2015年度 二戸FC卒団生紹介シリーズ FILE.01
いよいよ今年もこの季節がやってきた。
ずっと活動を共にしてきた6年生達が巣立って行く時が来た。
少ない人数ながらも、5年生達を引っ張り、6年生同士の結び付きを強固なものにし、最後の最後まで頑張り続けてくれた。
歴史を作った面々を、今年も一人ずつ紹介していこう。
No.10 MF 中野聖斗
個人技とパスセンスを併せ持つ、まさに「ゲームメーカー」で、「10番」的なプレーヤーである。
個人技に長け、ボールコントロールの上手さはチームNo.1。
全体を見渡せる広い視野を持ち、相手との間合いを図る能力に優れ、決定的な場面を作り出せるパス技術も備えている。
小柄な体を生かして中盤を走り回り、時にはトップに、時には最終ラインにと、プレーエリアの広さはチーム随一。
何よりも、走ることをサボらない姿勢は、他の選手の模範となっている。
さらに、周りへの声掛けもよく出来ており、ボールを受ける時も、パスを出す時も、常に味方に声掛けをしている。
ここぞという時に点を取る得点感覚も備え、いるといないではチームのカラーが全く違ってしまうほどに、チームに欠かす事の出来ない存在となった。
スタミナ的には問題無いものの、膝に抱えている「爆弾」のため、長丁場の大会では休む事もあった。
気持ちが急いて来たり、上手くいかない状態が続くと、ついつい自分本位のプレーが出てしまう事もあり、無理なプレーからボールを失う事も多々あった。
課題としては、精神的な忍耐力を養う事だ。
自らがチームの中心である事を認識した上で、自分のプレーが回りにどう影響を与えるのかを考えながらプレーして欲しい。
小学校に入る前から交流してきた聖斗。
FCに参加して以来、もっとも長い間付き合ってきた選手である。

ずっと活動を共にしてきた6年生達が巣立って行く時が来た。
少ない人数ながらも、5年生達を引っ張り、6年生同士の結び付きを強固なものにし、最後の最後まで頑張り続けてくれた。
歴史を作った面々を、今年も一人ずつ紹介していこう。
No.10 MF 中野聖斗
個人技とパスセンスを併せ持つ、まさに「ゲームメーカー」で、「10番」的なプレーヤーである。
個人技に長け、ボールコントロールの上手さはチームNo.1。
全体を見渡せる広い視野を持ち、相手との間合いを図る能力に優れ、決定的な場面を作り出せるパス技術も備えている。
小柄な体を生かして中盤を走り回り、時にはトップに、時には最終ラインにと、プレーエリアの広さはチーム随一。
何よりも、走ることをサボらない姿勢は、他の選手の模範となっている。
さらに、周りへの声掛けもよく出来ており、ボールを受ける時も、パスを出す時も、常に味方に声掛けをしている。
ここぞという時に点を取る得点感覚も備え、いるといないではチームのカラーが全く違ってしまうほどに、チームに欠かす事の出来ない存在となった。
スタミナ的には問題無いものの、膝に抱えている「爆弾」のため、長丁場の大会では休む事もあった。
気持ちが急いて来たり、上手くいかない状態が続くと、ついつい自分本位のプレーが出てしまう事もあり、無理なプレーからボールを失う事も多々あった。
課題としては、精神的な忍耐力を養う事だ。
自らがチームの中心である事を認識した上で、自分のプレーが回りにどう影響を与えるのかを考えながらプレーして欲しい。
小学校に入る前から交流してきた聖斗。
FCに参加して以来、もっとも長い間付き合ってきた選手である。

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秋田カップ道中記 2016
亮弥世代に初めて参加した秋田カップ。
その時は完全に「観戦者・父兄目線」だったのだが・・・。
今年で3年目となる参加だったこの大会。
今回から、フィールドが土から人工芝に変わっていた。
どこも人工芝への改修が進み、ドーム球場が増えてきている。
県北に・・・とは贅沢な希望だが、いつかこういう施設が近場に出来てほしいものだ。
さて、今回付きっ切りという訳にはいかなかったが、出来る限りチームにくっついて歩いた。
選抜チームである事を考えても、個性派揃いのメンバーの中で、他人の倍も努力する姿勢、他人には無い強みというものを表現しないと、チームの中で埋もれてしまう事が多々ある。
小学生時代の締めくくりと言っては大袈裟かも知れないが、選抜チームに選ばれた特権というものを意識していたようには見えなかった。
決してテキトーにやっていたという意味ではないが、各チームから選ばれて集った中で、さらにその中から輝きを示そうとしていたメンバーは少なかった様に思える。
今回二戸FCから選ばれた4名の6年生も、厳しい目で見れば、若干周りの選手の陰に隠れていた印象がある。
聖斗は中盤の混雑を抜け出せずにいたし、奎介は勢いが空回りして膝の怪我を悪化させてしまったし、明里はフィジカルに持っていかれると脆さを見せ、響希はスプリント勝負に弱点をさらけ出した。
選抜チームでの活動となると、「出来て当たり前」的な感じに捉えられがちなので、課題・修正点が目に付きやすい事は確かだ。
もちろんいい点だってたくさんある。
聖斗は攻撃の展開となれば光るものを見せていたし、奎介は前に行こうという姿勢が良く現れ、明里はフィジカル的に寄せられる前に主導権を握る事が出来れば持ち味を存分に発揮出来るし、響希はボールを怖がらずにヘディングをこなしたりフィジカル勝負には強さを見せられたりしている。
しかしながら、やらなければいけない事は、それらの能力をコンスタントに出し、さらに次のステップに繋がるチャレンジをする事にある。
「自分に出来る事を全力で」と言われ、それを実践しようという姿は垣間見られるが、その上でプラスアルファの要素を求める事が出来ていた選手は、全体を通しても少なかった。
ましてや、普段から一緒にプレーしている訳ではない面々が集まったチームである事から、少なくとももっともっとプレー中のコミュニケーションを大事にして欲しかった。
それらは今後の課題として持ち続けて欲しい。
日程終了後の最後の講話で、この大会への意気込みを振り返る話や、次の事を見据える話が出されていた。
個人的に思った事は、「それぞれがこれからをどう思うか」という事だ。
ここに色々書いておきながら、こういう事を言うのもなんだが、「これが良かった」、「ここは直して欲しい」というのは、あくまでも外部からの評価に過ぎない。
外からあれやこれやと言われても、結局は自分自身がどうするのかが大事になる。
これから先は、自分自身で歩を進めないと前には行けない。
経験を糧とするかどうかも自分自身の気持ちひとつで決まる。
少なくとも、今回この大会に参加したメンバーは、その「気持ち」を既に決めていると思っている。
本当に「これから」だからな。
6年生最後の大会と銘打っているものの、これからも変わらずに続いていくフットボール人生である事を期待して。
ひとまず、お疲れさん。

最後に実に個人的な事だが、オレが2年前くらいから明里と響希に練習させていた「ボールを2個使った基礎&応用練習」が、今回U-12監督を務めた笹川監督に気に入られ、最終試合の前に全メンバーに練習させていたのを見て、実に嬉しかった。
その時は完全に「観戦者・父兄目線」だったのだが・・・。
今年で3年目となる参加だったこの大会。
今回から、フィールドが土から人工芝に変わっていた。
どこも人工芝への改修が進み、ドーム球場が増えてきている。
県北に・・・とは贅沢な希望だが、いつかこういう施設が近場に出来てほしいものだ。
さて、今回付きっ切りという訳にはいかなかったが、出来る限りチームにくっついて歩いた。
選抜チームである事を考えても、個性派揃いのメンバーの中で、他人の倍も努力する姿勢、他人には無い強みというものを表現しないと、チームの中で埋もれてしまう事が多々ある。
小学生時代の締めくくりと言っては大袈裟かも知れないが、選抜チームに選ばれた特権というものを意識していたようには見えなかった。
決してテキトーにやっていたという意味ではないが、各チームから選ばれて集った中で、さらにその中から輝きを示そうとしていたメンバーは少なかった様に思える。
今回二戸FCから選ばれた4名の6年生も、厳しい目で見れば、若干周りの選手の陰に隠れていた印象がある。
聖斗は中盤の混雑を抜け出せずにいたし、奎介は勢いが空回りして膝の怪我を悪化させてしまったし、明里はフィジカルに持っていかれると脆さを見せ、響希はスプリント勝負に弱点をさらけ出した。
選抜チームでの活動となると、「出来て当たり前」的な感じに捉えられがちなので、課題・修正点が目に付きやすい事は確かだ。
もちろんいい点だってたくさんある。
聖斗は攻撃の展開となれば光るものを見せていたし、奎介は前に行こうという姿勢が良く現れ、明里はフィジカル的に寄せられる前に主導権を握る事が出来れば持ち味を存分に発揮出来るし、響希はボールを怖がらずにヘディングをこなしたりフィジカル勝負には強さを見せられたりしている。
しかしながら、やらなければいけない事は、それらの能力をコンスタントに出し、さらに次のステップに繋がるチャレンジをする事にある。
「自分に出来る事を全力で」と言われ、それを実践しようという姿は垣間見られるが、その上でプラスアルファの要素を求める事が出来ていた選手は、全体を通しても少なかった。
ましてや、普段から一緒にプレーしている訳ではない面々が集まったチームである事から、少なくとももっともっとプレー中のコミュニケーションを大事にして欲しかった。
それらは今後の課題として持ち続けて欲しい。
日程終了後の最後の講話で、この大会への意気込みを振り返る話や、次の事を見据える話が出されていた。
個人的に思った事は、「それぞれがこれからをどう思うか」という事だ。
ここに色々書いておきながら、こういう事を言うのもなんだが、「これが良かった」、「ここは直して欲しい」というのは、あくまでも外部からの評価に過ぎない。
外からあれやこれやと言われても、結局は自分自身がどうするのかが大事になる。
これから先は、自分自身で歩を進めないと前には行けない。
経験を糧とするかどうかも自分自身の気持ちひとつで決まる。
少なくとも、今回この大会に参加したメンバーは、その「気持ち」を既に決めていると思っている。
本当に「これから」だからな。
6年生最後の大会と銘打っているものの、これからも変わらずに続いていくフットボール人生である事を期待して。
ひとまず、お疲れさん。

最後に実に個人的な事だが、オレが2年前くらいから明里と響希に練習させていた「ボールを2個使った基礎&応用練習」が、今回U-12監督を務めた笹川監督に気に入られ、最終試合の前に全メンバーに練習させていたのを見て、実に嬉しかった。
秋田カップ前夜
いよいよ年度末も近づいてきた。
本年度もあとわずか。
FCの年間スケジュールも終盤に差し迫っている。
そして、年度末恒例の大きな大会としてあるのが「秋田カップ」。
県北地区と岩手地区合同で構成された、いわゆる選抜チームである。
この秋田カップ、オレ自身は2年前に初めて現地に行ってみた。
その時のメンバーは、亮弥、崇楽、翔吾、眞大。
この年は、父母会チームに便乗して、100%観戦者として参加した。
その節は大変お世話になりました。
お陰様で、今でも昨日の事の様に思い出す事が出来る、いい思い出となりましたわ。
翌年は日曜日だけの参加だったものの、スタッフとして参加し、チーム帯同や審判でお手伝いさせてもらった。
この時のメンバーは、賢心、歩夢。
スタッフサイドとして参加したため、チーム的な観点から見れば思い出深い年だった。
そして今年、スタッフとしての参加が出来るかどうかわからない状態だったので、参加意思表明を保留。
今回は観戦半分・協力半分で、いつもの広報班としての側面も持ちながらの参加とさせてもらった。
今年のメンバーは、聖斗、奎介、響希、明里と、6年生全員が選ばれた。
今年はどんな躍動を見せてくれるだろうか。
大きなイベントとしては、この「秋田カップ」、「6送会」、響希・明里だけだが「ガールズエイト」、そして黒石遠征「蹴生杯」を残すのみ。
という事は、6年生達とのお別れも近いという事だ。
ついつい感傷に浸ってしまいがちなこの時期。
残す交流の場を大事にしよう。
いつもの事だが、自分が出来る事を最大限に出来る様に努力して来いよ。
遅れるけど、オレも行くからな~。
本年度もあとわずか。
FCの年間スケジュールも終盤に差し迫っている。
そして、年度末恒例の大きな大会としてあるのが「秋田カップ」。
県北地区と岩手地区合同で構成された、いわゆる選抜チームである。
この秋田カップ、オレ自身は2年前に初めて現地に行ってみた。
その時のメンバーは、亮弥、崇楽、翔吾、眞大。
この年は、父母会チームに便乗して、100%観戦者として参加した。
その節は大変お世話になりました。
お陰様で、今でも昨日の事の様に思い出す事が出来る、いい思い出となりましたわ。
翌年は日曜日だけの参加だったものの、スタッフとして参加し、チーム帯同や審判でお手伝いさせてもらった。
この時のメンバーは、賢心、歩夢。
スタッフサイドとして参加したため、チーム的な観点から見れば思い出深い年だった。
そして今年、スタッフとしての参加が出来るかどうかわからない状態だったので、参加意思表明を保留。
今回は観戦半分・協力半分で、いつもの広報班としての側面も持ちながらの参加とさせてもらった。
今年のメンバーは、聖斗、奎介、響希、明里と、6年生全員が選ばれた。
今年はどんな躍動を見せてくれるだろうか。
大きなイベントとしては、この「秋田カップ」、「6送会」、響希・明里だけだが「ガールズエイト」、そして黒石遠征「蹴生杯」を残すのみ。
という事は、6年生達とのお別れも近いという事だ。
ついつい感傷に浸ってしまいがちなこの時期。
残す交流の場を大事にしよう。
いつもの事だが、自分が出来る事を最大限に出来る様に努力して来いよ。
遅れるけど、オレも行くからな~。
【音楽】どうにもとまらない/山本リンダ(1972)
「どうにもとまらない/山本リンダ」
別に男を支配したい訳じゃない。
男を見下したい訳ではない。
女の細腕繁盛記とも言える生き様を振り返ってみた時に、忘れかけていた「自分」というものを取り戻す。
初めは生きていく為だったのかも知れない。
うしろゆびを指されても、悪い噂を流されても、帰り着く先は「自分」だった。
♪
噂を信じちゃいけないよ
私の心は初心(うぶ)なのさ
いつでも楽しい夢を見て
生きているのが好きなのさ
本当の「自分」は自分が守らなければという意志の元、こうやって今日も生きていく。
人は誰しもが孤独なのだ。
支離滅裂なシリーズブログになったが、こうやってひとつのテーマを勝手に構築していくと面白い。
昔の歌謡曲には、こういったストーリーが隠されている。
少ない字数で想像力を掻き立てる事の出来る、まさしく「プロの仕事」だ。
今回のシリーズのほとんどの歌は、「作詞:阿久悠」である。
別に男を支配したい訳じゃない。
男を見下したい訳ではない。
女の細腕繁盛記とも言える生き様を振り返ってみた時に、忘れかけていた「自分」というものを取り戻す。
初めは生きていく為だったのかも知れない。
うしろゆびを指されても、悪い噂を流されても、帰り着く先は「自分」だった。
♪
噂を信じちゃいけないよ
私の心は初心(うぶ)なのさ
いつでも楽しい夢を見て
生きているのが好きなのさ
本当の「自分」は自分が守らなければという意志の元、こうやって今日も生きていく。
人は誰しもが孤独なのだ。
支離滅裂なシリーズブログになったが、こうやってひとつのテーマを勝手に構築していくと面白い。
昔の歌謡曲には、こういったストーリーが隠されている。
少ない字数で想像力を掻き立てる事の出来る、まさしく「プロの仕事」だ。
今回のシリーズのほとんどの歌は、「作詞:阿久悠」である。
【音楽】じんじんさせて/山本リンダ(1972)
「じんじんさせて/山本リンダ」
この歌は、男社会の裏側で、その地位を確固たるものにした後の女の物語となっている。
♪
ひとり ふたり 恋の相手は星の数
誰も彼も 花を抱えて 戸を叩く
悪い気はしないけど 眠らせて
好きなものは 全てその手に 抱くがいい
好きな時に 好きな所へ 行くがいい
この世界 君のため あげると言う
ダメダメ 女を口説くのは
どこにもある様な 手じゃダメよ
心がじんじん しびれてみたい
朝も 昼も 夜も構わず 押しかけて
愛で 金で 地位で あれこれ口説くけど
それじゃ まだ燃えないわ あきらめて
多くの男を手玉に取った女のボヤキ。
欲しいものは手に入れたが、金や物だけが全てなのか?と自問自答し始める女心の複雑さの発芽。
あ、ここに書いてあることは、全部オレの想像上のストーリーですよ。
この歌は、男社会の裏側で、その地位を確固たるものにした後の女の物語となっている。
♪
ひとり ふたり 恋の相手は星の数
誰も彼も 花を抱えて 戸を叩く
悪い気はしないけど 眠らせて
好きなものは 全てその手に 抱くがいい
好きな時に 好きな所へ 行くがいい
この世界 君のため あげると言う
ダメダメ 女を口説くのは
どこにもある様な 手じゃダメよ
心がじんじん しびれてみたい
朝も 昼も 夜も構わず 押しかけて
愛で 金で 地位で あれこれ口説くけど
それじゃ まだ燃えないわ あきらめて
多くの男を手玉に取った女のボヤキ。
欲しいものは手に入れたが、金や物だけが全てなのか?と自問自答し始める女心の複雑さの発芽。
あ、ここに書いてあることは、全部オレの想像上のストーリーですよ。
【音楽】狂わせたいの/山本リンダ(1972)
「狂わせたいの/山本リンダ」
歌の紹介は発売順ではないことをお断りした上で、リンダの世界にさらに入って行ってみよう。
子供達にもウケたとはいえ、やっぱり「イロモノ」であることには変わりない。
セクシー歌謡とはちょっと違うんだよなぁ。
状況としては「狙いうち」と似通ったところであるが、自分にモーションをかけてくる男が出始めた状態と言っていいだろう。
その中で、「誰が私を射止めるのかしら?」というシチュエーション。
♪
ボヤボヤしてたら 私は誰かの「いい娘」になっちゃうよ
これほど可愛い女は 二度とはお目にはかかれない
すっかり自信をつけた女の勝負所といった感じだろうか。
ちなみに、作曲は都倉俊一。
ピンクレディーの「サウスポー」の原型か?
歌の紹介は発売順ではないことをお断りした上で、リンダの世界にさらに入って行ってみよう。
子供達にもウケたとはいえ、やっぱり「イロモノ」であることには変わりない。
セクシー歌謡とはちょっと違うんだよなぁ。
状況としては「狙いうち」と似通ったところであるが、自分にモーションをかけてくる男が出始めた状態と言っていいだろう。
その中で、「誰が私を射止めるのかしら?」というシチュエーション。
♪
ボヤボヤしてたら 私は誰かの「いい娘」になっちゃうよ
これほど可愛い女は 二度とはお目にはかかれない
すっかり自信をつけた女の勝負所といった感じだろうか。
ちなみに、作曲は都倉俊一。
ピンクレディーの「サウスポー」の原型か?
【音楽】狙い撃ち/山本リンダ(1973)
「狙い撃ち/山本リンダ」
低迷が続く中、歌の路線変更を行うことになり、奇抜なファッションに扇情的な踊りを組み合わせた「セクシー歌謡」とでも言うべき方向にシフト。
これが大当たりとなり、第2次ブームとなる。
大人の男性にはもちろん、子供達にまで浸透し、ものマネをしない子はいないほどだった。
歌いだしの呪文の様なスキャット(?)は、子供達の絶好の餌となった。
この辺は、漫画「ちびまる子ちゃん」でも描写がある。
♪
ウララ ウララ ウラウラで
ウララ ウララ ウラウラよ
ウララ ウララ ウラウラの
この世は私のためにある
見ててごらん この私
今に乗るわ 玉の輿
磨きかけた この美貌
そうなる値打ちがあるはずよ
弓をキリキリ 心臓めがけ
逃がさない バッと狙いうち
神がくれた この美貌
無駄にしては 罪になる
世界一の 男だけ
この手に触れても構わない
「こまっちゃうナ」と「狙いうち」の間に何があったかは知らないが、この短期間で世の中の無情、醜さ、汚さを知り、女ひとり身体ひとつで世を渡っていく決意をしたのだろう。
決して安売りはせず、孤高の存在として、男社会の裏側で暗躍していく女の姿である。
それにしても最近は「玉の輿」という言葉を聞かなくなったなぁ。
低迷が続く中、歌の路線変更を行うことになり、奇抜なファッションに扇情的な踊りを組み合わせた「セクシー歌謡」とでも言うべき方向にシフト。
これが大当たりとなり、第2次ブームとなる。
大人の男性にはもちろん、子供達にまで浸透し、ものマネをしない子はいないほどだった。
歌いだしの呪文の様なスキャット(?)は、子供達の絶好の餌となった。
この辺は、漫画「ちびまる子ちゃん」でも描写がある。
♪
ウララ ウララ ウラウラで
ウララ ウララ ウラウラよ
ウララ ウララ ウラウラの
この世は私のためにある
見ててごらん この私
今に乗るわ 玉の輿
磨きかけた この美貌
そうなる値打ちがあるはずよ
弓をキリキリ 心臓めがけ
逃がさない バッと狙いうち
神がくれた この美貌
無駄にしては 罪になる
世界一の 男だけ
この手に触れても構わない
「こまっちゃうナ」と「狙いうち」の間に何があったかは知らないが、この短期間で世の中の無情、醜さ、汚さを知り、女ひとり身体ひとつで世を渡っていく決意をしたのだろう。
決して安売りはせず、孤高の存在として、男社会の裏側で暗躍していく女の姿である。
それにしても最近は「玉の輿」という言葉を聞かなくなったなぁ。
【音楽】こまっちゃうナ/山本リンダ(1966)
昨今、ハーフまたは外タレ流行りである。
とにかくハーフタレントを見かけない日は無い。
圧倒的な見てくれの違いと、ちょっとトークが面白かったり世間ズレしていれば、当分の間は安泰な状態にある。
1970年代にもこういった流れがあった。
当時は、全てが全てという訳ではないが、戦後の欧米化の波に乗り、次から次へと外国の息吹きが流れ込んできていた。
別にファンというわけでもないが、ハーフタレントの一例として、今回は山本リンダを取り上げてみよう。
アメリカ人の父、日本人の母の間に生まれ、父は朝鮮戦争で戦死し、極貧生活だったという。
母に楽をさせたい一心から、モデルのオーディションを受けて合格。
この歌がデビュー曲となり、舌っ足らずの口調が人気を呼び、「カワイコちゃん歌手」として人気となった。
この歌はそんなイメージを体現するものとなり、初心な女の子の歌となっている。
時代が時代だし、遠藤実作曲となると、余計に時代を感じる・・・。
レーベル「ミノルフォン」。
知っている人はかなり年配でしょうねぇ。
♪
困っちゃうな デイトに誘われて
どうしよう まだまだ早いかしら
うれしいような こわいような
ドキドキしちゃう 私の胸
ママに聞いたら 何にも言わずに笑っているだけ
困っちゃうな デイトに誘われて
しかしその後は人気が続かず、再び陰りのある生活へと戻る事となる。
とにかくハーフタレントを見かけない日は無い。
圧倒的な見てくれの違いと、ちょっとトークが面白かったり世間ズレしていれば、当分の間は安泰な状態にある。
1970年代にもこういった流れがあった。
当時は、全てが全てという訳ではないが、戦後の欧米化の波に乗り、次から次へと外国の息吹きが流れ込んできていた。
別にファンというわけでもないが、ハーフタレントの一例として、今回は山本リンダを取り上げてみよう。
アメリカ人の父、日本人の母の間に生まれ、父は朝鮮戦争で戦死し、極貧生活だったという。
母に楽をさせたい一心から、モデルのオーディションを受けて合格。
この歌がデビュー曲となり、舌っ足らずの口調が人気を呼び、「カワイコちゃん歌手」として人気となった。
この歌はそんなイメージを体現するものとなり、初心な女の子の歌となっている。
時代が時代だし、遠藤実作曲となると、余計に時代を感じる・・・。
レーベル「ミノルフォン」。
知っている人はかなり年配でしょうねぇ。
♪
困っちゃうな デイトに誘われて
どうしよう まだまだ早いかしら
うれしいような こわいような
ドキドキしちゃう 私の胸
ママに聞いたら 何にも言わずに笑っているだけ
困っちゃうな デイトに誘われて
しかしその後は人気が続かず、再び陰りのある生活へと戻る事となる。
【映画】グラン・ブルー(1988)
「グラン・ブルー(1988)」
監督:リュック・ベッソン
出演:ジャン=マルク・バール、ロザンナ・アークエット、ジャン・レノ
フリーダイビングの世界記録に挑む2人のダイバーの友情と軋轢、そして海にしか生きる場所を見出せない男を愛してしまった女性の心の葛藤を描く海洋ロマン。
10代からダイビングに親しんできたベッソン監督が、長年の夢だった「イルカに魅せられた潜水夫の物語」を、実在の天才ダイバー、ジャック・マイヨールの協力を得て映画化したのが本作。
批評家からは酷評された本作だが、一般公開されると若者達の絶大な支持を集め、映画館前は長蛇の列が出来、割れんばかりの拍手が映画館を埋めるほどの狂騒となった。
フランス国内の観客動員数は1000万人、パリでは187週連続上映という記録を打ちたてた。
映画は社会現象を巻き起こし、第2次フランス映画全盛期「ヌーベル・ヌーベルバーグ」と呼ばれる映画の代表作となった。
その社会現象の只中にいた若者達は「グラン・ブルー・ジェネラシオン」と呼ばれた。
イタリア人フリーダイバー、エンゾはある男を捜していた。
ギリシアの海辺の町で育ったエンゾは、ガキ大将で誰よりも素潜りが得意だったが、彼が唯一認めていたのが、潜水夫の息子である一人の気弱そうな少年だった。
ニューヨークで働く保険調査員ジョアンナは、自動車事故の調査でペルー・アンデス山脈の高地に赴いた。
そこで彼女は、氷結した湖に酸素ボンベもなしに潜水していく一人のダイバーに出会う。
彼の名はジャック・マイヨール。
彼こそがエンゾが捜していた少年の成長した姿だった。
エンゾと再会したジャックは、シチリア島で開催されるフリーダイビング競技会に誘われ、気が進まないながらも出場することになった。
エンゾ、ジャック、そしてジャックを追ってシチリアへやってきたジョアンナの3人が出会い、運命の物語の始まりを告げた。
元々日本では、「グレート・ブルー」というタイトルで、元々132分だったものを短縮して、120分のバージョンで公開された。
同時期のヒット作に興行面で苦杯を舐め、わずか2週間で上映打ち切りとなった。
その後、フランスでの盛り上がりが伝わり、セルビデオの発売と共に人気が高まった。
1992年に、168分の「グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版」が公開され、ミニシアター系ながらも連日立ち見が出るほどの盛況振りを見せた。
個人的にはこの映画を初めて観る直前、まだ世の中の景気が良かった頃、社員旅行でサイパン島に行った時に体験したダイビングが印象深く、その後この映画を映画館で観る機会に恵まれたことから、映画と実体験で人生観が変わった気がした。
今見ると、非情に残酷な現実に生きる男と男、男と女の人間ドラマである。
海に憧れを持つ者なら、是非とも観ておきたい傑作。
監督:リュック・ベッソン
出演:ジャン=マルク・バール、ロザンナ・アークエット、ジャン・レノ
フリーダイビングの世界記録に挑む2人のダイバーの友情と軋轢、そして海にしか生きる場所を見出せない男を愛してしまった女性の心の葛藤を描く海洋ロマン。
10代からダイビングに親しんできたベッソン監督が、長年の夢だった「イルカに魅せられた潜水夫の物語」を、実在の天才ダイバー、ジャック・マイヨールの協力を得て映画化したのが本作。
批評家からは酷評された本作だが、一般公開されると若者達の絶大な支持を集め、映画館前は長蛇の列が出来、割れんばかりの拍手が映画館を埋めるほどの狂騒となった。
フランス国内の観客動員数は1000万人、パリでは187週連続上映という記録を打ちたてた。
映画は社会現象を巻き起こし、第2次フランス映画全盛期「ヌーベル・ヌーベルバーグ」と呼ばれる映画の代表作となった。
その社会現象の只中にいた若者達は「グラン・ブルー・ジェネラシオン」と呼ばれた。
イタリア人フリーダイバー、エンゾはある男を捜していた。
ギリシアの海辺の町で育ったエンゾは、ガキ大将で誰よりも素潜りが得意だったが、彼が唯一認めていたのが、潜水夫の息子である一人の気弱そうな少年だった。
ニューヨークで働く保険調査員ジョアンナは、自動車事故の調査でペルー・アンデス山脈の高地に赴いた。
そこで彼女は、氷結した湖に酸素ボンベもなしに潜水していく一人のダイバーに出会う。
彼の名はジャック・マイヨール。
彼こそがエンゾが捜していた少年の成長した姿だった。
エンゾと再会したジャックは、シチリア島で開催されるフリーダイビング競技会に誘われ、気が進まないながらも出場することになった。
エンゾ、ジャック、そしてジャックを追ってシチリアへやってきたジョアンナの3人が出会い、運命の物語の始まりを告げた。
元々日本では、「グレート・ブルー」というタイトルで、元々132分だったものを短縮して、120分のバージョンで公開された。
同時期のヒット作に興行面で苦杯を舐め、わずか2週間で上映打ち切りとなった。
その後、フランスでの盛り上がりが伝わり、セルビデオの発売と共に人気が高まった。
1992年に、168分の「グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版」が公開され、ミニシアター系ながらも連日立ち見が出るほどの盛況振りを見せた。
個人的にはこの映画を初めて観る直前、まだ世の中の景気が良かった頃、社員旅行でサイパン島に行った時に体験したダイビングが印象深く、その後この映画を映画館で観る機会に恵まれたことから、映画と実体験で人生観が変わった気がした。
今見ると、非情に残酷な現実に生きる男と男、男と女の人間ドラマである。
海に憧れを持つ者なら、是非とも観ておきたい傑作。
【映画】北北西に進路を取れ(1959)
「北北西に進路を取れ(1959)」
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:ケーリー・グラント、エヴァ・マリー・セイント、ジェームズ・メイソン
ヒッチコックの全盛期の傑作。
舞台があちこちと変わる、活劇の様相も呈している一級品のサスペンス。
広告会社の重役ロジャー・ソーンヒルは、ホテルのロビーでの会合に出向いた。
そこにかかってきた電話。
ホテルマンが「キャプラン様、お電話です。」と告げる。
たまたまタイミングよく立ち上がったロジャーはキャプランと間違えられ、訳も分からず広壮な邸宅に連れていかれてしまう。
そこで待っていたタウンゼントという男は、彼をスパイのキャプランと決めつけ、活動の進捗状況を聞き出そうと迫る。
ロジャーがあくまでキャプランではないと否定すると、男の手下たちはロジャーに強引に酒を飲ませて車に乗せ、崖から転落させて殺そうとする。
彼は辛くも逃れるが、パトロール中の警官に逮捕されてしまう。
罰金を払って釈放されたロジャーは、拉致された現場のホテルに戻ってキャプランの正体を確かめようとする。
しかしホテルの客室にキャプランが宿泊している形跡はあっても、キャプランを見た者は誰もいない。
追手が迫ってきたのを知ってホテルから逃走し、タウンゼントが国連で演説する予定と聞いたのを思い出すと、今度はタウンゼントを追って国連本部へ向かう。
ところが国連のロビーで会ったタウンゼントは、邸宅にいた男とは別の人物だった。
そして、そのタウンゼントの背中に手下の一人が投げた刃物が突き刺さる。
ロジャーは殺人容疑者として写真入りで大きく報道されてしまい、大きな陰謀に巻き込まれていく。
ヒッチコック映画の中でも、完成度の高さで知名度も高い。
歴代大統領の顔が彫られている、断崖ラシュモア山でのクライマックスもさることながら、特に有名なのは、中盤でロジャーが複葉機に追いかけられるシーンだろう。
告知ポスターやDVDのジャケットなどにも広く使われている、この映画を代表するシーンである。
個人的には、オープニングタイトルのかっこよさは、長い映画の歴史の中でも1,2を争うセンスの良さだと思う。
後に、テレビドラマ「古畑任三郎」のオープニングで、このタイトルのエッセンスが流用されている。
ちなみに「古畑任三郎」のオープニングテーマ曲の元ネタは、この映画とテレビ映画「ヒッチコック劇場」からだと推測出来る。
オープニング・タイトルを担当したのは、後にタイトル・デザイナーとして有名になったソウル・バスである。
このタイトルバックのセンスの良さ。
55年以上の前の映画とは思えない。
オープニング・タイトルも貼り付けておこう。
ちなみにヒッチコックは、自分の作品のどこかに必ずカメオ出演する事で有名だが、この作品ではタイトルバックの終盤で、バスに乗り遅れる男として登場している。
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:ケーリー・グラント、エヴァ・マリー・セイント、ジェームズ・メイソン
ヒッチコックの全盛期の傑作。
舞台があちこちと変わる、活劇の様相も呈している一級品のサスペンス。
広告会社の重役ロジャー・ソーンヒルは、ホテルのロビーでの会合に出向いた。
そこにかかってきた電話。
ホテルマンが「キャプラン様、お電話です。」と告げる。
たまたまタイミングよく立ち上がったロジャーはキャプランと間違えられ、訳も分からず広壮な邸宅に連れていかれてしまう。
そこで待っていたタウンゼントという男は、彼をスパイのキャプランと決めつけ、活動の進捗状況を聞き出そうと迫る。
ロジャーがあくまでキャプランではないと否定すると、男の手下たちはロジャーに強引に酒を飲ませて車に乗せ、崖から転落させて殺そうとする。
彼は辛くも逃れるが、パトロール中の警官に逮捕されてしまう。
罰金を払って釈放されたロジャーは、拉致された現場のホテルに戻ってキャプランの正体を確かめようとする。
しかしホテルの客室にキャプランが宿泊している形跡はあっても、キャプランを見た者は誰もいない。
追手が迫ってきたのを知ってホテルから逃走し、タウンゼントが国連で演説する予定と聞いたのを思い出すと、今度はタウンゼントを追って国連本部へ向かう。
ところが国連のロビーで会ったタウンゼントは、邸宅にいた男とは別の人物だった。
そして、そのタウンゼントの背中に手下の一人が投げた刃物が突き刺さる。
ロジャーは殺人容疑者として写真入りで大きく報道されてしまい、大きな陰謀に巻き込まれていく。
ヒッチコック映画の中でも、完成度の高さで知名度も高い。
歴代大統領の顔が彫られている、断崖ラシュモア山でのクライマックスもさることながら、特に有名なのは、中盤でロジャーが複葉機に追いかけられるシーンだろう。
告知ポスターやDVDのジャケットなどにも広く使われている、この映画を代表するシーンである。
個人的には、オープニングタイトルのかっこよさは、長い映画の歴史の中でも1,2を争うセンスの良さだと思う。
後に、テレビドラマ「古畑任三郎」のオープニングで、このタイトルのエッセンスが流用されている。
ちなみに「古畑任三郎」のオープニングテーマ曲の元ネタは、この映画とテレビ映画「ヒッチコック劇場」からだと推測出来る。
オープニング・タイトルを担当したのは、後にタイトル・デザイナーとして有名になったソウル・バスである。
このタイトルバックのセンスの良さ。
55年以上の前の映画とは思えない。
オープニング・タイトルも貼り付けておこう。
ちなみにヒッチコックは、自分の作品のどこかに必ずカメオ出演する事で有名だが、この作品ではタイトルバックの終盤で、バスに乗り遅れる男として登場している。