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【音楽】銀色のジェット/大瀧詠一(1984)

失恋ソング特集も中盤を迎え、自らの体験記まで断片的に書く事になろうとは。
こうして書いていけるという事は、ある程度納得しての別れだったのだろうが、書いていくうちにやっぱり切なさは込み上げてくる。
唯一と言ってもいい程の「好きなままでの別れ」だったからだろうか。

「銀色のジェット/大瀧詠一(1984)」

大瀧詠一の実質のラストアルバムとなった「EACH TIME」に収録されている。

滑走路から離陸していく 銀色の影
迷ってた君の答えを乗せて 飛び立つ
違う人になりきれずに そう 本当の自分さえ見失った
羽ばたくのをやめれば落ちること 青空舞う鳥さえ知ってるさ
君だけが知らなかったね

愛され過ぎてたから愛せない 今ではそんな君も悲しいよ

君が捨てたこの都会で 生き続けるよ
失うものなど もうこれ以上ないから
いつの日か 君の様に逃げるかもしれないけど
雲間に消えてく 翼を見送る


その人は、オレが今で言う「ぱっつん」の前髪がかわいいと言ったことを覚えていて、パーマをかけようが何をしようが、「前髪ぱっつん」だけは守り通してくれていた。
本当に自分にはもったいないほどに過ぎた人だった。

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【音楽】Missing/久保田利伸(1986)

失恋ソングシリーズで、ようやく自分の世代に合う楽曲を思い出した。
高校2年生くらいだったかなぁ。

「Missing/久保田利伸(1986)」

久保田利伸のデビューアルバム「SHAKE IT PARADISE」に収録されているバラードの名曲。
今で言うところのJ-POP路線にいた頃のもので、2枚目のアルバム「GROOVIN'」を最後にこの路線を離脱。
3枚目のアルバムから、恐らく本人が本当にやりたかった音楽路線である「黒っぽい」音楽にシフトし、ヒットチャートに別れを告げて、独自路線を貫いて行く事になる。
一般的には久保田利伸の名曲と言われているが、オレ個人的には「タイムシャワーに打たれて」のほうが好きだったりする。
「黒っぽい」音楽への移行の片鱗となる、ラップを主体とした楽曲で、本格的にラップが日本の歌謡曲に浸透するきっかけになったと言っていいだろう。
余談だが、日本のヒットチャート音楽史においてのラップの最初期のものは、吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」であろう。


言葉にできるなら 少しはマシさ
互いの胸の中は 手に取れるほどなのに
震える瞳が語りかけてた 出会いがもっと早ければと

I love you 叶わないものならば いっそ忘れたいのに
忘れられない全てが
I miss you 許されることならば抱きしめていたいのさ
光の午後も星の夜も Baby

ときめくだけの恋は 何度もあるけれど
こんなに切ないのは きっと初めてなのさ
染まりゆく空に包まれて 永遠に語らう夢をみた

I love you 届かないものならば 見つめかえさないのに
瞳奪われて動けない
I miss you 許されることならば抱きしめていたいのさ
光の午後も星の夜も Baby

黄昏に精一杯の 息を吸って
目を閉じるだけ Oh

I love you 僕だけの君ならば この道をかけだして
逢いに行きたい今すぐに
I miss you 許されることならば抱きしめていたいのさ
光の午後も星の夜も Baby


今書き綴っている恋話になぞらえると、歌詞の様に「出会いがもっと早ければ」と思う事もあった。
しかし、出会いのタイミングというものは、偶然に偶然が重なった必然であって、その時に出会わなければ付き合う事も無かったかも知れないと思うようになった。
結果的にハッピーエンドにはならなかったが、その時に出会い、付き合う事が出来た事を奇跡として幸せに思っている。

【音楽】バチェラー・ガール/大瀧詠一(1985)

失恋ソング特集を組んで、柄にもなく自分の事を語ってしまった。
書くような事など無かった筈だが、ここ数回に渡って書いている恋愛経験は、未だに自分の心に大きな存在として残っている。
すごくいい思い出として。

「バチェラー・ガール/大瀧詠一(1985)」

去年、雨ソング特集の中の一曲として紹介したが、今回は失恋ソングとしての登場。
一般的には稲垣潤一によるバージョンが有名だが、個人的にはやっぱり大瀧詠一バージョンの方が好みだ。
♪(歌詞抜粋)
向かい合う傘の中 君は横に首を振った
これ以上会えないと 予想通りの辛い答えさ

顔色を変えないね 崩れかけた僕を見ても
冷ややかなやさしさの裏に 別れを用意してたね

君が欲しいとつぶやくだけで 全て無くした
でも言わずにはいられなかった

忘れるよ ふたりには小さすぎた僕の傘
土砂降りに消えてゆく気味の背中
きっと きっと忘れるさ


オレのイメージでは、その人はすごくモテる人だった。
いつも明るくて、誰彼と隔てなく、誰でも打ち解けられる器量の持ち主で、オレとは全く正反対の人だった。
こんな人かなぜオレなんかと付き合ってくれるのだろうか、と本気で疑問に思う事もあった。
結局はこの歌の「ふたりには小さすぎた僕の傘」の歌詞のように、受け止める事が出来ずに傷つけてしまった。
この歌を聴くと、その切ない気持ちがよみがえってくる。

【音楽】グッバイ・マイ・ラブ/アン・ルイス(1974)

数多ある失恋ソングだが、自分の事になぞらえて考えると、実に体力と精神力のいる作業である事に気付く。
片手でさえ余る恋愛経験だとしても、ね。

「グッバイ・マイ・ラブ/アン・ルイス(1974)」

これも歌謡曲全盛なる頃の名曲。
実は元々アン・ルイスのデビュー曲となる予定だったのは、のちにシリア・ポールと吉田美奈子が歌った「夢で逢えたら」だったのである。
当時は、アン・ルイスの売り込みイメージに合わないということでお蔵入りとなった。


グッバイ・マイ・ラブ この街角で
グッバイ・マイ・ラブ 歩いて行きましょう
あなたは右に わたしは左に
振り向いたら負けよ
グッバイ・マイ・ラブ もう一度抱いて
グッバイ・マイ・ラブ わたしの涙を
あなたの頬で拭いているのよ
泣きまねじゃないの
忘れないわ あなたの声
やさしい仕草 手のぬくもり
忘れないわ 口づけのとき
そうよ あなたの あなたの名前


2番の歌詞に登場する「ふたりの恋が真実ならば いつかは会える これが本当のさよならじゃないの」というところに、終わった恋への女の潔さ、覚悟、そして救いが感じられる。
男女の別れが、いつもこういう潔いものならば、辛く思い出す必要も無いのかもしれないが、人間の感情はそう簡単にいかない。
それがましてや愛情や恋心ならなおさらだ。
前回まで書いていたオレの恋話の相手は、まさにこういう潔い人だった。

【音楽】さらば恋人/堺正章(1971)

あまり歌手としてもタレントとしても興味が沸かなかった堺正章の名曲。
こういう器用というか世渡り上手というか小賢しい感じの人が苦手だという事もあるが。

「さらば恋人/堺正章(1971)」

作詞:北山修、作曲:筒美京平。
やっぱり筒美京平は名曲の宝庫だなぁ。

これも一度は成就した恋の終わりを描いた歌なので、オレの感性からはちょっと離れている。
前回、好きだったけど別れざるを得なかった恋があると書いたが、その人の事は今でも好きなままだ。
今でも連絡を取り合える状態ではあるが、さすがにその気持ちは心の奥底に鍵をかけて仕舞ってある。
実に明るくて、場を和ませてくれる存在だった。
思い起こせば、そんな彼女と一緒に撮った写真の一枚すら無い。
たまたま仲間が、風景写真的に撮った写真に並んで写っているものがあるだけだ。
それでも、顔も声もよく覚えている。
前回の「ラブ・イズ・オーヴァー」じゃないが、文字通り、オレにとって「最後の恋」だった。
ひたすらに、幸せになってくれる事を願っている。

【音楽】ラブ・イズ・オーヴァー/欧陽菲菲(1979)

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、このところの涼しさは、つい先日までのうだる様な暑さを忘れさせてしまうほどだ。
何しろ今日なんて、薮川の最低気温が3.1℃だっていうんだから。
残暑を乗り切るための夏ソング特集をやっていたかと思えば、これまでの最低気温が最高気温になるほど、一気に秋へと突き進んでいく。
そんな物悲しさをネタにして、失恋ソング特集をやろうと決めていながら、ついつい更新が滞ってしまった。
取り戻すかのように、怒涛の失恋ソング特集を組んでみよう。

「ラブ・イズ・オーヴァー/欧陽菲菲(1979)」

失恋ソングの定番というか王道というか、まず外せないのがこの歌。
歌詞の世界観に目を向けると、女の失恋ソングというものにはストーリー性と潔さがある。
歌の題材として、実にかっこいい世界観が描けるのも特徴だ。
逆に、男の失恋ソングというと、どうにも未練がましく女々しい歌が多い。
昔オフコースにハマれなかったのも、小田和正の詩の世界観が肌に合わなかったからだろうと推測している。
失恋という場面においては、男のほうが未練がましいものですからねぇ。

オレの人生の中で、こういった世界観の恋愛というものに恵まれなかったので、自分の事に置き換えて考える事は出来ない。
実に寂しい人生ですなぁ。
成就した恋愛が終わりを告げるというシチュエーションに多くは恵まれなかったので、ついつい思いが届かなかった的な失恋ソングに感情移入してしまう。
その代表格が、大瀧詠一の「恋するカレン」かな。

それにしてもこの歌の中の女性の潔さと言ったら。
こういう女性との恋愛を経験してみたかった。
それが出来ないのは、間違いなくこっちに原因があるという事は百も承知ですけどね。

そんなオレにも、好きだったけど別れざるを得なかった恋というものが一つだけあったりする。

【音楽】夏の終わりに/シュガーベイブ(1975)

今度こそ、今度こそ暑かった夏も終わりなのか。
涼しくなったというよりも、「小寒い」レベルにまで達している気もするが。
そんな過ぎ去る夏に思いを馳せる音楽特集でもやってみようかしら。

「夏の終わりに/シュガーベイブ(1975)」

日本の音楽史上、POPSというものを初めて具現化したと言ってもいい伝説のグループ、シュガーベイブの一曲。
この曲は、メンバーである山下達郎の、ミュージシャンとしてのキャリア上、最初の楽曲だそうだ。
しかしオリジナルアルバムには収録されず、仮録音としてのデモバージョンとライブ音源しか残っていない。
今回貼り付けたのはデモバージョンで、20周年記念としてリマスターされた際に、ボーナス・トラックとして初収録された。
なぜ当時収録されなかったのかは不明だが、クオリティを追究した結果だと解釈している。
20歳そこそこの若者たちが集って作られたにしては、今の音楽と比べるべくもなく、クオリティの違いは歴然としている。


何も変わることなく ひと夏が過ぎ去り
言葉通りの お別れだけ
熱く回り続けた サイコロの目ももう
当たらぬまま 風に吹かれる

今始めるのは ひとりきりの遊び
目くるめくような ひと夏の終わり

燃える陽が傾き 僕に判る事は
君と僕の終わる今は
つるべ落としの 秋の始まり


これって失恋ソングなんだなぁ。
そうだ。
失恋ソング特集をやってみよう。



「At The End Of Summer/SUGAR BABE」

【音楽】太陽のプレイメイト/クレイジーケンバンド(2000)

結局今年も海には行けずじまいだったなぁ。
浮かれ騒ぎをする歳でもないのだが、歳で何かを制限するのもねぇ。
まあ、今は海に行くよりもフットサルをしていたほうが楽しいんだけどね。
海がダメならプールっていう手もあるし。
そういうプールも、3年ほど前に亮弥、崇楽、翔吾を連れて「ゆぴあす」に行ったきりだなぁ。

「太陽のプレイメイト/クレイジーケンバンド(2000)」

日焼けが嫌なお年頃になったせいか、海に行っても日焼け止めを塗るんだろうなぁ。
後先考えずに、楽しい事を楽しむ心を忘れてしまったのかな?
でもオレの場合、日焼けをするとただただ赤くなって、風呂に入れなくなるわ、汚く皮が剥けるわで、全く良い事が無い。
もっと体も鍛えなきゃならないし。
この歌の歌詞のように、エルヴィスと同じジャンセンの海パンは持っていないし、尾崎紀世彦な凛々しいもみ上げも無いけど、いつしかまた海ではしゃいでみたいものだ。

【音楽】LOVELAND,ISLAND/山下達郎(1982)

結局暑さはいつまで続くのか?
もうそろそろいいんじゃないかなぁ。
土曜日には久々に練習したけど、体育館の中が蒸し暑くて、年寄りの汁ですっかりびしょ濡れになってしまったし・・・。
もう少しだけ、夏ソングで気分だけでもさわやかに行きたいものだ。

「LOVELAND,ISLAND/山下達郎(1982)」

テレビドラマ「漂流教室~ロング・ラブレター」の主題歌に使われた事もある。
このドラマ、とにかくひどかった。
このドラマの前には、大林宣彦監督で映画版も作られたが、こちらはテレビ版を凌ぐ駄作っぷり。
完全に失敗作だった。
原作である漫画版が超・大傑作であったために、そのガッカリ度は半端なかった。

原作の漫画版は、一生に一度は読んでおくべき必読書ですよ。

【音楽】愛を描いて-LET' S KISS THE SUN-/山下達郎(1979)

9月だというのに、ジリジリと太陽光が暑くて参った。
夜は涼しくて、寝苦しいということがないのが救いだが。
まだまだ夏ソングシリーズを続けられるって事かな。

「愛を描いて-LET' S KISS THE SUN-/山下達郎(1979)」

山下達郎の4枚目のアルバム「MOONGLOW」に収録されている、シングルカットされた名曲。
とにかく吉田美奈子とのコーラスアンサンブルは見事としか言い様がない。
山下達郎の全盛期に向けての新時代の幕開けとなった歌だ。
もう少しだけ、この暑い太陽光に感謝しなきゃね。

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