【映画】ロシュフォールの恋人たち(1967)
「ロシュフォールの恋人たち」(1967)
監督:ジャック・ドゥミ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワーズ・ドルレアック、ジャック・ペラン、ジョージ・チャキリス、ダニエル・ダリュー
1967年に公開されたジャック・ドゥミ監督のフランスのミュージカル映画。
カトリーヌ・ドヌーヴとドヌーヴの実の姉であるフランソワーズ・ドルレアックを始め、ジーン・ケリー、ジョージ・チャキリス、ジャック・ペラン、ダニエル・ダリュー、ミシェル・ピコリといった仏米の豪華な出演者が登場している。
音楽は、『シェルブールの雨傘』でもコンビを組んだミシェル・ルグラン。
フランス西南部の海辺の街・ロシュフォールは、年に一度の祭を二日後に控え、賑わっていた。
その街にはソランジュとデルフィーヌという美しい双子姉妹が住んでいた。
ソランジュは音楽家を、デルフィーヌはバレリーナを志し、いつの日かこのロシュフォールから飛び出し、花の都・パリでの生活を夢見ていた。
また彼女たちには、いつの日か素晴らしい恋人にめぐり逢いたいという夢もあった。
姉妹の母親イヴォンヌはカフェの女主人で、彼女の気さくな人柄で多くの常連客もおり、店は繁盛していた。
その客の中には、今回の祭でオートバイの曲乗りを見せるというエチエンヌとビルの二人組や、理想の女性を求め、その女性の人物画を描いている水兵のマクザンスがいた。
そしてイヴォンヌには、かつて愛し合いながらも些細な事で別れてしまった恋人がいたという。
ぞれぞの想い、過去、希望が交錯する中、いよいよ祭の日がやってきた。
「シェルブールの雨傘」から一転、底抜けに明るいミュージカル。
夢見る喜び、生きる喜びが凝縮された、まさに人生賛歌。
ミシェル・ルグランは、レンモン・ルフェーブル、ポール・モーリア、フランシス・レイなどと共に、イージー・リスニング界の第一人者として名を馳せた。
これを観るたび、原語であるフランス語が解ればもっと楽しめるんだろうなぁと思ってしまう。
フランス語の持つ詩的な響きを理解しようにも、オレが解るフランス語は、
・「Bonjour(ボン・ジュール=おはよう、こんにちは)」
・「Bonsoir(ボン・ソワール=こんばんは、おやすみ)」
・「Merci(メルシ=ありがとう)」
・「Ca va?(サヴァ=ごきげんいかが)」
・「Tres bien(トレビアン=素晴らしい)」
・「Comment allez-vous?(コマンタレヴー=お元気ですか)」
・「Au revoir(オールヴォワール=また会いましょう)」
・「je t'aime(ジュテーム=愛してます)」
くらいしか無いわ。
あとフランスのカフェでコーヒーを飲みたい時は、「Cafe s'il vous plait(カフェシルブプレ=コーヒーをお願いします)」を覚えておけばOK。
監督:ジャック・ドゥミ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワーズ・ドルレアック、ジャック・ペラン、ジョージ・チャキリス、ダニエル・ダリュー
1967年に公開されたジャック・ドゥミ監督のフランスのミュージカル映画。
カトリーヌ・ドヌーヴとドヌーヴの実の姉であるフランソワーズ・ドルレアックを始め、ジーン・ケリー、ジョージ・チャキリス、ジャック・ペラン、ダニエル・ダリュー、ミシェル・ピコリといった仏米の豪華な出演者が登場している。
音楽は、『シェルブールの雨傘』でもコンビを組んだミシェル・ルグラン。
フランス西南部の海辺の街・ロシュフォールは、年に一度の祭を二日後に控え、賑わっていた。
その街にはソランジュとデルフィーヌという美しい双子姉妹が住んでいた。
ソランジュは音楽家を、デルフィーヌはバレリーナを志し、いつの日かこのロシュフォールから飛び出し、花の都・パリでの生活を夢見ていた。
また彼女たちには、いつの日か素晴らしい恋人にめぐり逢いたいという夢もあった。
姉妹の母親イヴォンヌはカフェの女主人で、彼女の気さくな人柄で多くの常連客もおり、店は繁盛していた。
その客の中には、今回の祭でオートバイの曲乗りを見せるというエチエンヌとビルの二人組や、理想の女性を求め、その女性の人物画を描いている水兵のマクザンスがいた。
そしてイヴォンヌには、かつて愛し合いながらも些細な事で別れてしまった恋人がいたという。
ぞれぞの想い、過去、希望が交錯する中、いよいよ祭の日がやってきた。
「シェルブールの雨傘」から一転、底抜けに明るいミュージカル。
夢見る喜び、生きる喜びが凝縮された、まさに人生賛歌。
ミシェル・ルグランは、レンモン・ルフェーブル、ポール・モーリア、フランシス・レイなどと共に、イージー・リスニング界の第一人者として名を馳せた。
これを観るたび、原語であるフランス語が解ればもっと楽しめるんだろうなぁと思ってしまう。
フランス語の持つ詩的な響きを理解しようにも、オレが解るフランス語は、
・「Bonjour(ボン・ジュール=おはよう、こんにちは)」
・「Bonsoir(ボン・ソワール=こんばんは、おやすみ)」
・「Merci(メルシ=ありがとう)」
・「Ca va?(サヴァ=ごきげんいかが)」
・「Tres bien(トレビアン=素晴らしい)」
・「Comment allez-vous?(コマンタレヴー=お元気ですか)」
・「Au revoir(オールヴォワール=また会いましょう)」
・「je t'aime(ジュテーム=愛してます)」
くらいしか無いわ。
あとフランスのカフェでコーヒーを飲みたい時は、「Cafe s'il vous plait(カフェシルブプレ=コーヒーをお願いします)」を覚えておけばOK。
【映画】シェルブールの雨傘(1964)
「シェルブールの雨傘」(1964)
監督:ジャック・ドゥミ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ニーノ・カステルヌオーヴォ
1964年のフランス映画。
第17回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。
ミシェル・ルグランが音楽を担当したミュージカル映画である。
セリフは全て歌で表された完全なミュージカルであり、映画としては大変画期的であった。
ルグランの音楽が大評判となり、特に主題曲は世界中で大ヒットした。
のちに舞台化もされ、世界各国で上演されている。
ミシェル・ルグランの名を世界中に知らしめた出世作であり、主演のカトリーヌ・ドヌーヴにとっても出世作となった。
アルジェリア戦争ただ中のフランス。
港町・シェルブールに住む20歳の自動車整備工ギィと17歳のジュヌヴィエーヴは結婚を誓い合った恋人同士。
ギィは病身の伯母エリーズと、ジュヌヴィエーヴはシェルブール雨傘店を営む母エムリ夫人と暮らしている。
エムリ夫人は2人が若過ぎる事を理由に結婚に反対するが、2人は将来生まれて来る子供の名前(女の子だったらフランソワーズ)を考えたり、自分たちのガソリンスタンドを持つ夢を語り合ったりと、幸福な恋愛を謳歌していた。
そんなある日、ギィに召集令状が届き、2年間の兵役をつとめることになった。
尽きる事無く別れを惜しむギィとジュヌヴィエーヴ。
その日2人は結ばれ、やがてギィは幼馴染みのマドレーヌに伯母の世話を頼み、シェルブール駅でジュヌヴィエーヴに別れを告げて入営する。
戦争と時の流れは、二人にとって残酷な未来へと彩を変えてゆく。
愛し合いながらも引き裂かれていく男女を悲劇的に描いている。
しかしそれは観終わった後に、本当に悲劇なのか?と思わせる深い内容になっており、哀愁漂うルグランの音楽にのせて、人の世の夢物語の儚さと現実の幸せの狭間をも描き出しているように見える。
何が幸せなのか、幸せの形とは何かを考えさせられる、ミュージカル映画の大傑作。
主題歌は、恐らくは耳馴染みのあるものだと思うので一聴あれ。
いかにもヨーロッパの雰囲気漂う悲しいメロディだ。
監督:ジャック・ドゥミ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ニーノ・カステルヌオーヴォ
1964年のフランス映画。
第17回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。
ミシェル・ルグランが音楽を担当したミュージカル映画である。
セリフは全て歌で表された完全なミュージカルであり、映画としては大変画期的であった。
ルグランの音楽が大評判となり、特に主題曲は世界中で大ヒットした。
のちに舞台化もされ、世界各国で上演されている。
ミシェル・ルグランの名を世界中に知らしめた出世作であり、主演のカトリーヌ・ドヌーヴにとっても出世作となった。
アルジェリア戦争ただ中のフランス。
港町・シェルブールに住む20歳の自動車整備工ギィと17歳のジュヌヴィエーヴは結婚を誓い合った恋人同士。
ギィは病身の伯母エリーズと、ジュヌヴィエーヴはシェルブール雨傘店を営む母エムリ夫人と暮らしている。
エムリ夫人は2人が若過ぎる事を理由に結婚に反対するが、2人は将来生まれて来る子供の名前(女の子だったらフランソワーズ)を考えたり、自分たちのガソリンスタンドを持つ夢を語り合ったりと、幸福な恋愛を謳歌していた。
そんなある日、ギィに召集令状が届き、2年間の兵役をつとめることになった。
尽きる事無く別れを惜しむギィとジュヌヴィエーヴ。
その日2人は結ばれ、やがてギィは幼馴染みのマドレーヌに伯母の世話を頼み、シェルブール駅でジュヌヴィエーヴに別れを告げて入営する。
戦争と時の流れは、二人にとって残酷な未来へと彩を変えてゆく。
愛し合いながらも引き裂かれていく男女を悲劇的に描いている。
しかしそれは観終わった後に、本当に悲劇なのか?と思わせる深い内容になっており、哀愁漂うルグランの音楽にのせて、人の世の夢物語の儚さと現実の幸せの狭間をも描き出しているように見える。
何が幸せなのか、幸せの形とは何かを考えさせられる、ミュージカル映画の大傑作。
主題歌は、恐らくは耳馴染みのあるものだと思うので一聴あれ。
いかにもヨーロッパの雰囲気漂う悲しいメロディだ。
【映画】リトル・ダンサー(2000)
「リトル・ダンサー(2000)」
監督:スティーブン・ダルドリー
出演:ジェイミー・ベル、ジュリー・ウォルターズ、アダム・クーパー
1984年のイギリス北部の炭鉱町を舞台に、当時女性のためのものとされていたバレエに夢中になった1人の少年が、性差を超えてプロのバレエ・ダンサーを目指す過程を描いた作品。
キャッチコピーは、「僕がバレエ・ダンサーを夢見てはいけないの?」。
イングランド北部・ダーラムの炭鉱町に住むビリー・エリオットは、炭鉱夫である父と兄のトニー、そして軽度の認知症を患う祖母と一緒に暮らしている。
母はビリーが幼いころに亡くなっていた。
当時のイギリスは炭鉱不況の真っ只中で、父とトニーはストライキに参加していた。
父はボクシングの熱烈なファンであり、近所のジムにビリーを通わせている。
しかしビリー自身は、殴り合うというボクシングの特性に馴染む事が出来なかった。
そんなある日、ボクシング・ジムの隅でバレエ教室が開かれる事になった。
元々音楽好きであったビリーは、音楽に合わせて優雅に踊るバレエに魅せられ、密かに教室に参加し始める。
コーチであるウィルキンソン夫人の指導を仰ぎ、夫人もまたビリーにバレエの才能を見いだし、ビリーはみるみる上達していく。
しかし、内緒のバレエ教室通いを知った父は激怒し、親子の間に亀裂が走る。
子供の夢、理解出来ない親、それを許さない環境。
幾多の苦難を乗り越えて、本当にやりたい事、幸せを感じる事を掴み取った少年の軌跡。
このブログでも時々登場する「観たら必ず泣く映画」の一本。
ラストに登場する、実際のバレエ・ダンサー、アダム・クーパーの登場シーンは、そのシーンだけを切り抜いて観ても泣いてしまうほど。
舞台劇の様な作りでありながら、映画的に演出も素晴らしい。
夢を追いかける事の大事さを教えてくれる、若者達に観て欲しい映画だ。
監督:スティーブン・ダルドリー
出演:ジェイミー・ベル、ジュリー・ウォルターズ、アダム・クーパー
1984年のイギリス北部の炭鉱町を舞台に、当時女性のためのものとされていたバレエに夢中になった1人の少年が、性差を超えてプロのバレエ・ダンサーを目指す過程を描いた作品。
キャッチコピーは、「僕がバレエ・ダンサーを夢見てはいけないの?」。
イングランド北部・ダーラムの炭鉱町に住むビリー・エリオットは、炭鉱夫である父と兄のトニー、そして軽度の認知症を患う祖母と一緒に暮らしている。
母はビリーが幼いころに亡くなっていた。
当時のイギリスは炭鉱不況の真っ只中で、父とトニーはストライキに参加していた。
父はボクシングの熱烈なファンであり、近所のジムにビリーを通わせている。
しかしビリー自身は、殴り合うというボクシングの特性に馴染む事が出来なかった。
そんなある日、ボクシング・ジムの隅でバレエ教室が開かれる事になった。
元々音楽好きであったビリーは、音楽に合わせて優雅に踊るバレエに魅せられ、密かに教室に参加し始める。
コーチであるウィルキンソン夫人の指導を仰ぎ、夫人もまたビリーにバレエの才能を見いだし、ビリーはみるみる上達していく。
しかし、内緒のバレエ教室通いを知った父は激怒し、親子の間に亀裂が走る。
子供の夢、理解出来ない親、それを許さない環境。
幾多の苦難を乗り越えて、本当にやりたい事、幸せを感じる事を掴み取った少年の軌跡。
このブログでも時々登場する「観たら必ず泣く映画」の一本。
ラストに登場する、実際のバレエ・ダンサー、アダム・クーパーの登場シーンは、そのシーンだけを切り抜いて観ても泣いてしまうほど。
舞台劇の様な作りでありながら、映画的に演出も素晴らしい。
夢を追いかける事の大事さを教えてくれる、若者達に観て欲しい映画だ。
【TV】月曜ロードショー(1969~1987)
映画好きのオレにとって、この番組はバイブルだった。
映画評論家の故・荻昌弘氏の柔らかな語り口調で、毎週毎週映画を見せてくれていたのが、この「月曜ロードショー」である。
この番組で、ブルース・リーやジャッキー・チェン、西部劇やラブロマンス、戦争映画やSFなど、ありとあらゆるジャンルの映画を観る事が出来た。
まだビデオが一般的な普及していない中、映画を観る事が出来る数少ないチャンスでもあった。
この「月曜ロードショー」とNTV系列で放送されていた「水曜ロードショー」(後に金曜ロードショーとなる)は、平日の夜に映画が観られる贅沢な時間を提供してくれた。
当時岩手では、民放局がTBS系列とNTV系列しか無かったため、フジ系列の「ゴールデン洋画劇場」や、朝日系の「日曜洋画劇場」は、幼少期には観る事が出来なかった。
今では細々と映画番組が編成されているだけで、しかもテレビ局が出資している映画の宣伝目的でしか観る事が出来なくなっている。
BSやCSといった衛星放送に取って代わられている面もあるのだが。
そしてもちろんオレんちの有料放送の契約チャンネルは、映画専門チャンネルが大半を占めている。
音楽そのものは、オープニングがブロードウェイ・ミュージカル「ピーターパン」の序曲で、エンディングはレイ・アンソニー・オーケストラの「The Party's Over」である。
映画評論家の故・荻昌弘氏の柔らかな語り口調で、毎週毎週映画を見せてくれていたのが、この「月曜ロードショー」である。
この番組で、ブルース・リーやジャッキー・チェン、西部劇やラブロマンス、戦争映画やSFなど、ありとあらゆるジャンルの映画を観る事が出来た。
まだビデオが一般的な普及していない中、映画を観る事が出来る数少ないチャンスでもあった。
この「月曜ロードショー」とNTV系列で放送されていた「水曜ロードショー」(後に金曜ロードショーとなる)は、平日の夜に映画が観られる贅沢な時間を提供してくれた。
当時岩手では、民放局がTBS系列とNTV系列しか無かったため、フジ系列の「ゴールデン洋画劇場」や、朝日系の「日曜洋画劇場」は、幼少期には観る事が出来なかった。
今では細々と映画番組が編成されているだけで、しかもテレビ局が出資している映画の宣伝目的でしか観る事が出来なくなっている。
BSやCSといった衛星放送に取って代わられている面もあるのだが。
そしてもちろんオレんちの有料放送の契約チャンネルは、映画専門チャンネルが大半を占めている。
音楽そのものは、オープニングがブロードウェイ・ミュージカル「ピーターパン」の序曲で、エンディングはレイ・アンソニー・オーケストラの「The Party's Over」である。
二戸FC 三戸遠征の巻
今回、とある人脈をフルに活用させて頂き、三戸、南部と3チームでの練習試合を組ませてもらった。
セーラーに向けての課題を修正する事が目的だ。
さらに、季節はずれの暑さが、今後の夏シーズンの前哨戦の役割も果たし、環境としては一石二鳥となった。
内容に関して言えば、60点という所だろうか。
確認出来た事は、個の能力を活かした得点は出来るという事。
特に成良、脩蔵の得点能力は、お墨付きと言ってもいい。
守備に関しても、アプローチ&カバーの意識はある。
基本的な約束事の理解は出来ているようだ。
もちろん、今後はそれにプラスして様々な事を身に付けていかなくてはならないが、とりあえず基本的な事についてはまずは及第点といった所だろう。
問題となるのは、あまりにも脩蔵頼みになってしまう得点パターンを、いかにしてもっと多くの形作りに繋いでいけるかという事だ。
脩蔵の個人技による突破は、それはそれは大したものである。
しかしその間、周りの選手は何をしているの?
攻め上がる脩蔵の姿を見ているだけになっていないか?
脩蔵に任せれば点を取ってくれる、ではチームとして不十分だ。
脩蔵が出られない時はどうするの?
クロスボールに合わせてゴールを決める成良のパターンも武器である。
最近はシュートコースへのこだわりも見え始めてきているので、傾向としては良い。
タイプの違う点取り屋がいるというのは強みではある。
しかし総合的に見ると、個人の能力による点のイメージがぬぐえない。
相手をねじ伏せる得点だけでなく、相手を翻弄する得点というものも期待したいところである。
その為には、フィールドにいる選手全員が、「チームとして戦うこと」の意義を感じてなければいけない。
自分で点を取りに行く事はもちろん大事だ。
しかしせっかくの練習試合なので、点を取れる状況であるならば、ゲームを組み立てる事への執着も欲しいところだ。
ただ試合して点を取りました、勝ちましたでは、その先のレベルの壁に遭遇した時に対処出来なくなる。
体力の面を考慮しても、体力の使いどころというものが掴めなくては、いざという時に一歩が出なくなることも考えられる。
今回みたいに暑い中でプレーする状況であればなおさらだ。
一度にあれもこれもと言ってしまうと混乱することは必至なのだが、ひとつの結果で満足しているほど時間的に余裕は無い。
詰め込み教育をするつもりも無いが、それぞれが考えながらプレーしていくことも要求していきたい。
レベルアップとはそういうものだ。
今は確実に形が出来始めている。
それを一回毎にリセットすることなく、永遠に「足し算」していって欲しい。
目指すもの、理想は高くてもいい。
それが目標になるならば。
みんな、「目標」を自分の中に持っているかい?
セーラーに向けての課題を修正する事が目的だ。
さらに、季節はずれの暑さが、今後の夏シーズンの前哨戦の役割も果たし、環境としては一石二鳥となった。
内容に関して言えば、60点という所だろうか。
確認出来た事は、個の能力を活かした得点は出来るという事。
特に成良、脩蔵の得点能力は、お墨付きと言ってもいい。
守備に関しても、アプローチ&カバーの意識はある。
基本的な約束事の理解は出来ているようだ。
もちろん、今後はそれにプラスして様々な事を身に付けていかなくてはならないが、とりあえず基本的な事についてはまずは及第点といった所だろう。
問題となるのは、あまりにも脩蔵頼みになってしまう得点パターンを、いかにしてもっと多くの形作りに繋いでいけるかという事だ。
脩蔵の個人技による突破は、それはそれは大したものである。
しかしその間、周りの選手は何をしているの?
攻め上がる脩蔵の姿を見ているだけになっていないか?
脩蔵に任せれば点を取ってくれる、ではチームとして不十分だ。
脩蔵が出られない時はどうするの?
クロスボールに合わせてゴールを決める成良のパターンも武器である。
最近はシュートコースへのこだわりも見え始めてきているので、傾向としては良い。
タイプの違う点取り屋がいるというのは強みではある。
しかし総合的に見ると、個人の能力による点のイメージがぬぐえない。
相手をねじ伏せる得点だけでなく、相手を翻弄する得点というものも期待したいところである。
その為には、フィールドにいる選手全員が、「チームとして戦うこと」の意義を感じてなければいけない。
自分で点を取りに行く事はもちろん大事だ。
しかしせっかくの練習試合なので、点を取れる状況であるならば、ゲームを組み立てる事への執着も欲しいところだ。
ただ試合して点を取りました、勝ちましたでは、その先のレベルの壁に遭遇した時に対処出来なくなる。
体力の面を考慮しても、体力の使いどころというものが掴めなくては、いざという時に一歩が出なくなることも考えられる。
今回みたいに暑い中でプレーする状況であればなおさらだ。
一度にあれもこれもと言ってしまうと混乱することは必至なのだが、ひとつの結果で満足しているほど時間的に余裕は無い。
詰め込み教育をするつもりも無いが、それぞれが考えながらプレーしていくことも要求していきたい。
レベルアップとはそういうものだ。
今は確実に形が出来始めている。
それを一回毎にリセットすることなく、永遠に「足し算」していって欲しい。
目指すもの、理想は高くてもいい。
それが目標になるならば。
みんな、「目標」を自分の中に持っているかい?
追悼、冨田勲
作曲家の冨田勲氏が亡くなった。
このブログでも特集したばかりだったのに。
またひとつ、オレの音楽カルチャーに少なからぬ影響を与えた音楽家がこの世を去っていった。
冨田勲と言えば、手塚治虫作品の常連として知られている。
ほかにも特撮ドラマ、テレビ番組のテーマ曲、映画などでも幅広く活躍した作曲家である。
詳しくは2014年7月の特集記事をご覧下さい。
「リボンの騎士」
「ジャングル大帝」
「マイティジャック」
「キャプテンウルトラ」
「新日本紀行」
「きょうの料理」
独特の「音響」をもつオーケストレーションはもちろん、和楽器を巧みに使った「日本の原風景」を音楽で表現したり、誰の耳にも馴染む明快な音楽など、意識して知っている事はなくても、氏の音楽を聴かずに育った世代はないと思えるほどに、広く一般に浸透している。
そして特筆すべきは、シンセサイザーを主体とした音楽の最初期の人物だということである。
日本で初めて、アナログ・シンセサイザー「MOOGⅢ-P」を個人輸入した人物でもあり、のちの音楽界に大いなる影響を与えている。
日本人として初めてグラミー賞にノミネートされたことでも知られており、海外での評価は日本の評価の比ではない。
当時のシンセサイザーはモノ・シンセ(同時発音数が1音)がほとんどで、和音を作り出すには、和音数分の音をひとつひとつ重ねて録音していく必要がある。
当時は簡易的なシーケンサー(自動演奏機能)しかなく、そのほとんどを手弾きで何度も重ねていくという技法しか無かった。
フルオーケストラの作品ともなると、それを100も200も重ねなければならない、気の遠くなる様な作業を経て作品を作り出していた。
クラシック音楽をシンセサイザーで表現し、シンセサイザーの可能性を世界中に知らしめたという点では、1971年に発売された「スイッチト・オン・バッハ」を作ったウォルター・カーロス(現在は性転換してウェンディ・カーロス)と共に、シンセサイザーの第一人者として世界規模での高い評価を受けた。
ただクラシックを模倣するのではなく、シンセサイザーならではの音色を使い、時には近未来的に、時にはユーモラスに表現し、シンセサイザーの持つ音楽的可能性を見事に提示した。
のちにクラフトワーク、イエロー・マジック・オーケストラが、シンセサイザーをロックの世界に取り入れ、「テクノ」というジャンルが発生したのは周知の通り。
スティービー・ワンダーも氏のファンを公言しており、のちに一緒にライブ演奏している。
世界の音楽界に多大なる影響を与えた冨田勲氏の冥福を祈りつつ、氏が製作した「ドビュッシーのアラベスク1番」を張り付けておこう。
「アラベスク1番/ドビュッシー(1974)」
冨田氏に、「Rest In Peace」。
このブログでも特集したばかりだったのに。
またひとつ、オレの音楽カルチャーに少なからぬ影響を与えた音楽家がこの世を去っていった。
冨田勲と言えば、手塚治虫作品の常連として知られている。
ほかにも特撮ドラマ、テレビ番組のテーマ曲、映画などでも幅広く活躍した作曲家である。
詳しくは2014年7月の特集記事をご覧下さい。
「リボンの騎士」
「ジャングル大帝」
「マイティジャック」
「キャプテンウルトラ」
「新日本紀行」
「きょうの料理」
独特の「音響」をもつオーケストレーションはもちろん、和楽器を巧みに使った「日本の原風景」を音楽で表現したり、誰の耳にも馴染む明快な音楽など、意識して知っている事はなくても、氏の音楽を聴かずに育った世代はないと思えるほどに、広く一般に浸透している。
そして特筆すべきは、シンセサイザーを主体とした音楽の最初期の人物だということである。
日本で初めて、アナログ・シンセサイザー「MOOGⅢ-P」を個人輸入した人物でもあり、のちの音楽界に大いなる影響を与えている。
日本人として初めてグラミー賞にノミネートされたことでも知られており、海外での評価は日本の評価の比ではない。
当時のシンセサイザーはモノ・シンセ(同時発音数が1音)がほとんどで、和音を作り出すには、和音数分の音をひとつひとつ重ねて録音していく必要がある。
当時は簡易的なシーケンサー(自動演奏機能)しかなく、そのほとんどを手弾きで何度も重ねていくという技法しか無かった。
フルオーケストラの作品ともなると、それを100も200も重ねなければならない、気の遠くなる様な作業を経て作品を作り出していた。
クラシック音楽をシンセサイザーで表現し、シンセサイザーの可能性を世界中に知らしめたという点では、1971年に発売された「スイッチト・オン・バッハ」を作ったウォルター・カーロス(現在は性転換してウェンディ・カーロス)と共に、シンセサイザーの第一人者として世界規模での高い評価を受けた。
ただクラシックを模倣するのではなく、シンセサイザーならではの音色を使い、時には近未来的に、時にはユーモラスに表現し、シンセサイザーの持つ音楽的可能性を見事に提示した。
のちにクラフトワーク、イエロー・マジック・オーケストラが、シンセサイザーをロックの世界に取り入れ、「テクノ」というジャンルが発生したのは周知の通り。
スティービー・ワンダーも氏のファンを公言しており、のちに一緒にライブ演奏している。
世界の音楽界に多大なる影響を与えた冨田勲氏の冥福を祈りつつ、氏が製作した「ドビュッシーのアラベスク1番」を張り付けておこう。
「アラベスク1番/ドビュッシー(1974)」
冨田氏に、「Rest In Peace」。
トライ&エラーの日々
セーラーに向けての武者修行は続く。
土曜日はゆはずとの合同練習の形での練習試合。
日曜日は、ディアブロスの主催による交流大会。
リーグでは安定した結果を残してきたFCだが、それが慢心にならないようにする事も必要になってきた。
土曜日のゆはずの仕上がりぶりは、こちらの想像を超えるものだった。
とある制限下の中での相手をしてくれたのだが、制限されているとは思えないほどのスムーズな組み立てだった。
今年のFCが苦手としているタイプのスタイルで、かなり翻弄された印象だった。
翌日は一戸、浄法寺、久慈、二戸の4チームでの交流戦だったが、前回のブログでも書いた様に、力技的な部分がまだ色濃く残っている。
一戸、浄法寺共に、圧倒的に支配したとは言えず、ただ「勝つ事」だけを見ていた感じがした。
もちろん試合をする上で勝ちを目指す事は当たり前なのだが、与えられたテーマについて考えながらプレーしようとしていたのは、出席メンバーの半分以下になってしまった。
浄法寺戦の後半は、課題として出された事を体現しようとする姿が見られたものの、久慈戦ではそれが見られず、結果久慈には敗北した。
フルメンバーじゃない、1日5試合もやって疲れている、というのは言い訳だし相手も同じ条件だ。
1ヵ月後にはセーラーが待ち構えている事を考えて、体力の増強は難しいとしても、試合展開の作り方のきっかけでも見つけてくれるといいのだが。
それを何とか気付かせてあげられるように、厳しくするところは厳しくしていかなくては。
負けて泣きたくないなら努力するしかない。
努力し続けるためには、その中に楽しさを見つけてもらいたい。
まだまだこれからだ。
土曜日はゆはずとの合同練習の形での練習試合。
日曜日は、ディアブロスの主催による交流大会。
リーグでは安定した結果を残してきたFCだが、それが慢心にならないようにする事も必要になってきた。
土曜日のゆはずの仕上がりぶりは、こちらの想像を超えるものだった。
とある制限下の中での相手をしてくれたのだが、制限されているとは思えないほどのスムーズな組み立てだった。
今年のFCが苦手としているタイプのスタイルで、かなり翻弄された印象だった。
翌日は一戸、浄法寺、久慈、二戸の4チームでの交流戦だったが、前回のブログでも書いた様に、力技的な部分がまだ色濃く残っている。
一戸、浄法寺共に、圧倒的に支配したとは言えず、ただ「勝つ事」だけを見ていた感じがした。
もちろん試合をする上で勝ちを目指す事は当たり前なのだが、与えられたテーマについて考えながらプレーしようとしていたのは、出席メンバーの半分以下になってしまった。
浄法寺戦の後半は、課題として出された事を体現しようとする姿が見られたものの、久慈戦ではそれが見られず、結果久慈には敗北した。
フルメンバーじゃない、1日5試合もやって疲れている、というのは言い訳だし相手も同じ条件だ。
1ヵ月後にはセーラーが待ち構えている事を考えて、体力の増強は難しいとしても、試合展開の作り方のきっかけでも見つけてくれるといいのだが。
それを何とか気付かせてあげられるように、厳しくするところは厳しくしていかなくては。
負けて泣きたくないなら努力するしかない。
努力し続けるためには、その中に楽しさを見つけてもらいたい。
まだまだこれからだ。