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バイクへの目覚め

バイクへの興味の発芽を探してみると、1975年から漫画雑誌「少年チャンピオン」に連載されていた、石井いさみの「750(ナナハン)ライダー」が挙げられる。
「HONDA ドリームCB750FOUR」を愛車とする高校生・早川光が主人公の青春群像劇。
当時社会問題視されていた暴走族を取り上げ、バイク乗りが直面する社会的な偏見を、斜に構えた主人公の目線で描かれていたのだが、物語後半は友達の野崎順平やガールフレンドの久美子とのラブコメ漫画へと変貌していった。
その漫画に登場していたホンダのCBがオレのバイクの基礎となった。
のちにバイク乗りの中での「バイクあるある」では、「最初にCBに乗ったら、他のマシンには乗れない」という逸話まで登場するほど、乗り手を選ばないニュートラルなバイクなのである。
初心者向けとして最適ではあるものの、そのバランスの良さは一度味わったら抜け出せないという、皮肉交じりの不文律であり、それほどにCBは日本のバイク史上に名を残す名車なのである。

CBと双璧のバイクとして、「Kawasaki Z1(通称:ゼット・ワン)」が挙げられる。
このゼット・ワンは、アメリカのTVドラマ「白バイ野郎 ジョン&パンチ(原題「CHiPs!」)」で、主人公のジョンとパンチが乗る白バイのベース車両として使われている。
のちに、映画「マッド・マックス」にも登場している。
この頃のカワサキのバイクには個性的なキャラクターが存在し、「Kawasaki W1(ダブル・ワン=愛好家からは「ダブワン」と呼ばれていた)」、「Kawasaki H1(通称:マッハⅢ)」などがあり、カミナリ族という言葉もこの頃に生まれている。
元々自動車が好きだっただけに、バイクにもある程度の興味を示すのは自然な事だった。

高校生くらいになると、同級生でもバイク通学をするものが増え、自然にバイク熱が再燃した。
その頃のオレのお気に入りは、「HONDA VT250F」、「YAHAMA FZ1 FAZER」といった、レーサー・レプリカに近いものだった。
ちなみに当時の同級生のほとんどが、「SUZUKI RG50γ(ガンマ)」に乗っていた。

さらに時は流れ、アニキが突然バイクの免許を取り、「2輪より4輪派だから」と傍観していたのだが、自動車学校で行われる「コース開放イベント」に出かけた事から熱が再燃。
その頃にはバイクの車種に疎くなっていたオレは、もはや旧車となっていたCBやZ1への憧れを抱き始めた。
しかし、その当時でも絶版車として人気が高かった両者は、極上コンディションのものとなると150~200万にもなり、コンディション不問のものでも60~90万の値がついていた。
そこに整備も含めると、ほぼほぼ100万の大台に乗ってしまう。
さらに免許取得には教習所費用として20万くらいはかかってしまう事がわかり、興味は興味のままで終わるかに思われた。
その「コース開放イベント」で、とある人物に出会ったことが、オレの運命を大きく変えていく事になったのである。

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さよなら Vmax

10年に渡るバイク生活を支えてくれた愛車に、とうとう別れを告げた。
今後乗る機会にも恵まれないだろうという事で、ついに引き取ってもらう事にした。
そのマシンの名は「YAMAHA Vmax 1200」。
恐らくはオレの生涯で唯一のバイクだろう。

このバイクの起源は1985年。
アメリカ向けのロード・ツアラーとして売り出すことを目論んでいたヤマハが、現地法人ヤマハ・アメリカの依頼を受けて製作したバイクだ。
製造・開発はヤマハ・ジャパンが受け持つこととなり、アメリカ仕様に合わせて開発が始まった。
製作するにあたり、アメリカ側に対して「パワーはどんくらい出せばいいんだ?」と問い合わせたところ、「出せるだけ出せ。」との回答を受けたという、嘘のような本当の話から形作られていった。
アメリカン・スタイルとは違う唯一無二のフォルムをまとい、ロード・ツアラーというにはマッチョすぎるその姿は、当時としては存在感抜群だった。
ハーレー・ダビッドソンのそれと同じように、数多くのカスタマイズがなされ、アメリカでも大ヒットした。
国内発売は、遅れること4年。
1990年に国内仕様の初期型が発売し、日本でも人気車者となった。
オレが乗っていたのは、この1990年の国内仕様の初期型「3UF」という型式だ。
アメリカ版に搭載されていた、ターボやスーパー・チャージャーに当たる「Vブースト」は、日本の国内バイク規格に適合せず、国内版はVブーストの無いノーマル仕様だった。
それでも98馬力を誇る怪物だったのだが・・・。
その後の規制緩和や、逆輸入車の台頭で、国産仕様にもVブーストが搭載されるようになり、最終的にはカタログ値で145馬力のものまで登場するようになった。
動力伝達方式としては、チェーン駆動が一般的なバイク界にあって、自動車と同じクランク・シャフトを採用するという大胆さで、他のバイクにはない極太のトルクを体感出来た。
30年も前のバイクながら、その加速感は現代バイクに劣らない。
ドラッグレースに重宝されるマシンながら、思いっきり車体を倒して峠を攻める走りも堪能出来た。
ただ、そういう乗り方をしているとバイク仲間から、「Vmaxはそういう乗り方をするバイクじゃないだろ」とツッコミを入れられることもあった。
ガソリンタンクがシートの下に内蔵されているため、いちいちシートを外さなければならない手間も思い出だ。
さらにタンク容量が15リットルと小さいため、アニキをはじめとするハーレー組とのツーリングでは、給油タイミングで迷惑をかけることも多かった。
元々ハーレーに乗りたくて免許を取ったアニキとは違い、ハーレーが間違いなく世界一のバイクであることを分かったうえで、それでも国産マシンにポリシーを感じていたオレは、このマシンにして正解だったと思っている。
何しろハーレーを買ってしまうと、絶対クロムメッキパーツで武装したくなるのは目に見えていた。
そんなカスタマイズをするとなると、車体価格の2倍から3倍の金が簡単に飛んでいく。
貧乏ライダーには、メインテナンス以外にお金を掛けずに済むものを選ばざるを得なかったのである。
そうなれば、耐久性、整備の簡便性においては、国産車に勝るもの無しなのであった。
そんな貧乏ライダーのバイクライフを支えてくれたVmaxの思い出は、また次回に持ち越すとしよう。

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【音楽】黒くぬれ!/ザ・ローリング・ストーンズ(1966)

「黒くぬれ!/ザ・ローリング・ストーンズ(1966)」

イギリスのロックバンド、ザ・ローリング・ストーンズの1966年のヒット曲。
シタールを取り入れた最初期の楽曲とされ、スタンリー・キューブリック監督の映画「フルメタル・ジャケット」にも使用された。
数多くのミュージャンによってカバーされており、日本ではRCサクセションや沢田研二がカバーしている。

あまりこの頃のロックには詳しくないが、ストーンズといえば「サティスファクション」かこれが思い浮かんだ。
どっちかというと映画のイメージが大きいかも。



「PAINT IT BLACK/THE ROLLING STONES」

2016年度の思い出

2016年度を振り返ってみて思う事は、あまり手のかからない世代だったという事だ。
まあ、なかなかチームに帯同出来なかったので、手がかかる・かからないの所まで語る事が出来ないのではあるが。
それでも、前回の振り返りで書いた事と重複するが、何でも自分達で出来る面々だったことは確かだ。
強烈な個性の持ち主ではなかった代わりに、よくまとまっていたチームだったという印象だ。
そして、今年は例年とちょっと感じ方が違っている。
聖斗世代の聖斗、賢心世代の賢心、亮弥世代の亮弥というような、絶対的なリーダーを核としてそれをサポートする面々という図式とは違っていた。
一個の細胞の中に核が5個ある様な、それぞれが主張出来る様な環境だったように思える。
なので卒団メンバー紹介の中で、大飛をキャプテン、楓雅をチームリーダーとしたのである。

思い出として残っているのは、こういった関係図が見事にマッチした「全少」が挙げられる。
大会を通じて、本当によくまとまっていたと思う。
ここで点を取って楽になりたいと思う時間帯に、いいタイミングで点を取る成良。
とにかく攻撃に力を注いでいた。
身体を張って攻守に貢献した大飛。
ヴェルディからの唯一のゴールを挙げた時も、相手のミスを逃さない集中力がもたらしたものだろう。
そして駿太朗の南城戦でのPK阻止は、全少での見どころの一つとなった。
ひたすらに声を掛け続ける姿は、亮弥世代のキーパー・眞大を彷彿とさせた。
成長の跡が最も目に見えてわかるのが晴隆。
この頃には、相手ルーズボールのほとんどを落下点に先回りしてクリア出来ていた。
パスカットの感覚も研ぎ澄まされ、南城戦でのゴールも、味方コーナーキックのこぼれ球を、思い切り振り抜いた脚でゴールに結び付けており、この南城戦でのゴールでは全員が祝福し、大きく盛り上がったシーンでもある。
楓雅はとにかくよく走っていた。
実は一番よくバランスを取っていたのは楓雅だった。
要所要所でボールに絡むプレーを見せ、例え届かないボールでも最後まで追う姿が見られた。

これらのプレーは全て「全少」で観られたものだ。
まさに集大成だったのかも知れない。
セーラーではひとつのリズムの崩れからトーナメント出場を逃し、悔しい思いをしたに違いない。
その思いがこの結果を生んだのなら、次のレベルに進んだ時に、自分が何をすればいいのかは判っている事だろう。
これから先、もしも中学校の試合を観る事があったら、その辺をよく観察してみることにしよう。
全員で作り上げた全少での戦い振りを、今後の自分達の基本理念にして頑張って欲しい。

ああ、楽しみだなぁ。

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【音楽】春よ来い/はっぴいえんど(1970)

今年も二戸FCの卒団生を送り、新たな時代への歩を進めようとしている。
フットサルの時期も終わって、いよいよ外のシーズンが始まるのだが、何しろ北国には雪という難敵がいる。
例え溶けたとしても、乾くまでにはさらに時間を要する。
他の指導者達は早く外でやりたいんだろうけど、オレ個人的には、フットサルよりの人間だということもあって、イレギュラーバウンドの起こりづらいフロアでの練習においてこそ、蹴る・止めるの基礎技術の向上を図るべきではないかと思っている。
とは言っても、単純な基礎練習というものは飽きるものだ。
小学生ともなれば尚更だ。
唯一、延々と基礎練習を続けても飽きずに付いて来たのは、後にも先にも明里と響希だけだ。
本当なら今のうちに基礎の大切さを説かなければならないのだが、その事に気づくのはずっとずっと後になっての事なんだろうなぁ。

というわけで、外のシーズンに向けての準備も進めねばならない中で、お決まりのように思うことは「春よ来い」だ。
まず一般の人ならば、童謡の「春よ来い」か、松任谷由実の「春よ、来い」を思い浮かべるのだろうが、オレという人間はひねくれているので、はっぴいえんどの「春よ来い」を選ぶのであった。

「春よ来い/はっぴいえんど(1970)」

はっぴいえんどは、大瀧詠一、細野晴臣、鈴木茂、松本隆の4人で構成されたグループ。
そして根幹にあるのはアメリカン・ロックだ。
ロックなベース、ロックなドラム、ロックな歌い方などを総合し、そこに日本語の歌詞をのせるという、「日本語ロック」の誕生の瞬間である。
当時国内でロック音楽の先鋒を走り、ロックには英語の歌詞が絶対条件と謳っていた内田裕也と、音楽性の違いから「日本語ロック論争」と呼ばれる騒動へと発展していく。

それにしても、当時はグループ・サウンズの衰退とフォークの台頭が重なっていた時期だが、そんな時にここまでストレートにロック・サウンドを体現し、それに日本語をのせるという快挙を達成したはっぴいえんどは、今日の日本の音楽シーンにおいて、絶対に越えられない壁として君臨している。

2016年度を振り返って

あっという間に過ぎた一年。
今年度に関してはそういう思いだ。
あまり練習に顔を出せていなかったこともあって、たまに顔を出した時に、チームの方向性を感じるまでに時間を要した。
その事が、的確な指導・アドバイスが出来なかったという反省材料として残っている。

チームカラーとしては、昨年度の聖斗世代と似ている部分がある。
あまり自分から自己主張するタイプではないメンバーが多かったことも挙げられる。
ところが、いざ試合をしてみるとそれなりにまとまっているから不思議だ。
突出した才能の持ち主とか、強烈な個性を持ったメンバーがいなかったという事もあるが、総じてまとまっていたと思う。
それぞれのメンバー間での大きな能力の差というものも感じられず、見るからにこいつら仲が悪いなと思わせる要素もなかった。
人数の多い5年生メンバーをよくまとめていたと思う。
自分が殻に閉じこもったり、輪を乱したりという事も無く、組織としては本当によくまとまっていたと思う。
その要素を考えてみたときに、オレの勝手な想像だが、楓雅は別として、メンバーのほとんどが「兄」であり、「弟」がこの二戸FCに関係もしくは関係しようとしていることが考えられた。
総じて「兄」というものは、枠から外れることなく、「弟」の模範になる事が多い。
今年のメンバーにはそれがあったのではないかと想像している。
「弟」であるオレが感じるのだから、あながち間違いではないのではないでしょうかね?
「弟」の尻拭いをさせられる「兄」の苦悩というのは、選手のみならず、指導者でも同じことが言えるのではないでしょうか。
心当たりがあり過ぎて、あまり偉そうなことは言えませんがね。

反面、はっきりとした牽引者がいなかったという印象もある。
「オレ様」的な振る舞いも、時には役立つこともあるのだが、今年はそれが無かった。
水面下では、誰がボスになるかを争っていたという話も聞こえてきたが、それはもっと表立ってやっても良かったと思う。
波風立てろとは言わないが、チームを背負って立つという意識を強く持って行動するくらいの気合が見たかった。
結局のところ、6年生全員でまとめ上げているという印象に落ち着いた。
それはそれで良い事だし、実際他のチームからの二戸FCの評価も上々だった。
前にブログに書いた事があるが、「指導者などいらないと言えるくらいが理想かも知れない」という言葉に、少し近づいていた感じもある。
つまり、自分達で何でも出来る面々だった。

さて、これが中学校という次のカテゴリーに移った時、自己主張の大切さを痛感する事だろう。
自己主張とは、つまり「自分の能力を高めるための、自分自身の準備」という事だ。
感覚的な事だけでは、これからは通用しない。
基礎技術の大切さを思い知る事になるだろう。
これまでやってきた事は、「準備のための準備」程度のものだ。
これから先が勝負になってくる。
自分がやろうとしている事に対して、結果ではなく、どう関わっていくかが重要になるだろう。
何を目標にして進んで行くか。
その心構えひとつで、方向がガラリと変わってしまう事もあるから、今一度自分がどうしたいのかを自問自答してみるといい。
そして、その為の努力の過程で、受け入れられない事も受け入れなければならない時が来る。
その時は基本に立ち返って、自分で自分に質問してみよう。
「フットボールが好きか?」、と。

長い間、お疲れさま。
そして、ありがとう。
みんなの意思は、既に次の世代に受け継がれているぞ。

2016年度 二戸FC卒団生紹介シリーズ FILE.05

6送会に間に合うように書く事を目指して書き続けてきたが、どうやら今年も間に合ったようだ。
誰彼に見せるために書いてきたわけではないが、自分の関わった活動の中で、自分なりに感じた事を書き綴るという、ある意味超身勝手な企画であった。

No.10 MF 五日市 楓雅
二戸FCのいじられ担当でチームリーダー。
晴隆と似た「笑い」の役割を与えられるも、その振り幅は大きく、まさに「いいコンビ」と言える。
最も早くから公式試合に出場していた事で、多くの経験を積んできた。
基礎技術にかけてはこの学年で1番。
時折揶揄されるスピードの無さを補うに余りある能力を持っている。
判断のスピードやフィジカルの強化がこれからの課題。
ボールが無い時に、周りの状況を判断出来るくらいのプレーの余裕を持つ事。
そして、厳しく行くべきところは厳しくプレーする気持ちの強さが求められる。
まだまだ眠っている能力があると思っているので、必要とする努力を自らの意思で求める事を期待したい。

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2016年度 二戸FC卒団生紹介シリーズ FILE.04

前年の聖斗世代のメンバーが少なかった事もあって、今回送り出すメンバーのほとんどが中心となって2年間戦ってきた。
みんなはこの2年間をどのように振り返るだろうか。

No.1 GK 栗原 駿太朗
二戸FCの賑やかし担当。
2年間、二戸FCのゴールを守ってきた男。
この世代では唯一と言っていいほど、声出しや自己アピールに自信を持っていると思われる、見るからに明るい選手。
ゴールキーパーというポジションの性格上、精神的に強く、心が折れる事がない。
身長をカバーするボールへの執着心は、フィールドとしても充分使える能力を持っている。
体幹と瞬発力の強化が課題。
スピードに乗ったり、プレーの流れに乗ってしまえば不安は無いが、止まった状態からの動き出しの一歩という点では、身体能力こそ高いものの、体幹バランスに不安定さがある。
身体を酷使する練習に付いて来るだけの精神力を持っているので、これを自分で個人練習にも持ち込めるようになれば、強い選手になるだろう。
人見知りせず、楽しそうにプレーする姿が印象的なプレーヤーだった。

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2016年度 二戸FC卒団生紹介シリーズ FILE.03

本格的なフットボールを通じた交流となると、2年から4年くらいだろうか。
これくらいの年代の子達にとって、この数年間は大きなものだろう。
余命が少なくなっていくオレにとっても大きな年月だ。
何しろ割合が高くなっていくもので・・・。

No.7 MF 馬場 成良
とにかくひたすら真面目。
教えた事を全て吸収しようという貪欲さを持ち、試合の合間にアイディアとして教えた技術を、次の試合ですぐに試そうとするチャレンジ精神の持ち主でもある。
スピードもキック力もフィジカルの強さも申し分なく、攻撃全般の要と言っていい選手。
ボールがない時の自己アピールに課題を残すも、夏過ぎ頃からようやくいい声掛けが出来るようになってきた。
そのお陰で得点率も上がっている。
成長率はこの世代ではトップ。
何事にも真面目に取り組む姿勢がそうさせたと思っている。
今後の課題は、体の使い方。
フィジカル自体は強いものを持っているが、いかんせん腰高のため、相手プレッシャーによる加重移動に耐えられずに転ぶシーンが目立つ。
またあまりにも足元にボールを置いてしまうので、体勢の悪さを引き起こすとともに、次のプレーへの繋がりにロスが生じてしまう傾向にある。
次にどういうプレーをしたいのか、そのためにボールに対してどのような立ち位置を取るのか、どこにボールを置くのかといった細かいところへの追求に目を向けて欲しい。
技術を伴うボール感覚を身に着ける事がこれからの課題だ。
しかし、それも持ち前の真面目さが課題の克服を容易にしてくれると信じている。
向上心の塊のような男だった。

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2016年度 二戸FC卒団生紹介シリーズ FILE.02

気付けば今週末が六送会だ。
毎年毎年書くけど、あっという間だったなぁ。

No.2 DF 大林 晴隆
二戸FCの和ませ担当。
意図せず起こした行動が周りを笑わせたりする、「笑いの神」が宿る男。
相手のパスをカットする能力はチーム1。
プレーの流れを読む能力にも長けている。
全少の頃には、落下点にいち早く入り込む感覚も身に付け始めている。
やや慌てているように見える事もあるが、とにかくがむしゃらにプレーする姿が印象的だ。
基礎技術には課題を残す。
特にボールを受ける時の体勢の悪さは、数々のトラップミスを誘発してきた。
パスのボールも浮き気味になる事が多いので、意識して低いボールを蹴る練習が必要だ。
ひたすらにボールに触れる練習を積み重ねる事、ボールに対して自分がプレーしやすい体勢を見つけることが急務。
これまたあまり感情を表に出すタイプではないが、やる時はやる選手だったので、基本的なボールコントロールの強化がこれからの課題だろう。
精神的に苦しい時、張り詰めた空気をいい感じに抜いてくれる存在であった。

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