンテ・デル・ボスケ、2006年優勝イタリアのマルチェロ・ロメオ・リッピ、2002年優勝ブラジルのルイス・フェリペ・スコラーリ、1998年優勝フランスのエメ・ジャケ、1994年優勝ブラジルのカルロス・アウベルト・ゴメスパヘイラ、1990年優勝ドイツのフランツ・アントン・ベッケンバウアー、1986年優勝アルゼンチンのカルロス・ビラルド、1982年優勝イタリアのエンツォ・ベアルツォット、1978年優勝アルゼンチンのセサル・ルイス・メノッティ、1974年優勝ドイツのヘルムート・シェーン、1970年優勝ブラジルのマリオ・ジョルジ・ロボ・ザガロ(以下省略)らと同列の人だということなんだが・・・。
子供達には関係無い事なのかな?
カール販売終了で思い出した
人生最後のカール
今年5月にもたらされた、「カール、販売終了」のニュース。
「カール」とは、『♪それにつけても、おやつはカール♪』のCMソングでおなじみの、明治製菓が生んだ世紀の大ヒットスナック菓子である。
かつてはコーン系のスナック菓子が一般的で、他にも「ハウス とんがりコーン」や「東鳩 キャラメルコーン」はその代表格。
「うまい棒」もコーン系スナックだ。
だがここ数年、ポテト系スナック菓子に押され、コーン系スナック菓子の縮小が相次いでいた。
「カール」もその余波に飲み込まれ、あの独特のサクサク触感を楽しむ事が出来なくなってしまう。
小さい頃から親しんできたスナック菓子が消えていく無常。
ポテトチップス以前のお菓子としては、「カルビーかっぱあられ(現在のかっぱえびせん)」、「明治カール」といえば2大巨頭だった。
小さい頃の写真に、これらのお菓子を持って写っているものが多数ある。
「うすあじ」、「チーズ」、後に「カレー」も登場するのだが、小さい頃はもっぱら「うすあじ」だった。
近年は「カレー」を主に買う事が多かったのだが、その他にも変わり種が出ると試し買いをしたものだ。
5月に一報が入ると、すぐさまネットでは転売祭りが始まった。
1袋150円~200円はまだ良心的で、5袋で5,000円の出品を見た時は、世も末だとあきれてしまった。
たまたま先月スーパーで売っていたのを発見して購入したのだが、最後のテイスティングだと思うとなかなか封を切る事が出来なかった。
今回ついに意を決し、「生涯最後のカール」を楽しむことにした。
正確には、西日本の一部のみでの販売に縮小されるのだが、「カレー」は絶版となり、「うすあじ」と「チーズ」が地域限定で販売されるにとどまるようだ。
事実上、東日本・北日本ではもう食べる事が出来ない。
山形にある工場での生産も、8月いっぱいで終了することになっているそうだ。
もしかしたらあと一回くらい巡り合えるかもしれないが、恐らくはこれが最後の晩餐だろう。
メーカーも商売なので、利益が見込めないものは切り捨てなければならないのだ。
しばらくは特需に沸く事になるかも知れないが、マーケティングというものの無慈悲さを痛感した出来事だった。
この味は、思い出の中にしまっておこう。
さよなら、カール。

「カール」とは、『♪それにつけても、おやつはカール♪』のCMソングでおなじみの、明治製菓が生んだ世紀の大ヒットスナック菓子である。
かつてはコーン系のスナック菓子が一般的で、他にも「ハウス とんがりコーン」や「東鳩 キャラメルコーン」はその代表格。
「うまい棒」もコーン系スナックだ。
だがここ数年、ポテト系スナック菓子に押され、コーン系スナック菓子の縮小が相次いでいた。
「カール」もその余波に飲み込まれ、あの独特のサクサク触感を楽しむ事が出来なくなってしまう。
小さい頃から親しんできたスナック菓子が消えていく無常。
ポテトチップス以前のお菓子としては、「カルビーかっぱあられ(現在のかっぱえびせん)」、「明治カール」といえば2大巨頭だった。
小さい頃の写真に、これらのお菓子を持って写っているものが多数ある。
「うすあじ」、「チーズ」、後に「カレー」も登場するのだが、小さい頃はもっぱら「うすあじ」だった。
近年は「カレー」を主に買う事が多かったのだが、その他にも変わり種が出ると試し買いをしたものだ。
5月に一報が入ると、すぐさまネットでは転売祭りが始まった。
1袋150円~200円はまだ良心的で、5袋で5,000円の出品を見た時は、世も末だとあきれてしまった。
たまたま先月スーパーで売っていたのを発見して購入したのだが、最後のテイスティングだと思うとなかなか封を切る事が出来なかった。
今回ついに意を決し、「生涯最後のカール」を楽しむことにした。
正確には、西日本の一部のみでの販売に縮小されるのだが、「カレー」は絶版となり、「うすあじ」と「チーズ」が地域限定で販売されるにとどまるようだ。
事実上、東日本・北日本ではもう食べる事が出来ない。
山形にある工場での生産も、8月いっぱいで終了することになっているそうだ。
もしかしたらあと一回くらい巡り合えるかもしれないが、恐らくはこれが最後の晩餐だろう。
メーカーも商売なので、利益が見込めないものは切り捨てなければならないのだ。
しばらくは特需に沸く事になるかも知れないが、マーケティングというものの無慈悲さを痛感した出来事だった。
この味は、思い出の中にしまっておこう。
さよなら、カール。

中総体県大会道中記 身勝手目線編
二戸FCを卒団し、中学校へと進学するにあたって、そのほとんどがサッカー部に入部することから、必然的に福中サッカー部は知った面々が集う事になる。
中学からサッカーを始めたり、転校してきてサッカー部に入るという例もあるのだろうが、この地区でフットサルをやっていると、自然に元FCの子ではない選手達とも面識が出来ていく。
そんな彼らを数年に渡って見守ってきたが、それぞれに感じる事というものがある。
今回はその辺を身勝手に綴っていこう。
あの暑さの中、体力的にもキツかっただろう。
それでも全体的に足が止まる事が少なかったと思っている。
もちろん大船渡一戦は、相手の出足に置き去りにされる場面も目立ったのだが。
走力ではまだ物足りなさがあるものの、全体的には連携の面で強化された印象があった。
ただ、パスを受けようとする選手の呼び込みがまだまだ足りない。
パスが出てから動き出しているようでは、先手を取る事など期待出来ない。
パスを出せる人はいるが、受けられる人が不足している印象だ。
個々に目を向けてみよう。
賢心はやはりこのチームの核であり中心機関である。
打開するのも、ピンチを防ぐのも、賢心がきっかけになる事が多い。
まさに頭一つ抜け出している。
そういえば前回のブログで、先制点に関する賢心の見えざる影響力の事を書き忘れたので、ここで。
賢心と言えばパワーシュートが代名詞になっている所があるのだが、あの場面で強引に蹴り込むのではなく、冷静にGKをかわしてゴールした事に意義がある。
あそこで力技に出てのゴールなら、相手GKも「今のはしょうがない。」という気持ちになる事が多いのだが、自分の動きを見極められてかわされて決められたシュートというのは、「相手が一枚上だ。」という負の感情をもたらす事が多い。
その相手GKに与えた劣等感にも似た感情が、続く聖斗のゴールを生んだと言っても過言ではない。
無意識だったのかも知れないが、あそこはGKをかわして決めた事に大きな意義がある。
断然楽になった先制点の効果は、聖斗に中央でボールを持つ余裕を与えた。
元々視野が広い聖斗は、まだ縦に急ぐ傾向が強いものの、ボールを散らす展開を試行し始めた。
この切り替えの早さはさすがと言える。
奎介と和貴は、後から聞いた話だが「緊張した」との事で、脚にボールが付かない。
特に奎介は、緊張の度合いが足元に出るので、トラップを弾ませたり、ドリブルで忘れ物をしたりと、バタバタ感は最後まで残った。
それでも、思い切りの良さが売りの奎介は、常にゴールを狙う意識は持ち続けていたようだ。
和貴は落ち着きを取り戻し、ボールの安定に努めるプレーに切り替えて対応していた。
ただ、かなり走り回らされて、最後は体力的にもキツくなってしまっていた。
孝哉は相変わらずの汗っかきっぷりで、ひたすらギリギリのところをハードにプレーする姿が見られた。
もう少し予測がつけられるようになって、楽にプレーが出来るようになればいいのだが、それでは孝哉の持ち味が無くなってしまうのかも知れない。
左足の練習は必須だな。
朋季のユーティリティーとしての功績は大きい。
どこでもプレー出来る対応力はさすがだ。
全体的の基礎力を上げることが急務かな。
青は大きなケガの後だったにもかかわらず、動き的には上々だった。
試合勘が戻っていないと感じるところもあったが、試合の中で感覚を戻す事はある程度出来ていたように見えた。
本人的にはずっと慣れ親しんだポジションではない締めくくりを納得出来ているのだろうか。
そのGKというポジションを担ってきた下堀君は、この日はまさに「当たって」いた。
ポジショニングとキャッチングにはまだまだ甘さがあるが、何よりもボールを怖がらず、体ごと防ぎに行く姿勢は大変評価出来る。
課題はポジショニングに必要なステップワークかなぁ。
七碧もセンターバックとしての役割は充分に果たしていたし、大典も守備で充分に貢献していた。
深刻なのは歩夢で、今一つプレーに意図を感じられなかった。
守備も緩いし、攻撃にも転じる事が出来ず、極度のスランプに陥っているかのようだった。
それぞれの面を見てみると、一長一短はあったものの、試合に臨む姿勢は評価出来るものだった。
返す返すも、響希と明里は試合に出しても良かったと思える。
例え他の選手を休ませるという役割であったとしても、それをこなせるだけの準備はしてきたはずなのに・・・。
この辺は新人戦に期待したいところだ。
こうしてまた3年生のシーズンが終わった。
この先につなげていくのか、違う道を選ぶのか、果ては強豪校でのプレーを目指して二戸地区を飛び出していく者もあるかも知れない。
ここ数年で開かれた、盛岡地区への門戸をくぐって行こうとする者も、それなりの覚悟を持っていくに違いない。
どこにいても活躍が聞こえてくるくらいに頑張って欲しいものだ。
その前に、残りの中学生生活を無駄に過ごす事の無いように、な。
ああ、良い2試合だった。
中学からサッカーを始めたり、転校してきてサッカー部に入るという例もあるのだろうが、この地区でフットサルをやっていると、自然に元FCの子ではない選手達とも面識が出来ていく。
そんな彼らを数年に渡って見守ってきたが、それぞれに感じる事というものがある。
今回はその辺を身勝手に綴っていこう。
あの暑さの中、体力的にもキツかっただろう。
それでも全体的に足が止まる事が少なかったと思っている。
もちろん大船渡一戦は、相手の出足に置き去りにされる場面も目立ったのだが。
走力ではまだ物足りなさがあるものの、全体的には連携の面で強化された印象があった。
ただ、パスを受けようとする選手の呼び込みがまだまだ足りない。
パスが出てから動き出しているようでは、先手を取る事など期待出来ない。
パスを出せる人はいるが、受けられる人が不足している印象だ。
個々に目を向けてみよう。
賢心はやはりこのチームの核であり中心機関である。
打開するのも、ピンチを防ぐのも、賢心がきっかけになる事が多い。
まさに頭一つ抜け出している。
そういえば前回のブログで、先制点に関する賢心の見えざる影響力の事を書き忘れたので、ここで。
賢心と言えばパワーシュートが代名詞になっている所があるのだが、あの場面で強引に蹴り込むのではなく、冷静にGKをかわしてゴールした事に意義がある。
あそこで力技に出てのゴールなら、相手GKも「今のはしょうがない。」という気持ちになる事が多いのだが、自分の動きを見極められてかわされて決められたシュートというのは、「相手が一枚上だ。」という負の感情をもたらす事が多い。
その相手GKに与えた劣等感にも似た感情が、続く聖斗のゴールを生んだと言っても過言ではない。
無意識だったのかも知れないが、あそこはGKをかわして決めた事に大きな意義がある。
断然楽になった先制点の効果は、聖斗に中央でボールを持つ余裕を与えた。
元々視野が広い聖斗は、まだ縦に急ぐ傾向が強いものの、ボールを散らす展開を試行し始めた。
この切り替えの早さはさすがと言える。
奎介と和貴は、後から聞いた話だが「緊張した」との事で、脚にボールが付かない。
特に奎介は、緊張の度合いが足元に出るので、トラップを弾ませたり、ドリブルで忘れ物をしたりと、バタバタ感は最後まで残った。
それでも、思い切りの良さが売りの奎介は、常にゴールを狙う意識は持ち続けていたようだ。
和貴は落ち着きを取り戻し、ボールの安定に努めるプレーに切り替えて対応していた。
ただ、かなり走り回らされて、最後は体力的にもキツくなってしまっていた。
孝哉は相変わらずの汗っかきっぷりで、ひたすらギリギリのところをハードにプレーする姿が見られた。
もう少し予測がつけられるようになって、楽にプレーが出来るようになればいいのだが、それでは孝哉の持ち味が無くなってしまうのかも知れない。
左足の練習は必須だな。
朋季のユーティリティーとしての功績は大きい。
どこでもプレー出来る対応力はさすがだ。
全体的の基礎力を上げることが急務かな。
青は大きなケガの後だったにもかかわらず、動き的には上々だった。
試合勘が戻っていないと感じるところもあったが、試合の中で感覚を戻す事はある程度出来ていたように見えた。
本人的にはずっと慣れ親しんだポジションではない締めくくりを納得出来ているのだろうか。
そのGKというポジションを担ってきた下堀君は、この日はまさに「当たって」いた。
ポジショニングとキャッチングにはまだまだ甘さがあるが、何よりもボールを怖がらず、体ごと防ぎに行く姿勢は大変評価出来る。
課題はポジショニングに必要なステップワークかなぁ。
七碧もセンターバックとしての役割は充分に果たしていたし、大典も守備で充分に貢献していた。
深刻なのは歩夢で、今一つプレーに意図を感じられなかった。
守備も緩いし、攻撃にも転じる事が出来ず、極度のスランプに陥っているかのようだった。
それぞれの面を見てみると、一長一短はあったものの、試合に臨む姿勢は評価出来るものだった。
返す返すも、響希と明里は試合に出しても良かったと思える。
例え他の選手を休ませるという役割であったとしても、それをこなせるだけの準備はしてきたはずなのに・・・。
この辺は新人戦に期待したいところだ。
こうしてまた3年生のシーズンが終わった。
この先につなげていくのか、違う道を選ぶのか、果ては強豪校でのプレーを目指して二戸地区を飛び出していく者もあるかも知れない。
ここ数年で開かれた、盛岡地区への門戸をくぐって行こうとする者も、それなりの覚悟を持っていくに違いない。
どこにいても活躍が聞こえてくるくらいに頑張って欲しいものだ。
その前に、残りの中学生生活を無駄に過ごす事の無いように、な。
ああ、良い2試合だった。
「この世界の片隅に」 Blu-ray & DVD 発売決定
ちょっと過ぎてしまったが、8月6日と言えば、1945年に広島に原爆が落とされた日が思い浮かばれる。
近年ではオバマ前大統領が広島を訪問したりと、70年以上経ってようやく両国に歩み寄りにも似た感情が芽生えた。
また、大戦当時の大統領であるトルーマン元大統領の手記から、原爆投下に慎重論を唱えていた事、開発者である科学者連中の科学的検証への興味に対して決定的な抑止力を発揮出来なかった事、これによる原爆投下の正当性発言には実は齟齬が生じていた事などが明らかになってきている。
であるにもかかわらず、日本の国策として、核兵器拡散防止条約に参加しないという、被爆被害者および遺族の気持ちなど全く無視した、暴挙とも言える対応をしている。
兵器としての核の被害を受けた唯一の国であるにもかかわらず、「アメリカの核の傘」に守られているという体裁だけで、核兵器の廃絶に協力しないというのは、来るべき軍国主義の復活と揶揄されてもおかしくない。
政治の駆け引きというものは、それほど簡単なものではないかも知れないが・・・。
小難しい事を書いたが、結局のところ、戦争を期待する者などいないということ。
せいぜい武器商人くらいだろう。
過去の出来事は、その当事者でしか判らない事だらけだろうから、そこで語られた事を後世に伝えるのも、今生きている者の使命なのかもしれない。
この映画はまさにそうだ。
戦争という悲劇を悲劇として描くのではなく、その時代に営まれていた日常を描く事で、日常の大切さと脆さを表している。
出来る事なら映画館で観たい映画だが、パッケージが発売するとなれば買うに決まっている。
そして家で観て泣く事だろう。
今から泣く準備をしておかなくては。
「この世界の片隅に Blu-ray & DVD 9月15日発売」
近年ではオバマ前大統領が広島を訪問したりと、70年以上経ってようやく両国に歩み寄りにも似た感情が芽生えた。
また、大戦当時の大統領であるトルーマン元大統領の手記から、原爆投下に慎重論を唱えていた事、開発者である科学者連中の科学的検証への興味に対して決定的な抑止力を発揮出来なかった事、これによる原爆投下の正当性発言には実は齟齬が生じていた事などが明らかになってきている。
であるにもかかわらず、日本の国策として、核兵器拡散防止条約に参加しないという、被爆被害者および遺族の気持ちなど全く無視した、暴挙とも言える対応をしている。
兵器としての核の被害を受けた唯一の国であるにもかかわらず、「アメリカの核の傘」に守られているという体裁だけで、核兵器の廃絶に協力しないというのは、来るべき軍国主義の復活と揶揄されてもおかしくない。
政治の駆け引きというものは、それほど簡単なものではないかも知れないが・・・。
小難しい事を書いたが、結局のところ、戦争を期待する者などいないということ。
せいぜい武器商人くらいだろう。
過去の出来事は、その当事者でしか判らない事だらけだろうから、そこで語られた事を後世に伝えるのも、今生きている者の使命なのかもしれない。
この映画はまさにそうだ。
戦争という悲劇を悲劇として描くのではなく、その時代に営まれていた日常を描く事で、日常の大切さと脆さを表している。
出来る事なら映画館で観たい映画だが、パッケージが発売するとなれば買うに決まっている。
そして家で観て泣く事だろう。
今から泣く準備をしておかなくては。
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