トータル・フットボールの礎、ヨハン・クライフ逝く
1960年代から1970年代にかけて、世界のフットボール界に革命を起こした、「トータル・フットボール」の礎であるヨハン・クライフがこの世を去った。
「空飛ぶオランダ人(Flying Dutchman)」の愛称でも親しまれた。
ヘビースモーカーだった事が災いしたのか、肺ガンだったそうだ。
監督時代には、ベンチでもタバコを吸うシーンを見ることもあったが、のちに医者に止められ、チュッパチャプスを舐めるようになっていたのも、今では懐かしい思い出だ。
余談だが、チュッパチャプスのロゴは、スペインの画家サルバドール・ダリのデザインである。
当然リアルタイムで見ていた世代ではない。
しかし、現在のフットボールの進化の過程には、必ずと言っていいほどクライフの存在がある。
流麗なボールコントロールとスピード。
テクニックの高さは、当時ブラジルを初めとする南米の天下のように思われていたが、右足でも左足でも、インサイドでもアウトサイドでもヒールでも使いこなすだけの能力を備えているテクニシャンであったことが伺えるので、是非とも貼り付けた動画を観て頂きたい。
クライフの足跡として一番に上げられる「トータル・フットボール」。
簡単に言うと、「全員攻撃全員守備」の基礎となったものだ。
オランダの名将リヌス・ミケルスの提唱するトータル・フットボールは、それまでのポジションによる役割分担という概念を覆すものだった。
ボールを持った選手の後ろからもどんどん選手が上がって行き、前線の選手も積極的に守備に関わるというものだった。
これまでのフォーメーションとしての革命はあったものの、ボールを持つ選手を中心として周りが連動していくという図式は見られなかった。
ミケルスの考えを体現するキー・プレイヤーとしてクライフの存在があり、それは特に攻撃の面で発揮された。
1974年西ドイツ(当時)大会でのオランダの活躍は、もはやワールドカップ史上の伝説となっている。
最後はメンタルの弱さに泣いたオランダだが、この新しいフットボールの形は、その後選手として、監督として所属する事になるバルセロナのスタイルとして継承され、およそ40年の時を経て、スペインのフットボールに集約される事となり、世界一を獲得するに至った。
このトータル・フットボールは、攻撃面に特化したものであり、その当時から「パスを出す時に重要なのは、パスを受ける選手の1m先に正確にボールを出す事で、攻撃の流れるスピード殺してはならない」という理念があった。
また、「AがBにパスを出す時、CはBからどこにパスを引き出すかを考えなければならない。」という、現在で言う「3人目の動き」というものを、50年以上前から提唱している。
さらにクライフは「選手の走る距離は問題ではない。3kmしか走らなくても済むならそれに越したことは無い。たくさん距離を走った身体的な疲れにより、肝心な場面で精度を欠くプレーをするなど愚の骨頂。」とまで発言している。
この事から導き出せるのは、「フットボールとは、常に考えて、常に効率化を目指すスポーツである。」という事なのかも知れない。
それを実践するために必要な基礎技術を磨く事こそが近道なのかも知れない。
「今の少年達は勝ち負け、争う事、競う事ばかりで、握り拳を握りながら、歯を食いしばってプレーするばかりで、自分の技術を高める事を忘れている。」と嘆くコメントも残しており、そこには「楽しむ」という事こそが基本だと言っているような気がする。
結局現役時代のプレーをリアルタイムで見る事は無かったし、本人を目にする機会にも恵まれなかった。
しかし、現代フットボールの礎として、今や誰一人影響を受けていない人はいないのであろう。
謹んでご冥福をお祈りします。
Johan Cruyff / 1947 - 2016
「空飛ぶオランダ人(Flying Dutchman)」の愛称でも親しまれた。
ヘビースモーカーだった事が災いしたのか、肺ガンだったそうだ。
監督時代には、ベンチでもタバコを吸うシーンを見ることもあったが、のちに医者に止められ、チュッパチャプスを舐めるようになっていたのも、今では懐かしい思い出だ。
余談だが、チュッパチャプスのロゴは、スペインの画家サルバドール・ダリのデザインである。
当然リアルタイムで見ていた世代ではない。
しかし、現在のフットボールの進化の過程には、必ずと言っていいほどクライフの存在がある。
流麗なボールコントロールとスピード。
テクニックの高さは、当時ブラジルを初めとする南米の天下のように思われていたが、右足でも左足でも、インサイドでもアウトサイドでもヒールでも使いこなすだけの能力を備えているテクニシャンであったことが伺えるので、是非とも貼り付けた動画を観て頂きたい。
クライフの足跡として一番に上げられる「トータル・フットボール」。
簡単に言うと、「全員攻撃全員守備」の基礎となったものだ。
オランダの名将リヌス・ミケルスの提唱するトータル・フットボールは、それまでのポジションによる役割分担という概念を覆すものだった。
ボールを持った選手の後ろからもどんどん選手が上がって行き、前線の選手も積極的に守備に関わるというものだった。
これまでのフォーメーションとしての革命はあったものの、ボールを持つ選手を中心として周りが連動していくという図式は見られなかった。
ミケルスの考えを体現するキー・プレイヤーとしてクライフの存在があり、それは特に攻撃の面で発揮された。
1974年西ドイツ(当時)大会でのオランダの活躍は、もはやワールドカップ史上の伝説となっている。
最後はメンタルの弱さに泣いたオランダだが、この新しいフットボールの形は、その後選手として、監督として所属する事になるバルセロナのスタイルとして継承され、およそ40年の時を経て、スペインのフットボールに集約される事となり、世界一を獲得するに至った。
このトータル・フットボールは、攻撃面に特化したものであり、その当時から「パスを出す時に重要なのは、パスを受ける選手の1m先に正確にボールを出す事で、攻撃の流れるスピード殺してはならない」という理念があった。
また、「AがBにパスを出す時、CはBからどこにパスを引き出すかを考えなければならない。」という、現在で言う「3人目の動き」というものを、50年以上前から提唱している。
さらにクライフは「選手の走る距離は問題ではない。3kmしか走らなくても済むならそれに越したことは無い。たくさん距離を走った身体的な疲れにより、肝心な場面で精度を欠くプレーをするなど愚の骨頂。」とまで発言している。
この事から導き出せるのは、「フットボールとは、常に考えて、常に効率化を目指すスポーツである。」という事なのかも知れない。
それを実践するために必要な基礎技術を磨く事こそが近道なのかも知れない。
「今の少年達は勝ち負け、争う事、競う事ばかりで、握り拳を握りながら、歯を食いしばってプレーするばかりで、自分の技術を高める事を忘れている。」と嘆くコメントも残しており、そこには「楽しむ」という事こそが基本だと言っているような気がする。
結局現役時代のプレーをリアルタイムで見る事は無かったし、本人を目にする機会にも恵まれなかった。
しかし、現代フットボールの礎として、今や誰一人影響を受けていない人はいないのであろう。
謹んでご冥福をお祈りします。
Johan Cruyff / 1947 - 2016
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蹴生杯のネタを書いてたら
先日までブログネタとなっていた「蔵出し写真シリーズ」。
蹴生杯が今週開催される事に関連したのか、アーカイブの中からこんな写真が出てきたので貼り付けてみた。
一見どこもおかしくはないのだが、後列中央に堂々と佇むスター「たくみ」がいた。
そう言えばこの年、秋田カップの解散後、何の気無しに蹴生杯に誘っていた。
語弊はあるかも知れないが、さすがに所属チームが違うのでどうかなぁと思っていたのだが、あっさり「行きます」と言ったらしい。
ゲストとして招き入れ、仲の良かったこの世代の面々との交流を楽しんでくれたようだった。
この後も何かと縁があったためか、実に違和感なく写真に納まっている。
今現在、相も変わらず苦労しているという話が聞こえてきたが、どうしているかな?

それにしても、全日程が終了してからの撮影だったためか、全員が疲れ切った顔をしている・・・。
蹴生杯が今週開催される事に関連したのか、アーカイブの中からこんな写真が出てきたので貼り付けてみた。
一見どこもおかしくはないのだが、後列中央に堂々と佇むスター「たくみ」がいた。
そう言えばこの年、秋田カップの解散後、何の気無しに蹴生杯に誘っていた。
語弊はあるかも知れないが、さすがに所属チームが違うのでどうかなぁと思っていたのだが、あっさり「行きます」と言ったらしい。
ゲストとして招き入れ、仲の良かったこの世代の面々との交流を楽しんでくれたようだった。
この後も何かと縁があったためか、実に違和感なく写真に納まっている。
今現在、相も変わらず苦労しているという話が聞こえてきたが、どうしているかな?

それにしても、全日程が終了してからの撮影だったためか、全員が疲れ切った顔をしている・・・。
今週末は「蹴生杯」
何となく、6送会も終わって「聖斗世代ロス」とでも言える様な状態が続き、家業の忙しさも相まって、自分自身が浮き足立っているような感じがする。
そうこうしている内に、毎年恒例の黒石遠征「蹴生杯」が今週末に迫った。
今回は両日共に参加予定だが、思いがけず身体を壊してしまい、夜の指導者懇親会を断念する事にした。
今年も大物ゲストが来て下さるというのに残念だ。
昨年に引き続き、元Jリーガー「小村」さんと、亮弥パパが泣いて喜ぶ「久保」さんがやって来るそうだ。
深酒する事が出来ないので、レセプションが終わったら宿に戻って、ほんの少しだけ、静かに缶チューハイでも空けようかと思案中。
小村さん、久保さんとは、試合の中で交流させて頂こう。
いやいや、それよりも選手達の意識の持ち様がはみ出さないように監視しなくては。
宿での事を任された以上、そこはしっかり監視して、就寝時間の厳守だけは徹底させるとしよう。
あまり四の五の言わない交流戦ではあるが、試合そのものは真剣にやらないと、わざわざ呼んで頂いたのに失礼にあたるし、遠征に行く意味すら無くなってしまいかねない。
やるべき事をきちんとやった上で、楽しむべき所は楽しむというスタンスにしないとね。
6年生との最後の交流の場であると共に、次世代との世代交代の場でもある。
これからの行く末を占う上での大事な場にさせてやれるといいなぁ。
そうこうしている内に、毎年恒例の黒石遠征「蹴生杯」が今週末に迫った。
今回は両日共に参加予定だが、思いがけず身体を壊してしまい、夜の指導者懇親会を断念する事にした。
今年も大物ゲストが来て下さるというのに残念だ。
昨年に引き続き、元Jリーガー「小村」さんと、亮弥パパが泣いて喜ぶ「久保」さんがやって来るそうだ。
深酒する事が出来ないので、レセプションが終わったら宿に戻って、ほんの少しだけ、静かに缶チューハイでも空けようかと思案中。
小村さん、久保さんとは、試合の中で交流させて頂こう。
いやいや、それよりも選手達の意識の持ち様がはみ出さないように監視しなくては。
宿での事を任された以上、そこはしっかり監視して、就寝時間の厳守だけは徹底させるとしよう。
あまり四の五の言わない交流戦ではあるが、試合そのものは真剣にやらないと、わざわざ呼んで頂いたのに失礼にあたるし、遠征に行く意味すら無くなってしまいかねない。
やるべき事をきちんとやった上で、楽しむべき所は楽しむというスタンスにしないとね。
6年生との最後の交流の場であると共に、次世代との世代交代の場でもある。
これからの行く末を占う上での大事な場にさせてやれるといいなぁ。
2015年度 二戸FC卒団記念アーカイブス その13
蔵出し写真シリーズ。
2015年度シリーズといいながら、ちょっと脱線しつつあるので、この辺で歯止めをかけておきましょう。
いずれネタが尽きてきたら、またこのシリーズやってみようと思います。
ということは、「最近ネタ切れだったのか?」と突っ込まれますね。
最後は凌馬。
顔の表情は引き締まってきたものの、今とほとんど変わらないまま大人になった印象だ。
隣にいるのは隼平です。

オレがFCに手伝いに来る前は、練習を抜け出してカエルを捕まえに行ったりしていたらしい。
袋いっぱいのカエルを母親に差し出して大騒ぎになった事もあったとか。
さらにオレのカメラを使って、こんな写真まで撮っていやがった。
後ろにいるのは竜人だな。

そんな凌馬も、盛商の3年生としてトップチームにいる。
高校時代最後の一年に全てを賭けようとしている。
時の流れというものは恐ろしいですわ。
一旦特集としての蔵出しはここで終了します。
今後も単発で紹介する事があると思いますので、お楽しみに。
2015年度シリーズといいながら、ちょっと脱線しつつあるので、この辺で歯止めをかけておきましょう。
いずれネタが尽きてきたら、またこのシリーズやってみようと思います。
ということは、「最近ネタ切れだったのか?」と突っ込まれますね。
最後は凌馬。
顔の表情は引き締まってきたものの、今とほとんど変わらないまま大人になった印象だ。
隣にいるのは隼平です。

オレがFCに手伝いに来る前は、練習を抜け出してカエルを捕まえに行ったりしていたらしい。
袋いっぱいのカエルを母親に差し出して大騒ぎになった事もあったとか。
さらにオレのカメラを使って、こんな写真まで撮っていやがった。
後ろにいるのは竜人だな。

そんな凌馬も、盛商の3年生としてトップチームにいる。
高校時代最後の一年に全てを賭けようとしている。
時の流れというものは恐ろしいですわ。
一旦特集としての蔵出しはここで終了します。
今後も単発で紹介する事があると思いますので、お楽しみに。
2015年度 二戸FC卒団記念アーカイブス その12
2015年度 二戸FC卒団記念アーカイブス その11
2015年度 二戸FC卒団記念アーカイブス その10
2015年度 二戸FC卒団記念アーカイブス その9
蔵出し写真シリーズ。
今回は翔吾。
4年生時のU-10リーグでの1コマ。

まだU-10仕様の白ユニを着ていた頃。
この直後、崇楽と共にトップチームに昇格し、揃って全少の予選に出場。
公式戦デビューすることになる。
本人は嫌がるかも知れないが、こう見るとキック時のフォームと足首の感じが響希とそっくりだ。
この足首の柔らかさは、兄妹揃って備わった大きな武器だ。
強いボールもさることながら、勢いのある柔らかい弾道のボールを蹴る事が出来るのは、この足首の柔らかさに起因している。

そんな翔吾も、最近は身体を苛める練習の楽しさが分かってきたらしい。
一見無意味に思える様な、バカバカしいほどの「ドM」練習が、いつの日か役立つ日が来ると思っているぞ。
今回は翔吾。
4年生時のU-10リーグでの1コマ。

まだU-10仕様の白ユニを着ていた頃。
この直後、崇楽と共にトップチームに昇格し、揃って全少の予選に出場。
公式戦デビューすることになる。
本人は嫌がるかも知れないが、こう見るとキック時のフォームと足首の感じが響希とそっくりだ。
この足首の柔らかさは、兄妹揃って備わった大きな武器だ。
強いボールもさることながら、勢いのある柔らかい弾道のボールを蹴る事が出来るのは、この足首の柔らかさに起因している。

そんな翔吾も、最近は身体を苛める練習の楽しさが分かってきたらしい。
一見無意味に思える様な、バカバカしいほどの「ドM」練習が、いつの日か役立つ日が来ると思っているぞ。
2015年度 二戸FC卒団記念アーカイブス その8
蔵出し写真シリーズ。
今回は亮弥の兄、航平。
まだ大会でのチームへの帯同が許されていなかった頃、「ただ見ているのも芸が無いので、写真でも撮ろうかな」と、突然デジカメにハマり始めた父親からカメラを借りて撮影してみた。
全少のトーナメントでの1コマ。
この直後、航平はゴール真正面20m程の距離のフリーキックを決め、ベスト8にコマを進めたのである。
これ以降、チームスタッフとして審判をやったり、練習の手伝いをする事になり、撮影はお預けとなった。
この年代は数枚しか残されておらず、翌年度は6送会で撮った写真しかなかった・・・。
もっと撮っておけばよかった・・・。
と言っても、この頃のオレは赤貧に喘いでおり、デジカメを買う余裕なんて無かったんだけどね・・・。
まったく、兄弟揃って絵になるなんて、うらやましすぎる。
今回は亮弥の兄、航平。
まだ大会でのチームへの帯同が許されていなかった頃、「ただ見ているのも芸が無いので、写真でも撮ろうかな」と、突然デジカメにハマり始めた父親からカメラを借りて撮影してみた。
全少のトーナメントでの1コマ。
この直後、航平はゴール真正面20m程の距離のフリーキックを決め、ベスト8にコマを進めたのである。
これ以降、チームスタッフとして審判をやったり、練習の手伝いをする事になり、撮影はお預けとなった。
この年代は数枚しか残されておらず、翌年度は6送会で撮った写真しかなかった・・・。
もっと撮っておけばよかった・・・。
と言っても、この頃のオレは赤貧に喘いでおり、デジカメを買う余裕なんて無かったんだけどね・・・。
まったく、兄弟揃って絵になるなんて、うらやましすぎる。

2015年度 二戸FC卒団記念アーカイブス その7
蔵出し写真シリーズ。
今回は亮弥。
恐らく3年生の時と思われる。
トップチームでのデビュー間もない頃。
凌馬と一緒にプレーしているので、3年生の時にはトップチームにいたという事だ。
この時使っていたデジカメは、画素数も少なく、動きに弱くてブレっぱなしだったなぁ。

この頃からチームの要となる事を嘱望されていた節があった。
それは中学でも変わらない様で、つくづく苦労人だなぁと思ってしまう。
そうさせたのはこっちの責任でもあるけど・・・。
恐らく今対戦したらあっさりと負けるだろうなぁ・・・。
基本変わっていないが、「大人の顔」になっていることが分かる。
中学校一年生大会の時の写真も貼っておこう。
それにしても「絵になる男」だなぁ。

今回は亮弥。
恐らく3年生の時と思われる。
トップチームでのデビュー間もない頃。
凌馬と一緒にプレーしているので、3年生の時にはトップチームにいたという事だ。
この時使っていたデジカメは、画素数も少なく、動きに弱くてブレっぱなしだったなぁ。

この頃からチームの要となる事を嘱望されていた節があった。
それは中学でも変わらない様で、つくづく苦労人だなぁと思ってしまう。
そうさせたのはこっちの責任でもあるけど・・・。
恐らく今対戦したらあっさりと負けるだろうなぁ・・・。
基本変わっていないが、「大人の顔」になっていることが分かる。
中学校一年生大会の時の写真も貼っておこう。
それにしても「絵になる男」だなぁ。
