【音楽】古い日記/和田アキ子(1974)
先日のFCの飲み会の席や、卒団していったメンバーの保護者の方から、「楽しく読んでます」とか、「マニアックな話題ばっかりですね」とか、「大会の時期になるとブログを読み返して思い出してます」などと言われることがある。
固定ファンであったとしても、読者がいてくれる事、リアクションがある事は嬉しい限りだ。
FCに関する事ならいざ知らず、超・私的趣味への反応もあるというのは驚きだ。
そんな時、どんなに小さなことでも、どんなに馬鹿なことでも、どんなに局地的なことでも、書いててよかったと思うばかりである。
夏休みの宿題とかでもそうだが、生まれてこの方、日記というものを続けたことがない。
ブログという形態で、時折休む事もあるが、ここまで続けてこられたのも、毎回目を通してくれる人がいることは大きい。
拍手ボタンを押してくれる人もいる。
そういう人がいるという励みをもらって、今日も書いている。
内容はホントに下らないけどね。
いつかは振り返るであろう、このブログ。
震災直後から書き綴ってきた古い日記とも言えるもの。
FCの指導の際に、当時からブレていないかどうかを自戒出来る。
としいうことで、タイトル以外全く関係ないが、今日はこの歌を貼り付けておこう。
「古い日記/和田アキ子」
まだソウルフルな歌い方が健在だった頃の名曲。
今現在、これほどのパンチ力を持ったシンガーがいるだろうか。
それにも増して、バックの楽隊の「プロの仕事」と言える演奏。
やっぱり昔の歌謡曲はいいねぇ。
固定ファンであったとしても、読者がいてくれる事、リアクションがある事は嬉しい限りだ。
FCに関する事ならいざ知らず、超・私的趣味への反応もあるというのは驚きだ。
そんな時、どんなに小さなことでも、どんなに馬鹿なことでも、どんなに局地的なことでも、書いててよかったと思うばかりである。
夏休みの宿題とかでもそうだが、生まれてこの方、日記というものを続けたことがない。
ブログという形態で、時折休む事もあるが、ここまで続けてこられたのも、毎回目を通してくれる人がいることは大きい。
拍手ボタンを押してくれる人もいる。
そういう人がいるという励みをもらって、今日も書いている。
内容はホントに下らないけどね。
いつかは振り返るであろう、このブログ。
震災直後から書き綴ってきた古い日記とも言えるもの。
FCの指導の際に、当時からブレていないかどうかを自戒出来る。
としいうことで、タイトル以外全く関係ないが、今日はこの歌を貼り付けておこう。
「古い日記/和田アキ子」
まだソウルフルな歌い方が健在だった頃の名曲。
今現在、これほどのパンチ力を持ったシンガーがいるだろうか。
それにも増して、バックの楽隊の「プロの仕事」と言える演奏。
やっぱり昔の歌謡曲はいいねぇ。
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【映画】フィールド・オブ・ドリームス(1989)
監督:フィル・アルデン・ロビンソン
出演:ケビン・コスナー、エイミー・マディガン、レイ・リオッタ、ジェームズ・アール・ジョーンズ、バート・ランカスター
野球を題材に、60年代をキーワードとして夢や希望、家族の絆といった、アメリカで讃えられる美徳を描き上げたファンタジー映画。
レイ・キンセラはアイオワ州で農場を営む農夫。
妻アニーと娘のカリンと暮らす、一見普通の貧乏農家。
若い頃に父親と口論の末に家を飛び出した過去を持ち、以来生涯に一度も父の顔を見る事も口をきく事もなかった事を、心の隅奥で秘かに悔やんでいる。
ある日の夕方、彼はトウモロコシ畑で謎の声を聞く。
If you build it, he will come. = 「それを造れば、彼が来る」
その言葉から強い力を感じ取り、トウモロコシ畑に作られた野球場のビジョンを見る。
彼は家族の支持のもと、周囲の冷ややかな目も気にせず、生活の糧であるトウモロコシ畑を切り開き、小さな野球場を造り上げた。
その後しばらく何も起きず、畑の面積の縮小による収入の減少で借金が払えず、野球場の維持は厳しい状況となった。
ある晩、娘が夕闇に動く人影を球場に見つける。
そこにいたのは“ブラックソックス事件”で球界を永久追放され、失意のうちに生涯を終えた“シューレス”ジョー・ジャクソンだった。
野球を知らなくても、野球に興味がなくても、ドラマとして一級品の傑作。
キャストも素晴らしく、特に劇場用映画としては遺作となったバート・ランカスターは名演。
ラストシーンは涙無しではいられない。
オレの中で、「見る度に泣く映画」の一本。
万人に薦められる名作である。
出演:ケビン・コスナー、エイミー・マディガン、レイ・リオッタ、ジェームズ・アール・ジョーンズ、バート・ランカスター
野球を題材に、60年代をキーワードとして夢や希望、家族の絆といった、アメリカで讃えられる美徳を描き上げたファンタジー映画。
レイ・キンセラはアイオワ州で農場を営む農夫。
妻アニーと娘のカリンと暮らす、一見普通の貧乏農家。
若い頃に父親と口論の末に家を飛び出した過去を持ち、以来生涯に一度も父の顔を見る事も口をきく事もなかった事を、心の隅奥で秘かに悔やんでいる。
ある日の夕方、彼はトウモロコシ畑で謎の声を聞く。
If you build it, he will come. = 「それを造れば、彼が来る」
その言葉から強い力を感じ取り、トウモロコシ畑に作られた野球場のビジョンを見る。
彼は家族の支持のもと、周囲の冷ややかな目も気にせず、生活の糧であるトウモロコシ畑を切り開き、小さな野球場を造り上げた。
その後しばらく何も起きず、畑の面積の縮小による収入の減少で借金が払えず、野球場の維持は厳しい状況となった。
ある晩、娘が夕闇に動く人影を球場に見つける。
そこにいたのは“ブラックソックス事件”で球界を永久追放され、失意のうちに生涯を終えた“シューレス”ジョー・ジャクソンだった。
野球を知らなくても、野球に興味がなくても、ドラマとして一級品の傑作。
キャストも素晴らしく、特に劇場用映画としては遺作となったバート・ランカスターは名演。
ラストシーンは涙無しではいられない。
オレの中で、「見る度に泣く映画」の一本。
万人に薦められる名作である。
朗報
亮弥世代の久慈のエース・拓実が、U-14世界ジュニアユース大会の岩手県選抜に選ばれたそうだ。
二戸FCとしても、脅威の存在だった拓実。
セーラーでの死闘は今でもはっきり覚えている。
その後のバーモントの地区予選でも、第1代表の座を賭けて戦った記憶が甦る。
その時のブログに「返り討ちにしてやった」と書いた。
それを拓実の両親が見ていたらしく、ちょっとマズかったかなぁと思ったのだが、咎めるどころかネタにした事を感謝すらされた。
それから、トレセンや秋田カップなどでの姿を見てきたし、突発イベント的に亮弥達と同じチームでプレーしたり、幸運にも見ることが出来た中学校一年生大会での優勝の瞬間などを経て、拓実のプレーぶりをじっくり見させてもらっていた。
そんな拓実が岩手県代表としてセレクションされたことは、筆舌に尽くしがたい喜びだ。
ファクサーから、浅里や香樹たちがフットサルの岩手県選抜に選ばれた時と同じような嬉しさがこみ上げてくる。
こちらとしては、「頑張れ」と言う以外に言葉を持ち得ていない。
月並みだが、「行ける所まで頑張って行って来いよ」と送り出そう。
ここが最終到達点ではないので、悔いだけは残さないでもらいたい。
とにかく貴重な体験の場なんだから、得られるものは全て得て来るくらい貪欲に頑張って来いよ。
拓実がいた頃の久慈には、ウチは結構勝っていたんだよなあ。
と、負け惜しみ的な事も書いておこうっと。

二戸FCとしても、脅威の存在だった拓実。
セーラーでの死闘は今でもはっきり覚えている。
その後のバーモントの地区予選でも、第1代表の座を賭けて戦った記憶が甦る。
その時のブログに「返り討ちにしてやった」と書いた。
それを拓実の両親が見ていたらしく、ちょっとマズかったかなぁと思ったのだが、咎めるどころかネタにした事を感謝すらされた。
それから、トレセンや秋田カップなどでの姿を見てきたし、突発イベント的に亮弥達と同じチームでプレーしたり、幸運にも見ることが出来た中学校一年生大会での優勝の瞬間などを経て、拓実のプレーぶりをじっくり見させてもらっていた。
そんな拓実が岩手県代表としてセレクションされたことは、筆舌に尽くしがたい喜びだ。
ファクサーから、浅里や香樹たちがフットサルの岩手県選抜に選ばれた時と同じような嬉しさがこみ上げてくる。
こちらとしては、「頑張れ」と言う以外に言葉を持ち得ていない。
月並みだが、「行ける所まで頑張って行って来いよ」と送り出そう。
ここが最終到達点ではないので、悔いだけは残さないでもらいたい。
とにかく貴重な体験の場なんだから、得られるものは全て得て来るくらい貪欲に頑張って来いよ。
拓実がいた頃の久慈には、ウチは結構勝っていたんだよなあ。
と、負け惜しみ的な事も書いておこうっと。

【映画】ポセイドン・アドベンチャー(1972)
監督:ロナルド・ニーム
出演:ジーン・ハックマン、アーネスト・ボーグナイン、シェリー・ウィンタース、レッド・バトンズ、パメラ=スー・マーティン
1969年に発表されたポール・ギャリコの小説を原作とした、「パニック映画」の先駆にして金字塔。
転覆した豪華客船から、乗り合わせていた牧師が先頭に立ち、生き残った乗客たちを脱出へと導いていく、苦難と悲劇の物語である。
当時のハリウッド屈指の名脚本家スターリング・シリファントの手によって映画用に書き起こされた物語は、人間の生きる意味を問う精神論と思想に溢れている。
余談だが、シリファントは1960年代末期にブルース・リーと知り合い、東洋思想に傾倒していく事となる。
ジーン・ハックマン、シェリー・ウィンタース、アーネスト・ボーグナインの名演技。
コメディ出身のレッド・バトンズの役どころ、ティーン向けの配役として選ばれたパメラ=スー・マーティンの起用、転覆した船内のセットなど、全てにおいて白眉の出来栄え。
のちにこの作品の中心スタッフ達が、高層ビル火災を題材とした「タワーリング・インフェルノ」を製作したことにより、「パニック映画」というジャンルが確立される。
近年に入り、「ツイスター」、「ボルケーノ」、「ダンテズ・ピーク」、「ディープ・インパクト」などの、いわゆる「ディザスター・ムービー(災害映画)」の基礎となっている。
音楽は、この映画によって評価を高め、いまやハリウッド映画音楽界の巨匠とまで言われているジョン・ウィリアムズが担当。
メインテーマは実に見事なスコアである。
豪華客船ポセイドン号は、最後の航海を全うすべく、荒天の中を進んでいた。
船長は、この船の重心が高く、大波に襲われて転覆することを恐れており、速度を落として船を進めていた。
しかし船主は、到着が遅れることによる経費の負担に神経を尖らせており、船長の責務から外すことをちらつかせて、強引に速度をあげさせる。
船内ホールでは、新年を迎えるためのニュー・イヤー・パーティーが開かれていた。
新年を迎えようとしていた頃、近くの沖合で海底地震が起こり、津波が発生したことをレーダーが捉えた。
警報を鳴らし、救難信号を発し、津波を乗り切ろうとするポセイドン号だが、バラスト不足によって安定性を失っていたため、あっという間に転覆した。
転覆した船内では天地がひっくり返り、客たちは身体を投げ出され、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
転覆後、ホールにはまだ相当数の生存者がいた。
客船の事務長は、救援隊が来るまでここで待機しようと訴えた。
しかし牧師のスコットは、転覆して海面下にあるこのホールはやがて浸水するので、船底に上っていき、鉄板の薄い構造になっているシャフトの動力室で救援隊を待つべきだと訴えた。
船の事を何も知らんと反感を買うスコットだったが、その行動力に同調して同行するものが現れ始め、事務長の反対を押し切り、自らの命を求めた脱出劇へと身を投じていく。
そしてついにホールに浸水が始まった。
スコット牧師を中心とした脱出劇は、まさに神話そのもの。
人間ドラマを巧みに組み込み、単なるパニック映画の域を超えている。
また、アンチ・キリスト的な、人間の信念を問うシーンもあり、心の拠り所というもののあり方を示してくれている。
自力で生き延びようとする生存者達に、容赦なく襲い掛かる神の洗礼。
牧師が言い放つ。
「ただ神に祈れば、南極の氷が溶けるとでもいうのですか?極寒の地で祈る信者に神がすることは、祈る手に氷柱を下げることです。」
そう。
これは人間の命の物語なのである。
さらに、神に依存しない事を信条にしてきたスコットが、最後とも言える試練に直面した時、神に呪いの言葉を浴びせる。
「我々は自分達の力でここまで来た。なのになぜ邪魔をする?どれほどの生贄が欲しいのだ?」
牧師でありながらのこの思想は、人々を導いた代わりに、神との決別によって自らの身を犠牲にするという皮肉な結果となっている。
そしてもうひとつ。
「そこにとどまるか、進むべきかを問われた時、進むほうを選ぶべき。この映画はそんな勇気を持つことの大切さを教えてくれる。」
映画評論家の故・荻昌弘氏の解説の一文である。
映画通にはもちろんのこと、映画初心者やこれから本格的に映画を観てみようと思っている人達への入門編としても最適な一本。
この映画を中学生の時に「水曜ロードショー」で観て、映画の面白さに気付き、それ以降映画が趣味となった。
映画の面白さの要素が全て詰まった、万人に薦められる傑作である。
出演:ジーン・ハックマン、アーネスト・ボーグナイン、シェリー・ウィンタース、レッド・バトンズ、パメラ=スー・マーティン
1969年に発表されたポール・ギャリコの小説を原作とした、「パニック映画」の先駆にして金字塔。
転覆した豪華客船から、乗り合わせていた牧師が先頭に立ち、生き残った乗客たちを脱出へと導いていく、苦難と悲劇の物語である。
当時のハリウッド屈指の名脚本家スターリング・シリファントの手によって映画用に書き起こされた物語は、人間の生きる意味を問う精神論と思想に溢れている。
余談だが、シリファントは1960年代末期にブルース・リーと知り合い、東洋思想に傾倒していく事となる。
ジーン・ハックマン、シェリー・ウィンタース、アーネスト・ボーグナインの名演技。
コメディ出身のレッド・バトンズの役どころ、ティーン向けの配役として選ばれたパメラ=スー・マーティンの起用、転覆した船内のセットなど、全てにおいて白眉の出来栄え。
のちにこの作品の中心スタッフ達が、高層ビル火災を題材とした「タワーリング・インフェルノ」を製作したことにより、「パニック映画」というジャンルが確立される。
近年に入り、「ツイスター」、「ボルケーノ」、「ダンテズ・ピーク」、「ディープ・インパクト」などの、いわゆる「ディザスター・ムービー(災害映画)」の基礎となっている。
音楽は、この映画によって評価を高め、いまやハリウッド映画音楽界の巨匠とまで言われているジョン・ウィリアムズが担当。
メインテーマは実に見事なスコアである。
豪華客船ポセイドン号は、最後の航海を全うすべく、荒天の中を進んでいた。
船長は、この船の重心が高く、大波に襲われて転覆することを恐れており、速度を落として船を進めていた。
しかし船主は、到着が遅れることによる経費の負担に神経を尖らせており、船長の責務から外すことをちらつかせて、強引に速度をあげさせる。
船内ホールでは、新年を迎えるためのニュー・イヤー・パーティーが開かれていた。
新年を迎えようとしていた頃、近くの沖合で海底地震が起こり、津波が発生したことをレーダーが捉えた。
警報を鳴らし、救難信号を発し、津波を乗り切ろうとするポセイドン号だが、バラスト不足によって安定性を失っていたため、あっという間に転覆した。
転覆した船内では天地がひっくり返り、客たちは身体を投げ出され、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
転覆後、ホールにはまだ相当数の生存者がいた。
客船の事務長は、救援隊が来るまでここで待機しようと訴えた。
しかし牧師のスコットは、転覆して海面下にあるこのホールはやがて浸水するので、船底に上っていき、鉄板の薄い構造になっているシャフトの動力室で救援隊を待つべきだと訴えた。
船の事を何も知らんと反感を買うスコットだったが、その行動力に同調して同行するものが現れ始め、事務長の反対を押し切り、自らの命を求めた脱出劇へと身を投じていく。
そしてついにホールに浸水が始まった。
スコット牧師を中心とした脱出劇は、まさに神話そのもの。
人間ドラマを巧みに組み込み、単なるパニック映画の域を超えている。
また、アンチ・キリスト的な、人間の信念を問うシーンもあり、心の拠り所というもののあり方を示してくれている。
自力で生き延びようとする生存者達に、容赦なく襲い掛かる神の洗礼。
牧師が言い放つ。
「ただ神に祈れば、南極の氷が溶けるとでもいうのですか?極寒の地で祈る信者に神がすることは、祈る手に氷柱を下げることです。」
そう。
これは人間の命の物語なのである。
さらに、神に依存しない事を信条にしてきたスコットが、最後とも言える試練に直面した時、神に呪いの言葉を浴びせる。
「我々は自分達の力でここまで来た。なのになぜ邪魔をする?どれほどの生贄が欲しいのだ?」
牧師でありながらのこの思想は、人々を導いた代わりに、神との決別によって自らの身を犠牲にするという皮肉な結果となっている。
そしてもうひとつ。
「そこにとどまるか、進むべきかを問われた時、進むほうを選ぶべき。この映画はそんな勇気を持つことの大切さを教えてくれる。」
映画評論家の故・荻昌弘氏の解説の一文である。
映画通にはもちろんのこと、映画初心者やこれから本格的に映画を観てみようと思っている人達への入門編としても最適な一本。
この映画を中学生の時に「水曜ロードショー」で観て、映画の面白さに気付き、それ以降映画が趣味となった。
映画の面白さの要素が全て詰まった、万人に薦められる傑作である。
トレーニング・マッチ with MIRUMAE
まさかこんな日が来ようとは。
今日はMIRUMAEさんとの練習試合だ。
相手方はそんな風に思っていないかも知れないが、MIRUMAEさんと練習試合なんて、恐れ多くて考えも出来なかった事だ。
以前から「是非やりましょう」と声を掛けて頂いていたのだが、それにふさわしいチームであるかどうかに自信が持てなかったのは事実。
このほど話がまとまり、滅多に無いチャンスとばかりにお邪魔させていただいた。
正直、これまでのアントス・カップやリーグでの戦い振りを見る限り、文字通りコテンパンにやられて帰ってくることを覚悟していた。
むしろ、この時期に一度シメてもらうことも、チームにとってプラスになるかも知れない。
自分達の未熟さを知るいい機会かも知れない。
そんな「荒療治」ともいえる感覚で挑戦させてもらう事にした。
今回、主力組が遠征でいなかったとはいえ、「厳しさ」というものを味わう一日になるだろうと思っていた。
その通り、試合そのものは「厳しさ」に満ちたものであった。
しかし、15分×8本の試合の中で負けた試合は無く、無得点の試合も無かった。
これまでの公式戦が嘘のような戦い振りだった。
聖斗を中心とした試合運びは、奎介と明里のサイド攻撃によって幅を広げていたように感じた。
聖良・大飛のトップにも目処が立った。
響希・晴隆も役割を理解しつつある。
駿太朗は守備範囲を広げている。
スタメンの戦力としては、ある程度のところまでは目論見が出来る。
今日に限って言えば、全員の意識は高かった。
特にゲーム中の声掛けは、これまでに無いほど出来ていた。
もちろん問題点だって山積みなわけで、特に守備面での切り替えの遅さや、ハイボールへの競り合いに関してはまだまだだ。
ゴロのボールへの競り合いは、練習の成果が出始めていると感じているが。
ボールの無いサイドの選手の集中が切れるところもまだ見受けられるし、パスを受ける側の準備が出来ていない事も目立つ。
毎年懸念材料として書く事になる「スタメンと控えの意識の差」もまだまだある。
出れば出たなりにやれる事をやっているのだが、試合に出たいという積極的な姿勢には欠ける。
聖斗が抜けた時の落ち着きの無さも気になる。
どこまで行っても「これでいい」という事は無いと前回も書いたが、今回の様にある程度及第点があげられる内容でも、修正すべき点やレベルアップしなければならない点はたくさんある。
何よりも、今日の出来というものを、今日一日で判断する事は出来ない。
自分たちよりも圧倒的に強い強豪チームには、それなりに対応出来るくらいの力を発揮するのに、同じくらいのチーム力の相手にもそれなりの対応しか出来ないのもウチの悪癖である。
どんな相手でもコンスタントにやるべき事をやれるようでないと、本当の意味でのチーム力とは言えない。
今日の内容が、一過性のものでないことを切に願うばかりである。
今日のMan Of the Dayは、聖斗を選出しよう。
自分のアイディアを体現出来ていたし、無理な個人技でゴリ押しする事も少なくなり、周りを使えるようになった。
呼ばれる声に良く反応していたばかりか、味方への声掛けも効果的にこなしていたし、聖斗が出ない時のチームの慌てっぷりを見ていると、中心としての存在の大きさがついてきたようだ。
ただ、最後に腹痛を訴えて、自ら試合に出ない事を選んだが、厳しい事を言うようだが、そこはとりあえずでも出て、自分の存在感をもっとチームに植えつけさせる行動を取って欲しかった。
このところ、自分から「出ない・出たくない」という意思を、みんなのいる前で表してしまう事が多くなっている。
ダメなら自らすぐに代わるという様な行動を取れば、味方から得られる信頼感も深まるってもんだ。
中心としての自覚は「もう少し」ってところかな。
「無理してでも」という意味じゃないから勘違いしないで欲しい。
終了後、アニキとも話したが、今回の練習試合への採点は、問題点の段落でも書いた事を考慮して「70点」。
今回のような内容を続けられるようなら、80点台の採点が付くのも遠くはないかも知れない。
兎にも角にも、今回の練習試合は貴重な経験の場となった。
この場を借りて、改めてMIRUMAEさんの選手・スタッフの方々にお礼を申し上げます。
今日はMIRUMAEさんとの練習試合だ。
相手方はそんな風に思っていないかも知れないが、MIRUMAEさんと練習試合なんて、恐れ多くて考えも出来なかった事だ。
以前から「是非やりましょう」と声を掛けて頂いていたのだが、それにふさわしいチームであるかどうかに自信が持てなかったのは事実。
このほど話がまとまり、滅多に無いチャンスとばかりにお邪魔させていただいた。
正直、これまでのアントス・カップやリーグでの戦い振りを見る限り、文字通りコテンパンにやられて帰ってくることを覚悟していた。
むしろ、この時期に一度シメてもらうことも、チームにとってプラスになるかも知れない。
自分達の未熟さを知るいい機会かも知れない。
そんな「荒療治」ともいえる感覚で挑戦させてもらう事にした。
今回、主力組が遠征でいなかったとはいえ、「厳しさ」というものを味わう一日になるだろうと思っていた。
その通り、試合そのものは「厳しさ」に満ちたものであった。
しかし、15分×8本の試合の中で負けた試合は無く、無得点の試合も無かった。
これまでの公式戦が嘘のような戦い振りだった。
聖斗を中心とした試合運びは、奎介と明里のサイド攻撃によって幅を広げていたように感じた。
聖良・大飛のトップにも目処が立った。
響希・晴隆も役割を理解しつつある。
駿太朗は守備範囲を広げている。
スタメンの戦力としては、ある程度のところまでは目論見が出来る。
今日に限って言えば、全員の意識は高かった。
特にゲーム中の声掛けは、これまでに無いほど出来ていた。
もちろん問題点だって山積みなわけで、特に守備面での切り替えの遅さや、ハイボールへの競り合いに関してはまだまだだ。
ゴロのボールへの競り合いは、練習の成果が出始めていると感じているが。
ボールの無いサイドの選手の集中が切れるところもまだ見受けられるし、パスを受ける側の準備が出来ていない事も目立つ。
毎年懸念材料として書く事になる「スタメンと控えの意識の差」もまだまだある。
出れば出たなりにやれる事をやっているのだが、試合に出たいという積極的な姿勢には欠ける。
聖斗が抜けた時の落ち着きの無さも気になる。
どこまで行っても「これでいい」という事は無いと前回も書いたが、今回の様にある程度及第点があげられる内容でも、修正すべき点やレベルアップしなければならない点はたくさんある。
何よりも、今日の出来というものを、今日一日で判断する事は出来ない。
自分たちよりも圧倒的に強い強豪チームには、それなりに対応出来るくらいの力を発揮するのに、同じくらいのチーム力の相手にもそれなりの対応しか出来ないのもウチの悪癖である。
どんな相手でもコンスタントにやるべき事をやれるようでないと、本当の意味でのチーム力とは言えない。
今日の内容が、一過性のものでないことを切に願うばかりである。
今日のMan Of the Dayは、聖斗を選出しよう。
自分のアイディアを体現出来ていたし、無理な個人技でゴリ押しする事も少なくなり、周りを使えるようになった。
呼ばれる声に良く反応していたばかりか、味方への声掛けも効果的にこなしていたし、聖斗が出ない時のチームの慌てっぷりを見ていると、中心としての存在の大きさがついてきたようだ。
ただ、最後に腹痛を訴えて、自ら試合に出ない事を選んだが、厳しい事を言うようだが、そこはとりあえずでも出て、自分の存在感をもっとチームに植えつけさせる行動を取って欲しかった。
このところ、自分から「出ない・出たくない」という意思を、みんなのいる前で表してしまう事が多くなっている。
ダメなら自らすぐに代わるという様な行動を取れば、味方から得られる信頼感も深まるってもんだ。
中心としての自覚は「もう少し」ってところかな。
「無理してでも」という意味じゃないから勘違いしないで欲しい。
終了後、アニキとも話したが、今回の練習試合への採点は、問題点の段落でも書いた事を考慮して「70点」。
今回のような内容を続けられるようなら、80点台の採点が付くのも遠くはないかも知れない。
兎にも角にも、今回の練習試合は貴重な経験の場となった。
この場を借りて、改めてMIRUMAEさんの選手・スタッフの方々にお礼を申し上げます。
こくみん共済リーグ 第1節
いよいよ本格的に外のシーズンが始まった。
第1節の相手は軽米と一戸。
リーグの成績が全少の組み合わせに影響するとあって、最終的にはやはり勝つ事を目標に戦うことになる。
しかしながら、ここ数年書いてきた事だが、勝つ事は「目的」ではない。
あくまでも「目標」として掲げる事であり、「目的」とは「目標」を達成するための指標である。
その観点から試合を見てみると、アントスカップの時の絶望的なグダグダ感は無かった。
特に6年生は、自分の力を最大限に試そうと頑張っていた。
昨年の怪我の影響で、感覚を取り戻すのに時間が掛かっている感のあった奎介も、ベンチに下がると途端に攻撃力の低下が見て取れるほどに存在感を示していた。
中盤から前線にかけて、支配力を示していた聖斗。
軽いスランプ状態から抜け出しかけている響希。
フィジカルにはやはり不安要素を残すも、それを補って余りあるプレーで存在感を示した明里。
これらに呼応するかのように5年生以下のメンバーも、チャレンジ精神を表していたように見えた。
試合そのものは2試合とも勝利したが、決して手放しで喜べる内容ではない。
相手のミスによって失点にならなかった場面も多く、まだまだ守備面では不安要素を残している。
特に頭上を越えるボールに対しては脆さを露呈した。
最後に行った久慈との練習試合では、さすがにそこを見逃してもらえず、同じ展開での失点を重ねる事となった。
攻撃面においても、要となる選手がベンチに下がった時の力の差は歴然としている。
問題は山積みだ。
何をどうしても「これでいい」という事は無いので、こちらからの指摘だけでなく、選手同士での意識の共有を心がけて欲しい。
オレが言う事はいつも同じですまないが、全ては本人の「やる気・気持ち」だ。
それは必ずプレーに出るので、まずはそこからだ。
今回のリーグでのオレ的M.O.D.(Man Of the Day)は明里にさせてもらおう。
一日を通して高いパフォーマンスを保っていたのは特筆に価する。
ただし、3試合目の久慈戦では疲れから走力が落ちていたのが見えた。
すぐに体力を付けられる訳ではないが、試合の中でのメリハリをつけて、自ら交代を要求するくらいにまでなってくれればいいと思っている。
さて、最後に小言をひとつ。
以前アニキのプログでも書かれていた事だが、とにかくみんな挨拶をしない。
この日、オレに対して朝に挨拶をしてくれたのは、ほんの数人。
百歩譲って、オレに挨拶をしないのは、オレ自身が挨拶されるに足る人間でないという事でカタをつけられる。
しかし、普段練習を見てくれているアニキや小野寺総監督には挨拶しているのだろうかと心配になる。
事ある毎に言ってきた事だが、この様子では他のチームの指導者や選手にも挨拶をしていないだろう。
厳しい事を言うようだが、感謝する気持ちが無いから挨拶をしないのだろう。
自分は試合をしに来ているのだから、周りが自分をサポートするのは当然とでも言いたげな態度だ。
今回あえて指摘しなかったが、指摘しないと出来ない挨拶に意味など無い。
チームとしての活動である事を自覚して、もっともっと自分の生活態度というものを見つめなおして欲しい。
正直言って、こういう事ををいちいち言いたくない。
言わなくても出来るようにしなければならないのがオレらの役目かも知れないが、それぞれで今一度自分を戒めてくれ。
第1節の相手は軽米と一戸。
リーグの成績が全少の組み合わせに影響するとあって、最終的にはやはり勝つ事を目標に戦うことになる。
しかしながら、ここ数年書いてきた事だが、勝つ事は「目的」ではない。
あくまでも「目標」として掲げる事であり、「目的」とは「目標」を達成するための指標である。
その観点から試合を見てみると、アントスカップの時の絶望的なグダグダ感は無かった。
特に6年生は、自分の力を最大限に試そうと頑張っていた。
昨年の怪我の影響で、感覚を取り戻すのに時間が掛かっている感のあった奎介も、ベンチに下がると途端に攻撃力の低下が見て取れるほどに存在感を示していた。
中盤から前線にかけて、支配力を示していた聖斗。
軽いスランプ状態から抜け出しかけている響希。
フィジカルにはやはり不安要素を残すも、それを補って余りあるプレーで存在感を示した明里。
これらに呼応するかのように5年生以下のメンバーも、チャレンジ精神を表していたように見えた。
試合そのものは2試合とも勝利したが、決して手放しで喜べる内容ではない。
相手のミスによって失点にならなかった場面も多く、まだまだ守備面では不安要素を残している。
特に頭上を越えるボールに対しては脆さを露呈した。
最後に行った久慈との練習試合では、さすがにそこを見逃してもらえず、同じ展開での失点を重ねる事となった。
攻撃面においても、要となる選手がベンチに下がった時の力の差は歴然としている。
問題は山積みだ。
何をどうしても「これでいい」という事は無いので、こちらからの指摘だけでなく、選手同士での意識の共有を心がけて欲しい。
オレが言う事はいつも同じですまないが、全ては本人の「やる気・気持ち」だ。
それは必ずプレーに出るので、まずはそこからだ。
今回のリーグでのオレ的M.O.D.(Man Of the Day)は明里にさせてもらおう。
一日を通して高いパフォーマンスを保っていたのは特筆に価する。
ただし、3試合目の久慈戦では疲れから走力が落ちていたのが見えた。
すぐに体力を付けられる訳ではないが、試合の中でのメリハリをつけて、自ら交代を要求するくらいにまでなってくれればいいと思っている。
さて、最後に小言をひとつ。
以前アニキのプログでも書かれていた事だが、とにかくみんな挨拶をしない。
この日、オレに対して朝に挨拶をしてくれたのは、ほんの数人。
百歩譲って、オレに挨拶をしないのは、オレ自身が挨拶されるに足る人間でないという事でカタをつけられる。
しかし、普段練習を見てくれているアニキや小野寺総監督には挨拶しているのだろうかと心配になる。
事ある毎に言ってきた事だが、この様子では他のチームの指導者や選手にも挨拶をしていないだろう。
厳しい事を言うようだが、感謝する気持ちが無いから挨拶をしないのだろう。
自分は試合をしに来ているのだから、周りが自分をサポートするのは当然とでも言いたげな態度だ。
今回あえて指摘しなかったが、指摘しないと出来ない挨拶に意味など無い。
チームとしての活動である事を自覚して、もっともっと自分の生活態度というものを見つめなおして欲しい。
正直言って、こういう事ををいちいち言いたくない。
言わなくても出来るようにしなければならないのがオレらの役目かも知れないが、それぞれで今一度自分を戒めてくれ。
【音楽】20th CENTURY BOY/T.レックス(1973)
T.REXと言えばやっぱりこれだろう。
「20th Century Boy/T.REX」
近年、浦沢直樹原作の漫画「20世紀少年」が映画化されたが、その主題歌として使われたので、T.REXを知らなくても聞いたことはあるはず。
まさに、短命に終わったグラム・ロックの象徴。
これまた余談だが、マーク・ボランはこの後ヒットに恵まれず、麻薬依存に陥り、30歳の若さでこの世を去ってしまった。
「20th Century Boy/T.REX」
近年、浦沢直樹原作の漫画「20世紀少年」が映画化されたが、その主題歌として使われたので、T.REXを知らなくても聞いたことはあるはず。
まさに、短命に終わったグラム・ロックの象徴。
これまた余談だが、マーク・ボランはこの後ヒットに恵まれず、麻薬依存に陥り、30歳の若さでこの世を去ってしまった。
【音楽】ゲット・イット・オン/T.レックス(1971)
「ゲット・イット・オン」といえば、こっちを連想する人は多いだろう。
グラム・ロックの源流にして、マーク・ボラン率いる「T.レックス」の代表曲。
余談だが、1990年代のJ-POP界で活動していた「T-BOLAN」というグループは、T.レックスとマーク・ボランから取られている。
と言っても、音楽性は全く違うものだが・・・。
「Get It On/T.REX」
グラム・ロックの源流にして、マーク・ボラン率いる「T.レックス」の代表曲。
余談だが、1990年代のJ-POP界で活動していた「T-BOLAN」というグループは、T.レックスとマーク・ボランから取られている。
と言っても、音楽性は全く違うものだが・・・。
「Get It On/T.REX」
【音楽】黒い炎~Get It On/チェイス(1971)
全体的にトランペットをフィーチャーした、いわゆる「ブラス・ロック」の代表といってもいい名曲。
のちに幾多のバンドがモチーフにした。
「Get It On/Chase」
大ヒットを飛ばしたものの、メンバーの脱退などで3度に渡り再結成を繰り返す。
その後、ツアー中の移動に使っていた飛行機が墜落し、リーダーであるビル・チェイスをはじめ4人が落命し、バンドは消滅。
しかしこの曲が後世に与えた影響は大きく、多くのフォロワーを生んだ。
余談だが、飛行機事故の難を逃れたメンバーが後に結成したのが「Survivor(サバイバー=生存者)」で、のちに映画「ロッキー3」の主題歌「アイ・オブ・ザ・タイガー」でヒットを飛ばす事になる。
さらに余談だが、この曲をモチーフというか元ネタにした主題歌の深夜アニメがあった。
ちょっぴりセクシーなハード・ボイルド・アクション「ナジカ電撃作戦」。
内容はなかなかハードで、「カウボーイ・ビバップ」の女性版という位置付けだった。
ついでだから貼っておこう。
元ネタというより、「パクリ」に近いなぁ。
のちに幾多のバンドがモチーフにした。
「Get It On/Chase」
大ヒットを飛ばしたものの、メンバーの脱退などで3度に渡り再結成を繰り返す。
その後、ツアー中の移動に使っていた飛行機が墜落し、リーダーであるビル・チェイスをはじめ4人が落命し、バンドは消滅。
しかしこの曲が後世に与えた影響は大きく、多くのフォロワーを生んだ。
余談だが、飛行機事故の難を逃れたメンバーが後に結成したのが「Survivor(サバイバー=生存者)」で、のちに映画「ロッキー3」の主題歌「アイ・オブ・ザ・タイガー」でヒットを飛ばす事になる。
さらに余談だが、この曲をモチーフというか元ネタにした主題歌の深夜アニメがあった。
ちょっぴりセクシーなハード・ボイルド・アクション「ナジカ電撃作戦」。
内容はなかなかハードで、「カウボーイ・ビバップ」の女性版という位置付けだった。
ついでだから貼っておこう。
元ネタというより、「パクリ」に近いなぁ。
アントス・カップ 道中記
毎年春先恒例のアントスカップに、今年も招待して頂いた。
今年はお陰さまで家業が忙しく、2日目のみの参加となった。
オレ的には本格的な外のフットボールを見る機会に恵まれた訳だが、正直なところ、見てがっかりした。
負けた事、うまくいかない事、ミスといったことは、正直どうでもいい。
一番がっかりした事は、「やらない」事だ。
とにかく競らない。
どうすれば良いかが判らないなりにも走る、という事すらしない。
試合に出る意味を持っているのだろうかと疑いたくなる。
ただ大会があるから来た、というような心構えでは何も出来るはずがない。
試合に出たいという希望を持っているにもかかわらず、いざ試合に出ても、自分が出来る事を最大限にやろうという意思が見えない。
後藤コーチも言っていたが、自由交代の意味を履き違えている。
下げられても、指示を受けてまた出られると思っている。
いつでも「次がある」という気持ちでは、緊張感を持たせる事など出来ない。
そしてそれは、出番を与えてもらえるという楽観でもある。
出番というものは自分で得るもの。
出来る事を出来る限りやらないようでは、選手として使うという選択肢すら出てこない。
「勝つか負けるか」ではない。
「出来るか出来ないか」ではない。
「やるかやらないか」なのである。
そんな中でも光明はあった。
ハッパをかけられて気持ちを入れ替えることが出来た者、ひらめきを体現しようと努力した者、自ら交代をせがむほどに走り尽くした者。
プレーそのものは単発であったとしても、出来ることをやろうと努力した者はいた。
その気持ちというものが、チーム全体に影響を与えるようになる事を祈っている。
兆しはある。
それを今週から始まるリーグで少しずつでも見せてもらいたい。
少々厳しい事を書いたが、戦いはもう既に始まっている。
時間は待ってくれない。
とにかくやるしかない。
今年はお陰さまで家業が忙しく、2日目のみの参加となった。
オレ的には本格的な外のフットボールを見る機会に恵まれた訳だが、正直なところ、見てがっかりした。
負けた事、うまくいかない事、ミスといったことは、正直どうでもいい。
一番がっかりした事は、「やらない」事だ。
とにかく競らない。
どうすれば良いかが判らないなりにも走る、という事すらしない。
試合に出る意味を持っているのだろうかと疑いたくなる。
ただ大会があるから来た、というような心構えでは何も出来るはずがない。
試合に出たいという希望を持っているにもかかわらず、いざ試合に出ても、自分が出来る事を最大限にやろうという意思が見えない。
後藤コーチも言っていたが、自由交代の意味を履き違えている。
下げられても、指示を受けてまた出られると思っている。
いつでも「次がある」という気持ちでは、緊張感を持たせる事など出来ない。
そしてそれは、出番を与えてもらえるという楽観でもある。
出番というものは自分で得るもの。
出来る事を出来る限りやらないようでは、選手として使うという選択肢すら出てこない。
「勝つか負けるか」ではない。
「出来るか出来ないか」ではない。
「やるかやらないか」なのである。
そんな中でも光明はあった。
ハッパをかけられて気持ちを入れ替えることが出来た者、ひらめきを体現しようと努力した者、自ら交代をせがむほどに走り尽くした者。
プレーそのものは単発であったとしても、出来ることをやろうと努力した者はいた。
その気持ちというものが、チーム全体に影響を与えるようになる事を祈っている。
兆しはある。
それを今週から始まるリーグで少しずつでも見せてもらいたい。
少々厳しい事を書いたが、戦いはもう既に始まっている。
時間は待ってくれない。
とにかくやるしかない。