【TVアニメ】キューティー・ハニー/前川陽子(1973)
つい先日、お色気歌謡と称して2曲紹介したのだが、この他にもたくさんありすぎて紹介しきれない。
サンプルとなる音源がネット上に落ちていない事もあるが、1970年代を中心として、この手の音楽があふれていた事は、前述の2曲を聞いただけで充分お判り頂けるだろう。
この手の歌で最もポピュラーなものと言ったら、アニソンだがこれであろう。
「キューティー・ハニー/前川陽子(1973)」
お色気漫画の大御所・永井豪原作の漫画で、子供向けの割には大人にも強烈なインパクトを与えた。
都合3度アニメ化され、これは第1作目のもの。
後に倖田來未が歌ったが、オレ的には全くセクシーからはかけ離れたものだった。
このオリジナルを歌っているのは、15歳で「ひょっこりひょうたん島」の歌によりデビューした前川陽子。
この歌を歌った当時は23歳。
現在は御歳64歳。
最近でもNHK-BSのアニソン特集などで歌っている姿を見るが、セクシーな歌唱力は衰え知らず。
水木一郎、ささきいさお、堀江美都子と、アニソンの歌手はなぜこうも衰え知らずなのか???
サンプルとなる音源がネット上に落ちていない事もあるが、1970年代を中心として、この手の音楽があふれていた事は、前述の2曲を聞いただけで充分お判り頂けるだろう。
この手の歌で最もポピュラーなものと言ったら、アニソンだがこれであろう。
「キューティー・ハニー/前川陽子(1973)」
お色気漫画の大御所・永井豪原作の漫画で、子供向けの割には大人にも強烈なインパクトを与えた。
都合3度アニメ化され、これは第1作目のもの。
後に倖田來未が歌ったが、オレ的には全くセクシーからはかけ離れたものだった。
このオリジナルを歌っているのは、15歳で「ひょっこりひょうたん島」の歌によりデビューした前川陽子。
この歌を歌った当時は23歳。
現在は御歳64歳。
最近でもNHK-BSのアニソン特集などで歌っている姿を見るが、セクシーな歌唱力は衰え知らず。
水木一郎、ささきいさお、堀江美都子と、アニソンの歌手はなぜこうも衰え知らずなのか???
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ちょきんぎょ 予選突破ならず
土日に開催された「ちょきんぎょカップ」。
U-11、いわゆる新人戦である。
昨年の予選突破に引き続き、連続通過を狙ったが、結果は1勝1敗2分で予選通過ならずだった。
初日に帯同したのだが、やっぱり緊張していた様子だった。
リラックスするように振舞ったのだが、いざ試合が始まると全体的に固い。
プレーの意図というものは見えるようになってきた。
技術的にミスで繋がらなかったものの、意識を共有しているようなプレーが随所に見られた。
問題はやっぱり守備。
誰彼のミスだとかいう問題ではない。
受身に回っていいようにやられているのが現状だ。
いくら普段の練習で形を練習しても、相手の出方を伺っているだけでは意味が無い。
それほどウチは守備のチームじゃない。
一つ一つの動作で終わってしまい、連動性が無いのである。
という事はつまり、守備は特定の人に任せているということになる。
全員が攻撃も守備も出来る様にしないと。
2日目の様子は、行く事が出来なかったので伝聞でしかないが、「スイッチが入らなかった」との事。
スタッフ目線、親目線、選手目線と色々あるのだろうが、結局のところは「全力でやる」という事に変わりはない。
色々思惑もあるだろうが、一番悔しい思いをしているのは選手達だ。
いや、そうであって欲しい。
結果は結果として受けとめるしかないので、悔しさを晴らす次の機会に向けて頑張るしかない。
もしみんなが悔しいと思っているなら、それはこれからの練習態度で見せてもらうとしよう。
U-11、いわゆる新人戦である。
昨年の予選突破に引き続き、連続通過を狙ったが、結果は1勝1敗2分で予選通過ならずだった。
初日に帯同したのだが、やっぱり緊張していた様子だった。
リラックスするように振舞ったのだが、いざ試合が始まると全体的に固い。
プレーの意図というものは見えるようになってきた。
技術的にミスで繋がらなかったものの、意識を共有しているようなプレーが随所に見られた。
問題はやっぱり守備。
誰彼のミスだとかいう問題ではない。
受身に回っていいようにやられているのが現状だ。
いくら普段の練習で形を練習しても、相手の出方を伺っているだけでは意味が無い。
それほどウチは守備のチームじゃない。
一つ一つの動作で終わってしまい、連動性が無いのである。
という事はつまり、守備は特定の人に任せているということになる。
全員が攻撃も守備も出来る様にしないと。
2日目の様子は、行く事が出来なかったので伝聞でしかないが、「スイッチが入らなかった」との事。
スタッフ目線、親目線、選手目線と色々あるのだろうが、結局のところは「全力でやる」という事に変わりはない。
色々思惑もあるだろうが、一番悔しい思いをしているのは選手達だ。
いや、そうであって欲しい。
結果は結果として受けとめるしかないので、悔しさを晴らす次の機会に向けて頑張るしかない。
もしみんなが悔しいと思っているなら、それはこれからの練習態度で見せてもらうとしよう。
いよいよ明日は「ちょきんぎょカップ」
いわゆる新人大会である「ちょきんぎょカップ」が、いよいよ明日から始まる。
APPICUPの日程が変わったため、いつもは行けなかったこの大会に、今年は予選から帯同出来る事になった。
といっても、日曜日は社会人リーグの審判があるので行けないが。
今回はオレなりに注目する所を決めている。
「戦う姿勢」だ。
「やれるか、やれないか」ではなく「やる」という心構えがあるかどうかを見たいと思っている。
気持ちを表に出す事もそうだが、見えないところでどれだけ頑張っているかという事も大事だ。
試合をする以上は、「勝敗」にこだわってほしい。
こっちから「勝て」とは言えないが、勝ちたければそれなりの努力と覚悟が必要だ。
「引いたら負け」というくらい強い気持ちで望んで欲しい。
あとは「やらされている」ではなく「自分達でやる」という自主性だ。
好きで始めた事なら、トコトン自分の意思を貫き通して欲しい。
全ては「フットボールというスポーツに対する自分の気持ち」だろう。
何も考えずに全力で「戦って」欲しい。
さぁ、やるべ!
APPICUPの日程が変わったため、いつもは行けなかったこの大会に、今年は予選から帯同出来る事になった。
といっても、日曜日は社会人リーグの審判があるので行けないが。
今回はオレなりに注目する所を決めている。
「戦う姿勢」だ。
「やれるか、やれないか」ではなく「やる」という心構えがあるかどうかを見たいと思っている。
気持ちを表に出す事もそうだが、見えないところでどれだけ頑張っているかという事も大事だ。
試合をする以上は、「勝敗」にこだわってほしい。
こっちから「勝て」とは言えないが、勝ちたければそれなりの努力と覚悟が必要だ。
「引いたら負け」というくらい強い気持ちで望んで欲しい。
あとは「やらされている」ではなく「自分達でやる」という自主性だ。
好きで始めた事なら、トコトン自分の意思を貫き通して欲しい。
全ては「フットボールというスポーツに対する自分の気持ち」だろう。
何も考えずに全力で「戦って」欲しい。
さぁ、やるべ!
【音楽】経験/辺見マリ(1970)
前回からのお色気歌謡シリーズ。
これまた代表格と言えるのがこの一曲。
「経験/辺見マリ(1970)」
出だしの「ぃやめてぇ~」の一言で悩殺間違いなし。
これを歌った時、まだ20歳だったというから驚きだ。
実は今よりもこの頃のほうが早熟だったのではないだろうか。
断り書きをするまでも無いが、辺見えみりのお母さんである。
小泉今日子主演「少女に何が起こったか」の、意地悪な叔母役で覚えている人も多いだろう。
これまた代表格と言えるのがこの一曲。
「経験/辺見マリ(1970)」
出だしの「ぃやめてぇ~」の一言で悩殺間違いなし。
これを歌った時、まだ20歳だったというから驚きだ。
実は今よりもこの頃のほうが早熟だったのではないだろうか。
断り書きをするまでも無いが、辺見えみりのお母さんである。
小泉今日子主演「少女に何が起こったか」の、意地悪な叔母役で覚えている人も多いだろう。
【音楽】女はそれをがまんできない/大信田礼子(1971)
このブログでは、オレの音楽嗜好の偏りっぷりに、一般とズレている旨を書くことが多い。
音楽とお笑いは特に感性の問題なので、ズレると全く笑えなかったりする。
昨今のお笑いブームと言われているもののほとんどが、オレ的に面白くも何ともない。
変なメイクで誤魔化したり、勢いだけのテンション芸、他人を笑いものにして自分の笑いにしてしまうなど、逆に不愉快になることもある。
歳を取ったという事かも。
なので最近の笑いには疎い。
何しろ巷で流行っている「ダメよ~、ダメダメ」というフレーズが、何とかいうお笑い芸人のネタだということを最近知った。
オレはてっきり大信田礼子の歌「女はそれをがまんできない(1971)」のことかと思っていた。
「女はそれをがまんできない/大信田礼子(1971)」
日本の歌謡曲の中でも、アダルト路線(昭和風に言えば「お色気歌謡」とでも言うべきか)の代表曲だ。
認識的にはキワモノ扱いされているのだが、この手の歌はたくさんある。
作曲家・都倉俊一氏の元夫人で、この歌を歌ったのは23歳の時。
今と比べるまでもなく、妙に大人っぽい。
ということで、恐らくはその何とかいう芸人が元にしたであろう歌を貼り付けてみる。
余談だが、池玲子がカバーしたバージョンもある。
こちらは元祖よりもアダルト路線であり、ほぼ音の官能小説といった感じだ。
なので貼り付けるのはやめておきましょう。
あまり子供には聴かせられませんな。
音楽とお笑いは特に感性の問題なので、ズレると全く笑えなかったりする。
昨今のお笑いブームと言われているもののほとんどが、オレ的に面白くも何ともない。
変なメイクで誤魔化したり、勢いだけのテンション芸、他人を笑いものにして自分の笑いにしてしまうなど、逆に不愉快になることもある。
歳を取ったという事かも。
なので最近の笑いには疎い。
何しろ巷で流行っている「ダメよ~、ダメダメ」というフレーズが、何とかいうお笑い芸人のネタだということを最近知った。
オレはてっきり大信田礼子の歌「女はそれをがまんできない(1971)」のことかと思っていた。
「女はそれをがまんできない/大信田礼子(1971)」
日本の歌謡曲の中でも、アダルト路線(昭和風に言えば「お色気歌謡」とでも言うべきか)の代表曲だ。
認識的にはキワモノ扱いされているのだが、この手の歌はたくさんある。
作曲家・都倉俊一氏の元夫人で、この歌を歌ったのは23歳の時。
今と比べるまでもなく、妙に大人っぽい。
ということで、恐らくはその何とかいう芸人が元にしたであろう歌を貼り付けてみる。
余談だが、池玲子がカバーしたバージョンもある。
こちらは元祖よりもアダルト路線であり、ほぼ音の官能小説といった感じだ。
なので貼り付けるのはやめておきましょう。
あまり子供には聴かせられませんな。
覚悟
日曜日からフットサルの練習が始まった。
新人戦に向けた準備の最中である新世代チームは、テンションも上がっていい感じだ。
それに比べるとちょっと心配なのが6年生。
やはりテンションは低い。
外での結果が出せなかった事を気に病んでいるのか、目標を見失ってさまよっているのか、いまいちピリッとしない。
特に心配なのは「歩夢」。
全少以来アルゴリズムが低下しっぱなしだ。
やる気はあるのかも知れないが、それがプレーに現れない。
やれば出来るタイプなだけに、今の状態は深刻だ。
自分の中の何かにつまづいているのかも知れないが、ここは自力で立ち上がってもらわないと。
これは歩夢だけの問題ではない。
6年生、いや、FCのメンバー全員に言える事ではないだろうか。
今回久しぶりに後藤コーチの登場もあって、みんな緊張感に包まれていた。
そしてゲーム形式に移った時、懸念材料は顔を出した。
当然後藤コーチはそれを見逃さない。
大前提である「やる気があるのか無いのか」について厳しい叱咤が飛んだ。
その叱咤が効いたのか、「言われたからやる」という消極的な姿勢であっても、やる気を出したメンバーはいいプレーを見せた。
(こういうやり方はオレには無理かもしれないが、見習わないとな。)
頑張っても届かない者、それでもやる気を見せられず仕舞いだった者、それぞれの思うことはあるだろう。
しかし後藤コーチ、宮澤コーチがはっきりと言い放った。
「これはサバイバルだ!」と。
今後の生き残りを掛けた戦いなのである。
疲れたから走るのをやめる、ボールを獲られても追わない、チャレンジしない、ファールしてでもボールを奪う気迫を見せない。
こういうヤツは生き残ることは出来ない。
まさにギリギリの所での戦いに望めないヤツはそこまでしか行けない。
要するに「覚悟が出来ているのか?」ということだ。
ここまで追い詰められて、ようやく腰を上げたのかと思うとちょっと情けないと思うが、練習時間ラストの20分間は緊張感と気迫溢れる展開が見えた。
やれば出来るじゃん。
やれるのにやらないから叱られるんだ。
やればあそこまでのプレーが出来るんだよ。
アルゴリズム低下中の歩夢だって、叱咤されて奮闘したじゃないか。
それでもまだまだ足りない。
スタート地点にすら立っていないかもしれない。
自主的にやる姿勢・意識をもっともっと持って欲しい。
これから先のサバイバルでどうなるかはわからないが、本気でやろうと思うなら気が休まる暇なんて無いぞ。
さあ、覚悟しろ!
知る人ぞ知る、ホットドッグ・プレスに掲載されていた作家・北方謙三氏のハードボイルド人生相談「試みの地平線」での決まり文句を。
「まだまだ物足りないぜ!」
新人戦に向けた準備の最中である新世代チームは、テンションも上がっていい感じだ。
それに比べるとちょっと心配なのが6年生。
やはりテンションは低い。
外での結果が出せなかった事を気に病んでいるのか、目標を見失ってさまよっているのか、いまいちピリッとしない。
特に心配なのは「歩夢」。
全少以来アルゴリズムが低下しっぱなしだ。
やる気はあるのかも知れないが、それがプレーに現れない。
やれば出来るタイプなだけに、今の状態は深刻だ。
自分の中の何かにつまづいているのかも知れないが、ここは自力で立ち上がってもらわないと。
これは歩夢だけの問題ではない。
6年生、いや、FCのメンバー全員に言える事ではないだろうか。
今回久しぶりに後藤コーチの登場もあって、みんな緊張感に包まれていた。
そしてゲーム形式に移った時、懸念材料は顔を出した。
当然後藤コーチはそれを見逃さない。
大前提である「やる気があるのか無いのか」について厳しい叱咤が飛んだ。
その叱咤が効いたのか、「言われたからやる」という消極的な姿勢であっても、やる気を出したメンバーはいいプレーを見せた。
(こういうやり方はオレには無理かもしれないが、見習わないとな。)
頑張っても届かない者、それでもやる気を見せられず仕舞いだった者、それぞれの思うことはあるだろう。
しかし後藤コーチ、宮澤コーチがはっきりと言い放った。
「これはサバイバルだ!」と。
今後の生き残りを掛けた戦いなのである。
疲れたから走るのをやめる、ボールを獲られても追わない、チャレンジしない、ファールしてでもボールを奪う気迫を見せない。
こういうヤツは生き残ることは出来ない。
まさにギリギリの所での戦いに望めないヤツはそこまでしか行けない。
要するに「覚悟が出来ているのか?」ということだ。
ここまで追い詰められて、ようやく腰を上げたのかと思うとちょっと情けないと思うが、練習時間ラストの20分間は緊張感と気迫溢れる展開が見えた。
やれば出来るじゃん。
やれるのにやらないから叱られるんだ。
やればあそこまでのプレーが出来るんだよ。
アルゴリズム低下中の歩夢だって、叱咤されて奮闘したじゃないか。
それでもまだまだ足りない。
スタート地点にすら立っていないかもしれない。
自主的にやる姿勢・意識をもっともっと持って欲しい。
これから先のサバイバルでどうなるかはわからないが、本気でやろうと思うなら気が休まる暇なんて無いぞ。
さあ、覚悟しろ!
知る人ぞ知る、ホットドッグ・プレスに掲載されていた作家・北方謙三氏のハードボイルド人生相談「試みの地平線」での決まり文句を。
「まだまだ物足りないぜ!」
鵜飼FCさんと練習試合
先週の土曜日、鵜飼FCさん主催での練習試合に参加させてもらった。
新人戦メンバー対象で、オレは野暮用を済ませた後に午後から参加した。
大更、YMCA、矢巾、滝沢、鵜飼、二戸の6チームの総当りで、ちょきんぎょへのトライ&エラーの場となった。
新人戦チームの特色としては、ボールへの執着心が高くなっている事が挙げられる。
とは言っても、まだ行き当たりばったりの部分が多く、要領良くという訳には行かない。
今はがむしゃらにやってくれればそれでいいと思っているので、頑張る事を前提に走りまくってもらうとしよう。
結果は勝ったり負けたり引き分けたりと、バラエティに富んでいた。
まだポジションやフォーメーションは定まっていないが、この辺はウッチーが真剣に考えているようだ。
試合事象のメモを取って次の練習課題にしたり、選手の特性を生かしたフォーメーションを模索したりと真剣だ。
微力ながら助言させてもらったり、審判をやりながら意図を確認してみたりと、オレなりに勉強させてもらった。
その中で躍動する選手達。
まだまだ足りない部分が多いが、気迫は感じられた。
新人チーム、結構楽しみかも。
新人戦メンバー対象で、オレは野暮用を済ませた後に午後から参加した。
大更、YMCA、矢巾、滝沢、鵜飼、二戸の6チームの総当りで、ちょきんぎょへのトライ&エラーの場となった。
新人戦チームの特色としては、ボールへの執着心が高くなっている事が挙げられる。
とは言っても、まだ行き当たりばったりの部分が多く、要領良くという訳には行かない。
今はがむしゃらにやってくれればそれでいいと思っているので、頑張る事を前提に走りまくってもらうとしよう。
結果は勝ったり負けたり引き分けたりと、バラエティに富んでいた。
まだポジションやフォーメーションは定まっていないが、この辺はウッチーが真剣に考えているようだ。
試合事象のメモを取って次の練習課題にしたり、選手の特性を生かしたフォーメーションを模索したりと真剣だ。
微力ながら助言させてもらったり、審判をやりながら意図を確認してみたりと、オレなりに勉強させてもらった。
その中で躍動する選手達。
まだまだ足りない部分が多いが、気迫は感じられた。
新人チーム、結構楽しみかも。
【映画】キリング・フィールド(1984)
監督:ローランド・ジョフィ
出演:サム・ウォーターストン、ハイン・S・ニョール、ジョン・マルコヴィッチ、ジュリアン・サンズ
太平洋戦争終結後、アジア諸国の覇権争いの様相を呈しはじめた二大大国(勢力)による代理戦争、いわゆる「冷戦」と言われた新たな対立の構造は、アジア諸国を混乱と破滅へと導いた。
第一次から第三次まである「インドシナ戦争」という大きなくくりで語られる東南アジア諸国の戦争の発端であった。
1950年には朝鮮半島が南北に分断し、1960年代に入ると東南アジア諸国にまで戦火は広がる。
その最たる例として、ベトナム戦争がある。
国(勢力)の対立だけではなく、イデオロギーの衝突から内戦に発展することも少なくなかった。
二つのイデオロギーのぶつかり合い、そして一方のイデオロギーの敗退が、無関係の国の内乱として、血で血を洗う抗争の火種となる。
前回紹介した「アクト・オブ・キリング」は、インドネシアの動乱を題材にしていたが、ベトナム戦争に関しても扱った映画は数多く存在する。
今回紹介する「キリング・フィールド」は1984年制作の英国映画で、カンボジアの内戦と虐殺を題材にしている。
このカンボジア内戦は、発端であるインドシナ戦争も換算して44年後の1990年にようやく終結する。
ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグの体験に基づく実話を映画化したものである。
カンボジア人助手のディス・プランを演じたハイン・S・ニョールはカンボジア出身の医師で、実際に4年の間、主導者ポル・ポト配下でカンボジアを勢力圏に治めていた共産主義勢力、「クメール・ルージュ」の元で強制労働に就かされた経験を持ち、奇跡的に生き延びた人物である。。
素人であったが、この作品でアカデミー助演男優賞を受賞した。
ちなみに「キリング・フィールド」とは、この時の大量虐殺が行われた刑場跡の俗称で、今ではおびただしい数の人骨が収められた慰霊塔になっている。
アメリカ人ジャーナリストのシドニー・シャンバーグと、現地の新聞記者であり通訳でもあるディス・プラン(カンボジア人)はカンボジア内戦を取材している。
しかし、カンボジア内戦はポル・ポト率いるクメール・ルージュが優勢となり、アメリカ軍が撤退を開始する。
この時、シドニーはプランの一家をアメリカに亡命させようとするが、プランは仕事への使命感から妻子のみをアメリカに逃がし、自分はカンボジアに残ることを決意し、シドニーと共に取材活動を続けていく。
やがて、カンボジアは完全にクメール・ルージュに支配され、シドニーたちはフランス大使館に避難する。
シドニーや他社の記者は、外国人故に帰国により逃れる事が出来るが、カンボジア人であるプランは逃げる事が出来ない。
シドニー達はパスポートを偽造して、プランをアメリカに亡命させようと画策する。
ところが、粗悪な印画紙に焼き付けたために、偽造パスポートの写真の画像が消えてしまい、プランを逃すことに失敗する。
プランはフランス大使館を出ることを余儀なくされ、クメール・ルージュの支配する集団農場へと移送されてしまう。
映画が公開された頃、「政治的で差別的な内容である」、「カンボジア大虐殺の背景や全体状況が全く描かれていない為、カンボジア情勢を誤解させるような曖昧な表現が多い」、「シャンバーグが他のカンボジア人の救出に尽力せずプランの救出のみを考えており差別的」といった批判が出ていた。
また肯定的な意見として、「ポル・ポト政権による殺戮と文明破壊の実態を極めて不十分にしか伝えていない」、「クメール・ルージュについての背景説明がまったく描かれていない」としながらも、「現実伝える努力は、かなりのところまで歴史の真実に迫っている」としている。
しかし個人的に思うことは、これはあくまでも映画であり、シャンバーグとプランの友情物語であるということだ。
確かに、当時のカンボジア情勢というものの説明が不十分であるにしろ、これは歴史を紐解く映画ではない。
体験記を元にしている以上、主観的な物語になるのは当然のことである。
なによりも、生きるか死ぬかの瀬戸際の状況下で、取材記者たちの命懸けの行動や、全体像の見えないまま泥沼化していく内戦の緊張感は描かれている。
「アクト・オブ・キリング」同様、これは罪を断罪する映画ではない。
こういった事が、日常の些細なバランスが崩れることで、いつまた起きないとも限らない。
イデオロギーの暴走は、カンボジアの基幹産業であった農業の根底を破壊しつくし、今でも各地に地雷が埋まったままである。
また、信仰心の厚い国だったものが、最終的には寺院を破壊するまでに荒れ果ててしまった。
指導者であったポル・ポトは、国の政策を批判し続け、国王追放の波に乗って支配者となったが、かつて国費で海外留学していた事に対する矛盾を見抜きうる知識人を極端に恐れ、学歴を持つもの(教師、医師、記者等)を虐殺し始めた。
無垢な子供の心こそ再建の鍵とばかりに、年端も行かぬ子供達を、強制労働に従事する大人達の監視に付け、子供達の裁量により、手が汚れていない、作業が緩慢だという理由で虐殺の対象とされた。
こんな歴史が、つい40年程前にあったのだ。
知らずに生きていくことの幸せもあるが、知ってしまった以上、再びこの歴史を繰り返さないように祈るばかりである。
と言っても、今の瞬間にも内戦によって命が失われているのが現実だ。
出演:サム・ウォーターストン、ハイン・S・ニョール、ジョン・マルコヴィッチ、ジュリアン・サンズ
太平洋戦争終結後、アジア諸国の覇権争いの様相を呈しはじめた二大大国(勢力)による代理戦争、いわゆる「冷戦」と言われた新たな対立の構造は、アジア諸国を混乱と破滅へと導いた。
第一次から第三次まである「インドシナ戦争」という大きなくくりで語られる東南アジア諸国の戦争の発端であった。
1950年には朝鮮半島が南北に分断し、1960年代に入ると東南アジア諸国にまで戦火は広がる。
その最たる例として、ベトナム戦争がある。
国(勢力)の対立だけではなく、イデオロギーの衝突から内戦に発展することも少なくなかった。
二つのイデオロギーのぶつかり合い、そして一方のイデオロギーの敗退が、無関係の国の内乱として、血で血を洗う抗争の火種となる。
前回紹介した「アクト・オブ・キリング」は、インドネシアの動乱を題材にしていたが、ベトナム戦争に関しても扱った映画は数多く存在する。
今回紹介する「キリング・フィールド」は1984年制作の英国映画で、カンボジアの内戦と虐殺を題材にしている。
このカンボジア内戦は、発端であるインドシナ戦争も換算して44年後の1990年にようやく終結する。
ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグの体験に基づく実話を映画化したものである。
カンボジア人助手のディス・プランを演じたハイン・S・ニョールはカンボジア出身の医師で、実際に4年の間、主導者ポル・ポト配下でカンボジアを勢力圏に治めていた共産主義勢力、「クメール・ルージュ」の元で強制労働に就かされた経験を持ち、奇跡的に生き延びた人物である。。
素人であったが、この作品でアカデミー助演男優賞を受賞した。
ちなみに「キリング・フィールド」とは、この時の大量虐殺が行われた刑場跡の俗称で、今ではおびただしい数の人骨が収められた慰霊塔になっている。
アメリカ人ジャーナリストのシドニー・シャンバーグと、現地の新聞記者であり通訳でもあるディス・プラン(カンボジア人)はカンボジア内戦を取材している。
しかし、カンボジア内戦はポル・ポト率いるクメール・ルージュが優勢となり、アメリカ軍が撤退を開始する。
この時、シドニーはプランの一家をアメリカに亡命させようとするが、プランは仕事への使命感から妻子のみをアメリカに逃がし、自分はカンボジアに残ることを決意し、シドニーと共に取材活動を続けていく。
やがて、カンボジアは完全にクメール・ルージュに支配され、シドニーたちはフランス大使館に避難する。
シドニーや他社の記者は、外国人故に帰国により逃れる事が出来るが、カンボジア人であるプランは逃げる事が出来ない。
シドニー達はパスポートを偽造して、プランをアメリカに亡命させようと画策する。
ところが、粗悪な印画紙に焼き付けたために、偽造パスポートの写真の画像が消えてしまい、プランを逃すことに失敗する。
プランはフランス大使館を出ることを余儀なくされ、クメール・ルージュの支配する集団農場へと移送されてしまう。
映画が公開された頃、「政治的で差別的な内容である」、「カンボジア大虐殺の背景や全体状況が全く描かれていない為、カンボジア情勢を誤解させるような曖昧な表現が多い」、「シャンバーグが他のカンボジア人の救出に尽力せずプランの救出のみを考えており差別的」といった批判が出ていた。
また肯定的な意見として、「ポル・ポト政権による殺戮と文明破壊の実態を極めて不十分にしか伝えていない」、「クメール・ルージュについての背景説明がまったく描かれていない」としながらも、「現実伝える努力は、かなりのところまで歴史の真実に迫っている」としている。
しかし個人的に思うことは、これはあくまでも映画であり、シャンバーグとプランの友情物語であるということだ。
確かに、当時のカンボジア情勢というものの説明が不十分であるにしろ、これは歴史を紐解く映画ではない。
体験記を元にしている以上、主観的な物語になるのは当然のことである。
なによりも、生きるか死ぬかの瀬戸際の状況下で、取材記者たちの命懸けの行動や、全体像の見えないまま泥沼化していく内戦の緊張感は描かれている。
「アクト・オブ・キリング」同様、これは罪を断罪する映画ではない。
こういった事が、日常の些細なバランスが崩れることで、いつまた起きないとも限らない。
イデオロギーの暴走は、カンボジアの基幹産業であった農業の根底を破壊しつくし、今でも各地に地雷が埋まったままである。
また、信仰心の厚い国だったものが、最終的には寺院を破壊するまでに荒れ果ててしまった。
指導者であったポル・ポトは、国の政策を批判し続け、国王追放の波に乗って支配者となったが、かつて国費で海外留学していた事に対する矛盾を見抜きうる知識人を極端に恐れ、学歴を持つもの(教師、医師、記者等)を虐殺し始めた。
無垢な子供の心こそ再建の鍵とばかりに、年端も行かぬ子供達を、強制労働に従事する大人達の監視に付け、子供達の裁量により、手が汚れていない、作業が緩慢だという理由で虐殺の対象とされた。
こんな歴史が、つい40年程前にあったのだ。
知らずに生きていくことの幸せもあるが、知ってしまった以上、再びこの歴史を繰り返さないように祈るばかりである。
と言っても、今の瞬間にも内戦によって命が失われているのが現実だ。
【映画】アクト・オブ・キリング(2012)
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
製作から2年を経過して、ようやく日本公開されたドキュメンタリー。
オレの中で、2014年のベスト映画最有力である。
1965年、時のインドネシア大統領・スカルノの下で、軍事的な権力を握っていたスハルトが、クーデターによって政治を掌握する。
その際右派勢力によって、共産主義を排除するための「共産党員狩り」と称した大虐殺が起こり、100万人以上の民衆が殺された「9月30日事件」をテーマとしている。
だが、自国人が自国人を殺すという、血で血を洗う惨劇に発展したものの、歴史的にほとんど知られていない。
この大虐殺をドキュメンタリーとして映画にしようとした監督は、被害者への取材を続ける内、政府からの妨害を受けるようになる。
断腸の思いで製作を断念しようとしていた監督に、「加害者を取材してくれませんか?」と被害者の一人が切り出した。
そして加害者側を取材していくうちに、言い様の無い違和感に包まれる。
そこには英雄を気取るかの様に、虐殺の事実を誇らしげに語る人達がいた。
そして監督は切り出す。
「あなたが行った虐殺を、もう一度演じて見ませんか?」
当時の虐殺に関わった本人達を取材し、彼らにその時の行動をカメラの前で演じさせて再現するという手法をとった異色のドキュメンタリー映画である。
当時の行動を再現させ、被害者役までも演じさせていくうちに、加害者に予想だにしなかった変化が訪れる。
なお、製作に関わった多くの現地スタッフは、ANONYMOUS(匿名者)としてクレジットされている。
これは、この事件がインドネシア国内ではいまだにタブーであり、名前を明かす事は彼らにとって様々な危険を伴うとの理由からである。
だがこれは、単に虐殺者を断罪する映画ではない。
歴史の闇を白日の下に晒し出す映画でもない。
淡々と起こった出来事をトレースしていくうちに、そこに見えてくるのは、虐殺者達は実に普通の人間であるということだ。
殺人が趣味だと言ってしまうような特殊な人間ではない。
ということは、この出来事は条件が整ってしまえば、この映画を観ている人達にも同様の事が起こるということ。
世界が今、再びこのような歴史を刻んでしまう危険に向かっている。
しかし、自分も人間である以上、こういった虐殺の歴史に加担する人間にならないとも限らない。
実に紙一重の所に生きている事を実感する映画だ。
「悪の正体」とは一体何か?
驚くべき事は、こういった映画が公開されたと言うのに、当時の大統領第3夫人であるデヴィ・スカルノの住む日本のマスコミが、この映画に対する報道をほとんどしなかった事だ。
正直言って、日本のマスコミはクソだ。
製作から2年を経過して、ようやく日本公開されたドキュメンタリー。
オレの中で、2014年のベスト映画最有力である。
1965年、時のインドネシア大統領・スカルノの下で、軍事的な権力を握っていたスハルトが、クーデターによって政治を掌握する。
その際右派勢力によって、共産主義を排除するための「共産党員狩り」と称した大虐殺が起こり、100万人以上の民衆が殺された「9月30日事件」をテーマとしている。
だが、自国人が自国人を殺すという、血で血を洗う惨劇に発展したものの、歴史的にほとんど知られていない。
この大虐殺をドキュメンタリーとして映画にしようとした監督は、被害者への取材を続ける内、政府からの妨害を受けるようになる。
断腸の思いで製作を断念しようとしていた監督に、「加害者を取材してくれませんか?」と被害者の一人が切り出した。
そして加害者側を取材していくうちに、言い様の無い違和感に包まれる。
そこには英雄を気取るかの様に、虐殺の事実を誇らしげに語る人達がいた。
そして監督は切り出す。
「あなたが行った虐殺を、もう一度演じて見ませんか?」
当時の虐殺に関わった本人達を取材し、彼らにその時の行動をカメラの前で演じさせて再現するという手法をとった異色のドキュメンタリー映画である。
当時の行動を再現させ、被害者役までも演じさせていくうちに、加害者に予想だにしなかった変化が訪れる。
なお、製作に関わった多くの現地スタッフは、ANONYMOUS(匿名者)としてクレジットされている。
これは、この事件がインドネシア国内ではいまだにタブーであり、名前を明かす事は彼らにとって様々な危険を伴うとの理由からである。
だがこれは、単に虐殺者を断罪する映画ではない。
歴史の闇を白日の下に晒し出す映画でもない。
淡々と起こった出来事をトレースしていくうちに、そこに見えてくるのは、虐殺者達は実に普通の人間であるということだ。
殺人が趣味だと言ってしまうような特殊な人間ではない。
ということは、この出来事は条件が整ってしまえば、この映画を観ている人達にも同様の事が起こるということ。
世界が今、再びこのような歴史を刻んでしまう危険に向かっている。
しかし、自分も人間である以上、こういった虐殺の歴史に加担する人間にならないとも限らない。
実に紙一重の所に生きている事を実感する映画だ。
「悪の正体」とは一体何か?
驚くべき事は、こういった映画が公開されたと言うのに、当時の大統領第3夫人であるデヴィ・スカルノの住む日本のマスコミが、この映画に対する報道をほとんどしなかった事だ。
正直言って、日本のマスコミはクソだ。
岩手県社会人フットサルリーグ兼審判昇級試験 道中記
フットサル審判員、4級から3級への昇格試験を兼ねて、実に久しぶりに県リーグの会場に足を運んだ。
仲間や知り合いが多数いるこのリーグが、試験会場というわけだ。
「二戸FCのスタッフである以上、最低でも審判のワッペンは青(3級))!」というレベル設定に後押しされ、全く自信も無くチャレンジしてみた。
正直、浅里達との練習は今でも細々と続けているので、ゲームスピードについていく事は出来ると思っていた。
問題はジャッジの基準である。
ファールを見る事が出来ているか、またそのファールに笛を吹く勇気が持てるか、という所が、県リーグの審判初体験のオレの不安材料だった。
結果から言えば、正直納得出来ていない。
何においても完璧と言う事はないのだが、自分でも判るほどのテンパりっぷり、アドバンテージを取れるところを止めてしまう、指し示す方向の間違い、数え上げればキリが無い。
さらにこれが、選手達の疑心暗鬼を持ってしまうようなジャッジになりかねないか、選手達からの異議に上手く対応できるのか、不安材料は増すばかりだ。
さらにさらに、県リーグはプレイングタイム。
20分ハーフだが、実際は40分を超えることもザラにある(オレが担当した2試合は、どちらも35分ほどだった)。
それを一日2試合担当するとかいう話になれば、体力的な問題も出てくる。
それでなくとも怪我(持病)持ちのオレは、いつ壊れるかわからない。
ああ、不安ばかりだ・・・。
それでも何とか2試合をこなし、重大な欠点・問題点の指摘も無く(もちろん3、4点注意点はある)、実技の審査が終わり、あとは合否の連絡を待つだけ。
ただ、例え合格したからといって安心は出来ない。
まだまだ経験が必要だし、その場に耐えられるかも不安がある。
とりあえず、今回は貴重な体験をさせてもらった。
スポ少でも感じる事だが、審判をする事で、あるプレーの側面を見る事が出来る。
そしてそれを自分のプレーに反映させられるようになれればと思っているし、さらに指導的なことにも結びつけばいいと思っている。
プレーだけでは見えてこなかったものが、側面から見る事によって、気付く事がこんなにも多いと痛感した。
次はアニキとウッチーが行く番らしい。
覚悟を決めて行ってらっしゃい。
仲間や知り合いが多数いるこのリーグが、試験会場というわけだ。
「二戸FCのスタッフである以上、最低でも審判のワッペンは青(3級))!」というレベル設定に後押しされ、全く自信も無くチャレンジしてみた。
正直、浅里達との練習は今でも細々と続けているので、ゲームスピードについていく事は出来ると思っていた。
問題はジャッジの基準である。
ファールを見る事が出来ているか、またそのファールに笛を吹く勇気が持てるか、という所が、県リーグの審判初体験のオレの不安材料だった。
結果から言えば、正直納得出来ていない。
何においても完璧と言う事はないのだが、自分でも判るほどのテンパりっぷり、アドバンテージを取れるところを止めてしまう、指し示す方向の間違い、数え上げればキリが無い。
さらにこれが、選手達の疑心暗鬼を持ってしまうようなジャッジになりかねないか、選手達からの異議に上手く対応できるのか、不安材料は増すばかりだ。
さらにさらに、県リーグはプレイングタイム。
20分ハーフだが、実際は40分を超えることもザラにある(オレが担当した2試合は、どちらも35分ほどだった)。
それを一日2試合担当するとかいう話になれば、体力的な問題も出てくる。
それでなくとも怪我(持病)持ちのオレは、いつ壊れるかわからない。
ああ、不安ばかりだ・・・。
それでも何とか2試合をこなし、重大な欠点・問題点の指摘も無く(もちろん3、4点注意点はある)、実技の審査が終わり、あとは合否の連絡を待つだけ。
ただ、例え合格したからといって安心は出来ない。
まだまだ経験が必要だし、その場に耐えられるかも不安がある。
とりあえず、今回は貴重な体験をさせてもらった。
スポ少でも感じる事だが、審判をする事で、あるプレーの側面を見る事が出来る。
そしてそれを自分のプレーに反映させられるようになれればと思っているし、さらに指導的なことにも結びつけばいいと思っている。
プレーだけでは見えてこなかったものが、側面から見る事によって、気付く事がこんなにも多いと痛感した。
次はアニキとウッチーが行く番らしい。
覚悟を決めて行ってらっしゃい。