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バーモントカップ グループリーグに沈む

フットサルの大会であるバーモントカップ。
こう言っては選手達に大変失礼だが、地区予選の突破は、正直なところ「驚き」だった。
諦めていたというか、期待していなかったと言うことではなく、「難しいだろう」という気持ちだった。
チーム状態、対戦相手の実力というものを冷静にみると、よほど頑張らないと、よほど強い気持ちで望まないと、結果を出す事はおろか、納得出来るプレーすら出来ないだろうと思っていた。
それが、ホントに「覚醒」という言葉がピッタリなほど「突然変異」を起こし、地区代表の座を射止めた。

充分とは言えないものの、地区代表として恥ずかしくない戦いをするための準備をしてきた。
その準備・努力というものは、二戸だけがやってきた訳ではない事実を目の当たりにさせられたのが、今回の県大会だった。
詳しくは、また何回かに分けて記事にするとして。
二戸 0 - 9 グルージャ
この試合は、文字通り「何もさせてもらえなかった」。
簡単に振り返れば、ハードーワークに腰が引け、テクニックに翻弄され、すっかり戦意を喪失させられたという感じだろうか。

二戸 4 - 5 和賀
これに関しては、意地を見せた事で、つい忘れてしまった冷静さという感じ。
ただし、この試合に関しては、指導者側の立場として、どうしても埋める事の出来なかった穴が、選手達の負担になってしまったという、年間を通してのチームの活動そのものの反省点も含まれている。
この辺は後日詳しく。

いつも言い訳的に書くことだが、こうなってしまった以上、自分達に出来る事は「事実を受け入れる事」しかない。
結果やプレーを恥じる必要は無い。
勝ったから良い、負けたから悪いという単純な事ではない。
判断材料としては、勝敗こそが最も判りやすい事だが。
その結果が出るに至る過程こそ、見るべき点だと思っている。

もっともっと勉強しなければ。
そして、もっともっとボールに触れさせなければ。
「好きだから」を大前提として、ね。
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いよいよ明日はバーモントカップ

明日はバーモントカップ。
今更出来る事は何もない。
明日が来るのを待つだけだ。
それでも心がけ次第で、やるべきこと、出来ることがある。

早く寝る。
体調を整える。
明日は早起きする。
試合に向けての気合を入れなおす。
いいイメージを持つ。

なんだ、結構やる事あるじゃないか。
でも、昨日も書いたが、置かれた状況はもう変わらない。
ならばそれを全て受け入れ、全てを無に帰す事。
相手がどこだろうと、やるべき事は変わらない。
見るべきものはひとつ。
さぁ、みんな!
水になりなさい。

やるべ!

降臨祭

今日はオレの神、ブルース・リー生誕の日である。
亡くなった年齢をとっくに超え、それでもなお、オレの唯一の神として君臨する現人神。
今年は映画館でブルース・リー映画を観る機会に恵まれ、ブルース・リー映画を映画批評的に語ることもやってみたが、やっぱりファン心理はそれを許してくれず、「出ているだけでOK」という結論に達した。
ちなみにこの日は、ギタリストのジミ・ヘンドリクスも誕生日だ。
11月27日は、魂の人の日なのか?

ここ数年、少年団の子供達にもブルース・リーの教えの一端を叩き込んできたし、名言としてこのプログでも紹介した。
「考えるな、感じろ!」
「水になりなさい。」
「板は反撃しない。」
実に抽象的な「東洋思想」を語ってきた。
今日もここで書き込んでみよう。

少年団の活動の中で、なぜか相手チームの事を気にする傾向がある。
「相手はどこですか?」
「相手は強いですか?」
「前にやって勝ってるチームだ。」
などと枚挙に暇がない。
しかし、相手がどこであろうと、やるべき事は変わらないし、やる事も変わらない。
そもそも、相手に合わせて戦い方を変えられるほど器用じゃないし、そんな高度な実力も無い。
自分達がやってきた事を全力で試すだけ。
これしか出来ないし、これしかやることが無い。
つまりは、敵は相手ではなく自分だという事だ。

「燃えよドラゴン・完全版」の中にこういうシーンがある。
戦いを終え、師匠の元を訪れたブルース・リー。
師匠からの問いを受け、こんなやりとりをしている。

師匠「お前の技量は、肉体のレベルを遥かに越え、もはや精神的レベルに達している。そこでお前の目指す境地について問う。敵と対峙した時、何を思う?」
リー「敵はいない、ということです。」
師匠「それはなぜだ?」
リー「そこに自分が存在しないからです。」
(中略)
リー「例えそこに敵が現れたとしても、私が撃つのでない。この拳そのものが撃つのです。」

これは「無の境地」というものを指しており、「禅」の最高レベルである「領悟(悟り)」と「知行合一」の事である。
つまり「自分を無にし、考えることなく、状況に応じて最適の技を繰り出す事が出来る状態にある」という意味だ。
これは全ての事に通じるものだ。
相手が強いからといって構えることはない。
無の境地で、これまでやってきた事を自然に表現するだけだ。



字幕無しだけど、かつては観る事が出来なかった削除シーンを。

【TVアニメ】アローエンブレム グランプリの鷹(1977)

レース繋がりでもうひとつ。
当時、「サーキットの狼」に端を発するスーパーカーブームに乗って作られたアニメ作品。
かなり細かく作り込まれた、本格派のF-1アニメだった。
主人公が作中でなかなか勝てないという設定も珍しく、デビューレースではゴール寸前でクラッシュするという衝撃。
前回紹介した「ニキ・ラウダ」がモデルと思われる、「ニック・ラムダ」というアドバイザーが登場する。
しかも、レース中の事故で顔面にやけどを負い、常にフルフェイスマスクをつけているという、「ニキ・ラウダ」以外の何者でもないキャラだった。
実際、ラウダは事故で全身と肺の内部にまでやけどを負い、生命の危機まで噂されたが、事故から42日後にはレースに復帰している。



主題歌は「アニキ」こと水木一郎の熱唱。
最近、エヴァンゲリオンの劇場版で登場人物が口ずさむシーンがあるそうだ。
作曲は「宇宙戦艦ヤマト」でおなじみの宮川泰。
まさに血沸き肉踊る熱い歌だ。

奎介、離脱

悲しいニュースが入ってきた。
奎介が膝関節の骨折に見舞われたというのである。

伝聞だが、月曜日の練習時に痛みを訴え、休ませていたものの、念のため診察を受けて発覚したというのである。
最近のものではないらしく、原因となりうる現象も記憶に無いという事なので、疲労骨折ではないかということらしい。
思い返せば、バーモントの予選の時には何ともなかった。
それどころか、八面六臂の活躍を見せていた。
翌週の太田東との練習試合の時にも、何ら異変は見られなかった。
その次のアントスとの練習試合、先日の玉山・盛岡中央・ゆはずとの練習試合では、確かに精彩を欠いていた印象はある。
動きが連動せず、一つ動いては止まり、また一つ動いては止まり、相手の動きについていけない場面が目立った。
動き方や守備の仕方を理解し切っていないだけだと思い込んでいたオレのミスだ。
待ち時間ではそんな素振りも見せずに元気だったので、「まさか」という気持ちでいっぱいだ。
絶対に兆候はあったはずなので、その異変に気付いてやれなかったことを悔やんでいる。
すまない、奎介。

個人的には、たとえ出られなくとも、たとえ動けなくとも、ベンチに座らせて一緒に戦いたいという気持ちではある。
しかし、それを無理強い出来ないし、その事で患部を悪化させるわけにもいかない。
試合も練習も見るだけになるとはいえ、将来ある身をここで無理させて、その後を不意にしてしまうことだけは避けなければ。
本人は行きたいと言うかも知れないが・・・。

今は治療に専念してもらい、あわよくば次のバーモント予選、遅くとも春の外シーズンに元気に帰ってきてもらうことを祈るばかりだ。
大きな痛手であることは間違いないが、これもFCに課せられた試練だと思って乗り越えるしかない。
これで、残された者達はさらに大きなものを背負って戦うことになった。
とにかく全力!
これしかないぞ。

練習試合 with 玉山・盛岡中央・ゆはず

バーモント本番前の最後の練習試合として、二戸FCのわがままを引き受けて下さったのが、玉山、盛岡中央、ゆはずの3チームである。
会場を準備してくれたゆはずさん。
忙しい中、お相手をして下さった玉山さん、盛岡中央さん。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

今回の練習試合で感じた事は、まずもって意識が低いということである。
まだまだ戦う姿勢にはなっていない。
午前中は学校関係の都合で、賢心と聖斗が不在という状態だった。
そこで、他のメンバーがどういう意識を持って練習試合に臨むのかを見ていたのだが、それはこっちの思った通りというか、改めて意識の低さを痛感したというか。
正直、その点に関しては絶望的な感情を持ってしまった。
あまり大っぴらには書けないが、個人的な都合で集合時間に5分ほど遅れてしまった。
会場に着いた時に見た光景は、試合の準備も整わず、自ら体を動かそうという意識の無い佇まいだった。
遅れておいて言う事じゃないかも知れないが、まだまだ大人がいなくても自分で考えて行動しようという意識が無い。
かろうじて、歩夢、孝哉、響希、明里はいつでも動ける状態ではあった。
都合とはいえ、遅れたことは事実なので弁解するつもりは無いが、それでもせめて全員の準備が整っていて欲しかった。
この辺は試合をする以前の問題として、もっともっと意識付けさせないと。

さて内容に関してだが、賢心と聖斗がいない中で、ある程度意識を持ってプレーしていた様には思える。
しかし、2人がいないということをマイナス面にしか捉えておらず、いかに賢心と聖斗に頼っているのかが浮き彫りになった。
「2人がいないことでチャンスが回ってきた」と捉えることが出来ていたのは、正直言って響希と明里だけだった。
自分が出来るか出来ないかに関わらず、真っ先にその2つの穴に入ろうとしたのは、女帝の2人だけ。
これには正直絶句。
結局は午後から登場した賢心と聖斗に取って代わられることとなった。
交代要員としてのアピールも全く無く、こちらが問いかけないと行動を起こせない。
「出る気がないのか?」と聞くと、挙句の果てには「出て良いのかわからなかったから」と答える始末。
何しにここに来てるんだ?
これは答えた者だけの問題じゃない。
残酷な事だが、試合に出られる人・出られない人に分かれてしまっている事実を受け止められないでいるか、他人事だと思っているからではないだろうか。
仲間のプレーを見ることは大事だが、ただ見てるだけになってしまっている感が強い。
「遅れて登場した2人に『結局オレらがいないとダメなんだなぁ』なんて思われてもいいのか?」とハッパを掛けてみたが、リアクションは薄かった。
実際に結果を出し、活躍もしている2人だから、引け目に感じるのもわからないではないが、それでもそこに食らいついていこうという意識が見えなかった事が残念でならない。
これは今更どうすることも出来ないので、自分が大会に同行する事の意味を、それぞれがもう一度考え直してもらうより他はない。
それだけで今後が変わってくると思うし、自分の考えというものが芽生えてくると思っている。
何かを始めたり、やり直したりする事に「遅すぎる」ということは無いので、今からでも変えられる「意識」を強く持ってもらいたい。
ましてや5年生以下の選手達は、1月にはバーモントの予選が始まる。
今回選ばれていないメンバーが伸びてくる事だって考えられる。
今選ばれているからといって、うかうかしていられないぞ。

さて、後は当日までの間にコンディションを崩さないようにすることだ。
今更、超絶技巧が身に付く訳じゃなし。
出来る事は体調を整えることと、気持ちを強く持つことしかない。
せめてこれだけでも持って、今回練習試合をしてくれた玉山、盛岡中央、ゆはず、そしてアントス、太田東の分まで頑張って来なくては。
「県大会頑張って!」と声を掛けられただろ?
その気持ちに応えるべく、決して無様な試合だけはしないようにな。
結果はともかく、「出来る事は全てやった」と胸を張って言えるくらい頑張って戦って来い。

敵は「相手」じゃない。
「自分自身」だ!

【映画】単騎千里を走る。(2005)

監督:チャン・イーモウ、降旗康男(日本編)
出演:高倉健、寺島しのぶ、中井貴一(声のみ)

俳優の高倉健さんが亡くなった。
生涯に200本あまりの映画に出演したそうだが、オレ的にその中で映画館で観賞した事のある映画はわずかに2本しかない。
思った以上に高倉健の映画に縁がなかった。
ビデオやTV放送で観たものは数本ある。
「網走番外地」、「幸せの黄色いハンカチ」、「ブラックレイン」あたり。
ところが映画館でとなると・・・。

以前このプログでも紹介した「飢餓海峡」。
この映画はいわゆる「高倉健の魅力」というものからは程遠く、実に人間味の薄い、つまらない人間性の刑事として描かれている。
そしてもう一本が今回紹介する「単騎千里を走る。」である。
中国の映画監督チャン・イーモウのアイディアはただひとつ。
「高倉健を撮る」という事だけだったそうだ。

長年疎遠だった息子が病に倒れたことを知らされる父親。
民俗学者である息子が、病床に伏せる前に行っていた調査取材で、中国の仮面劇役者とある約束を交わしていた事を知る。
疎遠となっていた息子への罪滅ぼしのためか、その約束を代わりに果たすため、単身中国に渡る。
そこで現地の人々との交流を経て、息子が生業としてきた事を少しずつ体験していく。

http://www.youtube.com/watch?v=umvkP0ZIFbw
<予告編>
今回埋め込み不可だったので、リンクに飛んでみて下さい。

実にゆったりとした牧歌的な映画で、高倉健をキャスティングした理由がよく判る。
中国の大自然をバックに、失った息子との日々を取り戻すかのように、現地の人達とのふれあいを持ち、息子のしてきた事を理解していく父親を見事に演じている。
だか、やっぱり高倉健は「スター」なのである。
美空ひばり、三船敏郎、吉永小百合らと同じ系列の人だ。
三国連太郎、仲代達也、田中絹代、左幸子らのような「役者」とは違う立ち位置だと感じる。
作品に合わせて姿を変えていく「役者」とは違い、出ているだけで花を添えることができる「スター」だ。
極論すれば、「職業・高倉健」なのである。

たまたま現在、盛岡中劇で「ブラックレイン」を上映中だ。
しかも来週からは「幸せの黄色いハンカチ」が上映される。
追悼とかじゃなく、年間予定として組まれていたのだ。
何という偶然か。

本当の意味で、日本の映画産業が衰退の一途を辿る中、また一人「銀幕のスター」が消えた。
ご冥福をお祈りします。

バーモント県大会 グループリーグ組み合わせ 決まる

例えギリギリであろうとも、第3代表の座を射止め、意地を見せてくれたバーモント。
その県大会のグループリーグの組み合わせが決まった。
なんと、グルージャ、和賀と同組。
「厳しいグループに入った」というのが正直なところ。
しかし落胆はしていない。
なぜなら、相手がグルージャだからといって「勝てない」という不文律は無いからだ。
勝負はやってみなければわからない。
そのための準備をしている真っ最中であり、そのために今頑張っているはずだ。
勝てるという根拠はどこにも無いけど、負けるという決まりも無い。
全ては白紙の状態だ。
それに、最初から2つの強豪と勝負出来るなんて、ある意味ラッキーだ。
しかも、去年惜敗したグルージャが相手となれば、雪辱を晴らすチャンスでもあり、これまでの努力を試す絶好の機会と言えよう。
それに、午後ブロックに入ったということは、朝5時出発というような早起きをしなくてもいいということ。
これはラッキー。
ってこれはオレだけが思っていることか?

例え相手が強豪チームだと言っても、相手が4本の足を持つ人間なら戦い方も変わるというものだが、同じ小学生、同じ2本の足を持つ人間である以上、そこに「絶対」という事はありえない。
組み合わせの妙ということについても、各地区の予選を突破してきたチームが集う場では、それほど大差は無いと思っている。
要するに、自分達がどれだけ「勝ちたい」と願いつつ、その気持ちに正直になって、努力を惜しまずにやれるかということだ。
いつも言うことだが、「勝つ事は目標」であり、「そのために何をするのかを見つけることが目的」である。
目標に向って目的を遂行するのが本筋だと思っている。
何も気負うことはないし、緊張することもない。
もしも相手が「グルージャだから」とか「和賀は強いから」などと言って、「勝てないかも」なんて考えるヤツは、当日一関には来なくてよろしい。
泣いてもわめいても組み合わせは変わらない。
ならば、その全てを受け入れて、自分が出来ることを最大限にやることしか道はない。
逃げたいやつは逃げればいい。
オレはやる気のあるヤツとだけ、一緒に戦うつもりだ。
出そうとしている結果にこだわるのはいい。
だが出てしまった結果は全て受け入れよ。
どんな結果であろうと、自分に出来ることは全て出し尽くしたと胸を張って言えるくらい頑張れ。
それが出来たなら、全てを受け入れられるはずだ。

サイは投げられた。
後戻りは出来ない。
せめて悔いだけは残すなよ。
さぁ、やるべ!

【TVアニメ】マッハGOGOGO(1967)

レース繋がりで。
レースものの元祖といえばこれだろう。
かつて「スピードレーサー」というタイトルで、アメリカで放送されたこともある。
子供の頃にこれを観ていた「マトリックス」シリーズのウォシャウスキー監督が、後に実写化したことでも有名。
その「マトリックス」では、「タイムスライス(当時はパレットタイム)」と呼ばれる、被写体の周りを複数のカメラが周回する撮影法が使われており、その元ネタがこのオープニングのラストカットである。
この頃のタツノコプロの作画は、キャラクターがアメリカナイズされているのに、どことなく和風であることが特徴で、後の「科学忍者隊ガッチャマン」でも同様のセンスである。



それにしてもこのラストカットはカッコイイ。
アングルが変わったのに、主人公・三船剛の目線だけはカメラ目線のままという「ニクイ」演出だ。

砂漠も草原も走る事が出来るマッハ号。
どえらい性能のサスペンションだなぁ。

【映画】RUSH/プライドと友情

監督:ロン・ハワード
出演:クリス・ヘムズワース、ダニエル・ブリュール

新作映画としては久しぶりに面白い映画だった。
題材というよりも、人物の描き方が秀逸だった。
1970年代にF-1に興味を持っていた人は、ほとんどが「面白い」と言うだろう。
この時代に人気だったレーサー「ニキ・ラウダ」と、破天荒なライバル「ジェームズ・ハント」の二人を軸にしたドラマだ。
二人の対照的な生き方を、レースや私生活の点から描いている。
1976年ドイツGP、ニュルブルリンクでのラウダの事故シーンは、かなり忠実に描かれている。

1970年代、毎年2人が事故で死亡するというF-1の世界に、後に伝説となる2人のレーサーが存在した。
毎日を人生最期の日の様に謳歌する奔放なプレイボーイで、野性的思考と勘を活かした走りを得意としていたイギリス人の感覚派ドライバー、ジェームズ・ハント。
レーサーのイメージとはかけ離れた勤勉さと論理的思考の持ち主で、工学の知識を活かして自らマシンを整備する走りを得意としていた、「走るコンピュータ」と評されるオーストリア人の理論派ドライバー、ニキ・ラウダ。
全く正反対の性格の2人はやがてライバル関係となり、度々レースで競い合う仲になる。

この頃、スーパーカーブームの到来もあって、少なからずオレも観ていた。
当時のチーム名にも、フェラーリ、ブラバム、JPS、BRM、タイレル(現在のティレル)、ホンダ、マクラーレンなど懐かしいものがある。
大画面・大音量で観るべき映画である。

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Author:faccer
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