fc2ブログ

【音楽】カンタータ29番「シンフォニア/神よ、われ汝に感謝す」BWV.29

冨田勲がシンセサイザー・ミュージックに傾倒するきっかけとなったのがこれ。
ウォルター・カーロス(現在はウェンディ・カーロス)の、MOOGを主体としたオール・シンセで作られた、1968年発売の初のシンセサイザーアルバム「SWITCHED ON BACH(スイッチド・オン・バッハ)」である。
題材はもちろんJ.S.バッハ。
このアルバムの当時の批評として、「バッハの音楽は、楽器の種類の如何に関わらず普遍的であることを示している。」といった内容のものが多く、シンセサイザーへの批判的な内容が多かった。
その後の音楽評論では、シンセサウンドに対して必ず「機械的」、「無機質」といったネガティブな批評ばかりだった。
今ではコンピューター無しでは成立しないほど、音楽制作の場にはテクノロジーが溢れているが、あくまでもファンであるオレから言わせてもらえれば、今の音楽こそ「機械的」に聞こえる。
ちなみにこのアルバムはほとんどが手弾きである。
当時はシーケンサー(自動演奏の機械)はほとんど出ておらず、全て人間が演奏するしかなかった。
そのため、機械的なジャストタイミングのビートではないこの頃のシンセサウンドは、人間の味わいが表れている。
本来音楽とはそうあるべきで、楽器が弾けなくても音楽が出来る時代になっても、人間の味わいこそが音楽の根幹ではないだろうか。


sinfonia

それにしてもこの曲は、バッハの作曲の手癖というものがよく表れている。
スポンサーサイト



【国内TV】驚異の世界(1972)

冨田勲の極一部を紹介してきたが、シンセサイザーの第一人者として名高い氏の弟子の一人に、松武秀樹がいる。
この名前を聞いてピンと来た人はテクノ通かY.M.O.ファンである。
Y.M.O.のサウンドを陰で支える、シンセサイザーのオペレーター兼プログラマーである。
現在はマニピュレーターという言い方をする。
ライブ映像を見たことがある人なら判ると思うが、メンバーの後ろで大きな機材の前に座って作業していたあの人のことだ。
その松武秀樹の作品で有名なのがこれ。
バンジージャンプというものを、この番組で知った人も多いのでは?



「新日本紀行」の時にも書いたが、今やこのような骨太のドキュメンタリー番組など無くなってしまったなぁ。

隣の芝生は青く見える

八幡平サマーチャレンジカップで苦行の道を進む二戸FCをよそに、文字通りお隣の中沢グラウンドでは、岩手県中学一年生大会が行われていた。
事前にメンバーの情報をもらっていたのだが、ほとんどが見知った顔ばかりで、懐かしささえ漂う布陣に興味をそそられた。
初日の情報として、「3戦3勝」というにわかには信じがたい速報が飛び込んできた。
このまま行けるところまで行って欲しいと願い、FCの選手達のケツを叩く事に集中した。
翌日というか当日の夜から、仕事場の機械トラブルの修理のため、徹夜作業をする羽目となり、サマーチャレンジの二日目を欠席することとなった。
免許の書き換えもあったのだが、体力的な事と、前日の日焼けで赤面になってしまった事が、書き換えをも諦めさせた。
夜が明けて開放され、帰って寝ようかとも思ったが、FCの様子を少しだけ見ようと向かった時、中一大会の事を思い出し、道すがら少し寄り道していった。
すると久慈の拓実ママと駐車場で遭遇。
さらに崇楽ママとも遭遇し、「決勝戦だよ」と言われ、観て行く事にした。
福中から選ばれた、亮弥、翔吾、瑠心、眞大とその家族も勢揃い。
展開としては、前半終盤まで0-2と苦しい状況。
残り時間も少ないころに1点を返し、1-2で前半終了。
ここで珍しく保護者の皆さん前でハッタリをかましてみた。
「0-2から1点返した試合は、絶対に何か起こる。」
2点差、特に2-0または0-2というスコアは、最も危険な点差とされているからだ。
後半開始と共に、瞬く間に2点取り、3-2と逆転。
後半終了間際に、相手の意地を見せられで同点を許すも、PK戦は眞大が4人目を止め、こっちは全員が決めて初の快挙を成し遂げた。

かつての教え子達の活躍は、やっぱり嬉しいものがある。
調子が下降線を辿っているFCにも、いい刺激と励みになったことだろう。
FCとの比較として、あまりふさわしくないタイトルである「隣の芝生は青く見える」という言葉を使ったが、単純に選手達の目標・目的意識の違いによるものなんじゃないかと思う。
今はあらゆる体験をプラスにする気持ちで望まなければならない。
FCのみんな。
とにかく意識を変えろ。

今度、福中の一年生と対戦することになっている。
「胸を借りるつもりで」というような半端な気持ちではなく、相手が誰だろうと全力を尽くすことだけを考えて頑張ってほしい。
まさに目標・目的意識だ。

あ、遅くなったが、久慈・二戸連合チームのみんな。
優勝おめでとう。

junior_high_01.jpg

体力強化月間 最終章 八幡平サマーフレンドリーカップ

体力強化月間もいよいよ最終章。
2日間にわたる大会は、ハードな7月を締めくくるにふさわしいものとなった。
さらに、来るべきセーラーカップに向けての問題点と課題を露呈する「いい機会」となった。

細かいパスをつないで相手を翻弄するプレーも見られたし、個の力で突破していく姿も見られた。
要所要所で納得できるプレーが見られたのは収穫だった。
これがコンスタントに出せれば・・・。

問題は課題のほうだ。
確かに疲れているのは分かる。
体力的にキツイのも分かる。
今のレギュレーションでは、一日に5、6試合を二日続けてやるなんて事は無いのも分かる。
それでもプレーする以上は出来る限りの事をやって欲しい。
どんなに無様な姿を晒そうと、試合時間内はプレーし続けなければならない。
もう最後のほうは集中が切れていて、ボールを追うことすら出来ていなかった。
元々低かったボールへの執着心は、見るも無残なものとなっていた。

いつも言うことだが、勝った負けたで小言を言う事は無い。
勝とうが負けようが、その試合にどれだけ真剣に向き合っているかを見ているつもりだ。
疲れるくらい走って走って走りまくったのなら問題は無い。
実際に走って疲れたのなら、「疲れた」でいいと思う。
動けないのにダラダラと試合時間を過ごす事が問題なのである。
いつも言うことだが、そういう態度は相手に失礼だ。
さすがの宮澤コーチもカミナリを落とすに決まっている。

だがオレが一番問題視しているのは、こういう事態に対してキャプテンである賢心が責められるのは当然の事だが、その事を他の選手が自分の事として聞く意識に欠けている事だ。
何人かはカミナリを落とす宮澤コーチに目線を向けていたのだが、大半は下を向いたままだったり、あまつさえよそ見している始末。
まるで「怒られるのは賢心の役目」とでも言いたそうな・・・。
こういう状況である以上、プレーしていても人任せにしてしまう傾向になるのは当然のことだ。
本当に自分達の試合だという事を自覚しているのだろうかと疑いたくなる。
「勝ちたいのか?」と聞くと、揃って「勝ちたい」と答えるが、その言葉を裏付ける行動が見られない。

今一度聞いてみたい。
「本当に勝ちたいと思っているのか?」と。
試合が始まれば、ゲームは全て選手のものだ。
もちろんピッチ上の選手、ベンチの選手含めてだ。
だからこそ、自分が好きで始めたフットボールというスポーツに対して、真剣に向き合って欲しい。
相手があることだから、うまくいかない事だってある。
相手だって遊んでるんじゃないんだから当然だ。
だからこそ自分と向き合わなきゃならない。
セーラーに向けて今の自分を一旦リセットして、真剣に考えてみて欲しい。

あと一ヶ月ある。
全てが悪い訳じゃない。
いい形、いい雰囲気を作り出す事だって出来る。
あとは気持ちの問題だ。
勝ちたいと思うなら真剣にやろうよ。

相手との勝負は、自分との勝負だという事を知れ。

きょうの料理(1957)

冨田勲の壮大な音楽を聞いた後では、意外だと思われるかもしれないが、およそ50年に渡って使われ続けている、誰でも知っている名曲がこれ。
各小節の4拍目、16分音符の4連打(カタカタと聴こえるやつ)は、言うまでもないがまな板の音をイメージしている。
これを聞くとなぜか料理したくなる。
遺伝子への不思議な刷り込みが施されているようだ。



この曲がNHKから発注され、冨田に与えられた納期は「明日の放送に間に合うように」だったと言われている。

新日本紀行(1969)

冨田勲音楽監修シリーズ。
1963年からNHK総合で放送されていた、日本で初めての本格的な紀行番組。
日本各地の原風景を訪ね、ナレーションやインタビューを交えて紹介する番組である。
この番組を模して、後に舞台を世界に広げた「兼高かおるの世界旅行」や、「素晴らしき世界旅行」、「驚異の世界」、「知られざる世界」などのドキュメンタリー番組が登場する。
この「新日本紀行」も、いわゆる風土記から人間の記録に中心を移し、紀行ドキュメントの色合いを濃くしていった。
余談だが、1982年の最終回まで一貫して16mmフィルムで撮影され、VTR録画は行われなかった。
放送当時、ビデオテープは大変に高価なものであったため、放送されたほとんどの番組は消去され、再利用されるのが通例であり、この影響で映像として残っていない番組が無数に存在する。
NHKの「少年ドラマシリーズ」などはその代表格で、人気の高かった「なぞの転校生」などは、一般視聴者が偶然にも録画保存していたものを発掘してソフト化したりしている。
しかし「新日本紀行」はその余波を受けず、全793回の放送分は全て保存されている。



このテーマ曲は、1969年に変更された二代目のものだが、「新日本紀行」のテーマといえば、オレなどはもっぱらこちらを指す。
「君が代」をイメージして作られたという本作は、まさに日本の原風景にマッチする名曲である。
今ではこんなドキュメンタリー番組も無くなってしまったなぁ。

まあこんな田舎に住んでいれば、都会の人ほど原風景というものにノスタルジーを感じたりはしない。
それでも振り返って想いを馳せるにはちょうどいい音楽である。

キャプテンウルトラ(1967)

冨田勲音楽監修シリーズ。
冨田勲の特撮ものなら、これをおいて他にはない。
これも「冨田節」全開の名曲である。
「♪月も火星もはるかに越えて~」
なんという、血湧き肉踊る、燃えるテーマソングだろうか。



この「キャプテンウルトラ」、最終回でブラックホールを抜けて、宇宙の果てに辿り着いたキャプテンたちが見たものは、一面の花畑だったというラストだった。
この難解なラストをどう解釈するかは、観る人の感性に委ねられる。
子供向けなのに、ねえ。

ともかく日本初と言っていい、宇宙を舞台とした「スペースオペラ」である。

マイティジャック(1968)

冨田勲音楽監修シリーズ。
こちらは特撮物。
円谷プロが作った本格海洋アドベンチャー。
ミニチュアのクオリテイやギミックに凝り過ぎたあまり、制作費を回収できず1クールで終了した悲運のドラマ。
二谷英明など出演者も豪華だったが、視聴率は振るわなかったとされる。

それにしてもこのクオリティはテレビの域を超えている。
注水シーンや、発進・帰還のシーンは白眉。
当然イギリスの映像作家ジェリー・アンダーソンの「スーパーマリオネーション」シリーズの影響をモロに受けている。
「スーパーマリオネーション」シリーズで有名なところでは、「海底大戦争スティングレイ」や「サンダーバード」がある。



そしてこれも「珠玉の冨田サウンド」だ。

ジャングル大帝(1965)

シンセサイザー以前の「冨田サウンド」は、音の広がり「音響」が特徴だと思う。
1960年代に携わったアニメソングや特撮シリーズの音楽にはそれがよく現れている。
その代表格がこれ。
特にオープニングは、それだけで一つのストーリーといってもいい出来。
ちなみにエンディングを歌っているのは、歌手の弘田三枝子である。
余談だが、ウォルト・ディズニーに憧れて、彼を目標に作られた手塚アニメ。
それらはやっぱりウォルト・ディズニーの影響を色濃く残している。
時は流れ、ディズニーが「ライオン・キング」を作った時、立場が逆転したのか、「ジャングル大帝のパクリだ」と避難されたことがある。
ディズニー側はパクリ説を否定しまくり、その矛先は明らかに元ネタである「ジャングル大帝」の生みの親の手塚プロダクションに向けられた。
手塚側の対応は、実際にこう言った訳ではないが、「この問題には言及しません。もしパクられたのなら、それは光栄なことです。」と言わんばかりの大人の対応だった。
世の中にはパクリなのかリスペクトなのかわからないものがたくさんある。
いつかそういったものをこのプログで特集してみようかな。



それにしても壮大な音楽だ。

リボンの騎士(1967)

ちょっと前に、作曲家・冨田勲について書いたが、そのシリーズとしてちょっと特集してみよう。

シンセサイザー・ミュージックに傾倒する前の冨田勲の音楽には、独特の趣がある。
この歌も冨田勲によるもの。
オーケストレーションに個性があり、「空間」を感じさせる。
スケールの大きさを感じる「構成」、というより「音響」である。
「リボンの騎士」の主題歌には数種類あって、今回は女の子バージョン。
主人公が女の子だったり、男装の騎士だったりすることから、エピソードによって歌詞が違っていた。
音源としてよく聞かれるのは男の子バージョンである。



それにしても、何という夢あふれる映像だろうか。
訪問者数
プロフィール

faccer

Author:faccer
Be Water,My Friend.

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR