fc2ブログ

気合の入れ方

土曜日と日曜日のハードな試合。
U-12、U-11、U-10と、3つのカテゴリーでめまぐるしく試合、また試合。
体力、集中力共に、普段経験しないほどの疲労感を味わったことだろう。

今回U-12、U-11は、自らがポジションを決めてゲームを進めるという課題に取り組んだ。
その中で、「パス禁止」的なプレーにチャレンジした姿が非常に面白かった。
特にキーパーからのドリブルには沸いた。
賢心と奎介がそれを見せてくれた。
パスフットボールの時代はは終わったと思わせる面白さ、とは言いすぎか?

これらのプレーにはもちろん布石というものがあった。
試合前の気合の入れ方というものが、個々に色々と違うことに気がついた。
濡れタオルを頭の上で搾る、普段は喋るヤツなのにひたすら黙る、誰彼構わずイタズラする等々、色々あるもんだ。
コーチ陣で言えば、後藤コーチはまず厳しい言葉から入って戒め、ゲームが始まると一気に開放させる。
アニキで言えば、ひたすらスキンシップを心がけている。
オレは何が出来ているのかなぁ。
実は試合見て騒いでいるだけかも・・・。
こうしてみると、これらも一つの気合の入れ方だ。

今回びっくりしたのは、突然ボウズ頭になって登場した奎介。
奎介パパ曰く、「朝起きたらこうなってた」。
これも気合の表れか。
どうしてそうなったのか聞いたら「気合を入れるため」だと言う。
全少の結果を本人なりに受け止めているのだろうが、あえてなぜ気合を入れることにしたのか聞いてみた。
すると「師匠を見習った」とつぶやいた。
奎介の師匠と言えば崇楽だが、崇楽が気合を入れるためにボウズにしたことってあったっけ?
「師匠は気合の人だから」的な事を話していると、周りの子達も、そういえば崇楽はああだった、こうだったと身体を張ったプレーをしていたのを思い出していた様だった。
崇楽、人気あるなぁ。
もちろん賢心は亮弥を意識しているし、他にも翔吾や瑠心の走る姿を思い出している子もいた。
当然青は眞大へのライバル心は忘れておらず、最近はそれに駿太朗も張り合っている。
今の世代は今の世代としてプレーしてもらえればいいことだし、前世代にこだわる必要も無い。
しかし、こういった事を思い出しながら、プレーに気持ちを反映させているのだとしたら、前世代はイイ置き土産をしていったという事だし、現世代はいい目標が出来たという事だ。
あまり前世代と比べて物事を話すことはしないようにしていたが、こうなるとある部分では気合を入れるための殺し文句にしちゃってもいいのかも知れない。

何にせよ、目標を持って頑張るという事は共通した事なので、あとは如何にして「自分のため」ということに気付けるかという事だろう。
ハードスケジュールである7月だが、自分を高めるチャンスだと思って頑張って欲しい。
仕事やら免許の書き換えやらで、行けたり行けなかったりになってしまうけど、行けた時は出来る限り細かな所まで見ようと思う。
オレなりに考えるチームの修正点というものを提示出来るようになれればいいなぁ。
スポンサーサイト



強化月間、始まる

土曜日のリーグ、日曜日の交流戦と、スケジュール的にもハードな日程を経験し、選手達はすこし目の色が変わったような気がする。
技術的な面はこれから伸びるとはいえ、心構えというものはすぐにでも直さないと取り返しがつかなくなる。
久々に後藤コーチが来て、実にシンプルな気合の入れ方をしていた。
「勝ちたきゃちゃんとやれ」
これが全てだったような気がする。

今回は出来るだけ自分達で自分達ののゲームプランを立てる方向で進めてもらった。
ポジションも自分達で決め、戦い方も自分達で組み立てさせた。
意外と言えば失礼だが、選手達はこういう状況下で、チームとしての目線を自然と合わせられるようになってきたようだ。
もちろん、まだまだ直さなければならないこともあるし、まだまだ足りないものもたくさんある。
もちろん褒められるプレーだってたくさんあった。
過密な試合日程をこなし、疲労がたまっている中で、「もうひと頑張り」することの大事さに気付き始めた選手もいる。
相変わらず「ぬる~い」気持ちでやっている選手もいる。
しかし、試合に出れば出るだけ経験値が上がっていく。
当然他の選手も同じように経験値を稼いでいくので、差がついていると感じている選手は、プラスαの努力をしなければならない。
みんな自分なりに振り返ってみて、自分の目標を持って欲しい。

気持ち一つで変わっていくことだったある。
前にも書いたけど、自分がここに来ている理由は何か?
ゴールを決めたい、活躍したい、試合に出たいと思うのなら、その前にやることがある。
この2日間で、少しでもそれに気付いてくれたら嬉しい。

細かいことはまたこれからも書いていくとしよう。
まずはこれからの戦いの「準備の準備」をし始めた、という感じかな。

敗退の影で

今回の結果以外に気になることがあったので書いてみよう。
選手のコメントだ。
それぞれで感じ方が違うため、実に様々な言い回しというものが見受けられる。
だが一様に「悔しい」という気持ちだけは共通しているようで、その点は安心だ。
内田以外は。
敗退後のインタビューのなんと饒舌なことか。
よくもまあ、あんなにペラペラと喋れるもんだ。
何だかまるで他人事みたいだった。
しかもこのタイミングで代表引退示唆発言。
1974年大会でのヨハン・クライフを気取っているのか。
こんな気持ちのままで終わるつもりなのか、と聞いてみたい。
それほど絶望したという事なのかも知れないので、一概に批判は出来ないが、翌日には「ここで辞めたら負け犬かなと思ってる」と発言しだす始末。
何考えてるんだ?と思ってしまう。
もちろん、それほど気持ちが混乱しているということなのだろうが、戦いに挑んだものとして、そう簡単に自分の進退を吹聴するもんじゃないだろう。
いくら冷静になれないとはいえ、コメントがブレ過ぎだ。

しかし、本田のインタビューですごくいい言葉を見つけた。
「明日からまたサッカーが出来る環境にある。これはすごく幸せなことだ。」
これには感心した。
どんなに惨めであろうと出た結果は受け入れるしかないし、どんなに辛くても残された仕事はやり遂げなきゃならない。
「口先だけ」と自虐コメントをしていたが、それが判っているだけでもいいんじゃないだろうか。
先を見る力は残っているという事なんじゃないだろうか。
ここに、本田と内田の決定的な違いがあるように思える。

プロであれ、少年団であれ、今自分が打ち込んでいるものに対する自分の気持ちに、嘘だけはつかないで欲しい。
自分自身のことだから、他人がとやかく言うことじゃないが、自分が好きでやっている事なんじゃないのか?
誰かに強制されたわけじゃないのなら、とことん自分の気の済むまでやってみればいい。
先を見るとはそういうことなんじゃないだろうか。

日本、グループリーグ敗退

残念ながら日本はグループリーグで姿を消した。
0勝2敗1分、2得点6失点、得失点差-4、勝ち点1、グループ最下位。
これが全てである。
さてこの結果、みなさんはどう思われましたか?

なぜ負けたかという分析は、これからテレビや雑誌などでイヤと言うほど語られるでしょう。
専門的なことはそちらに任せるとして、思う事を書いていこう。
ターニングポイントは二つ。
一つは初戦のコートジボワール戦で、ドログバ登場からわずか6分でひっくり返されてしまうという、「オーラ」に負けたことだ。
しかもほとんど同じ形で2点失点したということは、同じ間違いを2度繰り返したということだ。
あまりにもドログバに気を取られ過ぎていた、というのは乱暴な意見だろうか。
二つ目は、一人少なくなったギリシャを攻め切れなかったこと。
素人目にも判るこの二つの要素は、選手達の自信を打ち砕いたように見えた。
事実3戦目は、得点した岡崎に笑みは無く、指揮官を信頼出来ない気持ちがにじんでいたように見えた。
ギリシャ戦に関しては、ギリシャの作戦勝ちだと思う。
一人少なくなった時点で、日本戦を捨てて、引き分けで終わった後の次の90分で勝負を賭けるというプランに変更し、功を奏した。
作戦勝ち以外の何物でもない。
あわよくばカウンターで1点も狙っていた。
この二点は、コロンビア戦でのスコアの布石だったようにも思える。

全体としてみると、悪くは無かったと思っている。
ただ、日本のスタイルというものに固執し過ぎたせいで、相手も攻めてくるんだという事を忘れていたようだった。
予定調和が崩れて、何も出来なかったという印象だ。
不測の事態に対処する準備が出来ていなかったということかも知れない。

繰り返しになるが、チームとしては決して悪くなかったと思う。
残念なのは、日本の選手で誰一人として足がつる選手がいなかったということだ。
日本人の身体的特徴、体力等で、足がつりづらいのかも知れない。
それでも、足がつるほどに走り回った選手がいただろうか。
やはりフットボールの基本のひとつは「走ること」だ。
走った者にしかチャンスは巡ってこない。
そう感じる3試合だった。

それぞれの舞台

我が二戸FCは、全少の結果を受け止め、次のステージに進まなくてはならない。
結果は結果。
そして次に何をするのか。
心がけ次第で先は明るくも暗くもなる。
W杯ブラジル大会での日本代表も同じだと思うんだが、飛躍し過ぎか?

そういえば中総体を観に行った時、おぼろげに覚えている話として、もうそろそろ中学一年生大会が行われる頃なのでないか?
今年も県北・久慈の合同チームとしての参加なのだろうか。
ともかく、そろそろ選考会があると思うんだが。
教え子達(オレはそう呼ぶのもおこがましいコーチだったが)が選ばれるかどうかを注目している。
オレのリハビリに協力してくれた亮弥、崇楽、翔吾は選ばれるだろうか。
最近メキメキと伸びてきていると評判の瑠心は?眞大は?
中総体後の練習試合で、思った以上に頑張っていた悠、弥龍、優は?
もちろん選ばれることが全てじゃない。
選ばれて満足してたら意味が無い。
というより、「選ばれた後の事を考えられる」ヤツが選ばれるんじゃないだろうか。
もうオレの手を離れてしまった以上、大っぴらに応援に行く訳にいかないし、オレが口出しする事じゃない。
遠くからの応援なるが、みんな頑張れよ。

って、そろそろこの時期、進学後初めての「テスト」がある頃じゃないか?
学生の本分は勉強。
フットボールも頑張って欲しいが、本分も疎かにしないようにな。
成績が悪くて「部活禁止」とか言われないようにしろよ。
中学にもなるとそういう事だってあるかもしれないからなぁ。

さてFCのほうは、これから体力づくりを兼ねたハードな月間に入っていく。
こっちは目標というか、やるべき事がはっきりしているので、とにかくみんなの目線を一つに出来るようにして行かねば。
さあ、やるぞ~。

努力するということ その2

以前このブログで、「努力とは立ち止まらずに歩き続ける事なのかも知れない」と書いたが、実際に壁にぶつかっても歩き続けたおかげで成果を出した例がある。
石澤祥汰。
圭人世代の卒団生である。

昨年の事、ある出来事がきっかけとなり、翔汰の心が折れてしまったことがあったそうだ。
詳しくは本人の名誉の為書かないが、事態は部活を欠席するまでに至ってしまったとの事だった。
その話聞いたオレは、「そんなことに負けて心が折れるなんて、祥汰も甘ったれてるなぁ。」と思いながらも、オレなんかのアドバイスをよく聞いてくれる子だったし、祥汰が置かれている状況に納得がいかなかったため、ファクサーの練習に誘うことにした。
オレとしては、「オレが祥汰を助けてやろう」とか「祥汰を上達させてやろう」といった思いは無く、「ダラダラと家でくすぶっているよりは、体を動かしたほうがいいだろう」という気持ちが大きかった。
もちろん「祥汰の心のわだかまりが少しでも解ければいい」と思っていたことも事実。
しかし、すでに卒団した教え子であるだけに、お節介になってしまうことを避けたかったため、自分の中のルールとして、ファクサー練習に来るための条件を用意していた。
それは「部活に復帰すること」だった。
折りしも、亮弥世代のバーモントの予選が近づいており、FCのフットサルの練習をする機会も重なっていたので、下の年代の面倒を見つつ、自分がこれから進むべき道を探して欲しかった。
二、三回練習した後、親を通じて連絡があった。
「部活に戻ることになりました」と。
とりあえず自分の役目は終わったと感じていたのだが、祥汰は「部活以外の練習として参加したい」と意思表示してきた。
「今年はレギュラーチームには入れないと思いますけど頑張ります」と宣言してくれて、こっちも「学校の事、部活の事、自分の事、家の事、それら全てをきちんとやった上で、それでも時間を持て余しているようならいつでも来い。」と迎えた。
それから幾度となく一緒に汗をかき、二年生に進級する直前には「レギュラーを獲りました」と連絡があった。
そして今年の中総体で初めてプレーを見て、負けはしたものの、福中が取った二点はどちらも祥汰のゴールだったこともあって、あの時声を掛けて良かったと思わせる成長振りを見せてくれた。

結局のところ、倒れたままでいるのも立ち上がるのも自分自身の意思ひとつだという事だ。
祥汰はこの一件で目線をもっと高いところに上げた。
それに対する努力も怠らなかった。
だから今がある。
この一件で、自分の中に持った志というものを保っているように見えるので、安心はしている。
今までオレがスポ少で関わってきた子に対するスタンスとして、「やる気を表した者にだけ本気で接する」としてきた。
本人がやる気にならなければ、本人に吸収されるものは無いし、言われたことすら忘れてしまう。
その「やる気」が目覚める瞬間は必ずあるはずだ。
祥汰にとっては、まさにこの一件がそうだったんだと思う。
今年のFCの選手達にとっては、全少の結果がそうであることを期待している。
まだまだこれからだ。
自分が自分に限界を作らなければ、どこまでもいけるはずだ。

7月、8月は体力増強月間だ。
毎週のように交流大会、カップ戦、リーグ等がある。
体調に気を配るのは当然として、自分のフットボールに対する気持ちというものを再確認する期間であって欲しい。
FCを巣立って行った卒団生の中にも、こういった苦悩を乗り越えて今の自分を保っている者もいるって事を忘れるなよ。
次に向けての志を保っていく努力をしてくれよな。

W杯のグループリーグも二巡したので

まだまだ眠れない日々が続いているが、二巡目終わったので振り返ってみよう。

自滅的に立場を悪くしたポルトガルは、ラストワンプレーで奇跡のようなクロスボールから希望を見出した。
スペインは沈み、イングランドも散り、日本もほぼ絶望的だ。
おさらいだが、トーナメント進出決定国は、オランダ、チリ、コロンビア、コスタリカ、フランス、アルゼンチン、ベルギーの7ヵ国。
グループリーグ敗退国は、カメルーン、オーストラリア、スペイン、イングランド、ホンジュラス、ボスニア・ヘルツェゴビナ。

健闘を見せているのはベルギー、ガーナ、メキシコ。
好調なのはフランス、オランダ。
南米は軒並みイイ状態だ。
イタリア、アルゼンチンがまだ波に乗っていない。

二巡目のベストゲームは「ブラジル対メキシコ」。
逆につまらなかったのは「ギリシャ対日本」。

ギリシャに退場者が出ながら、攻め切れなかったのは致命的だ。
パスは繋がるけど、ボール支配率は高いけど、いかんせんシュートを撃たないんじゃあねぇ・・・。
ギリシャは退場者を出した瞬間から、日本戦の次の90分に賭ける事を選択した。
完全にギリシャの作戦勝ちだ。
相変わらず内田のクロスボールの精度は壊滅的だし、ただ両サイドからクロスボールを放り込むだけじゃ、中を固められればどうしようもない。
ゴール前でのスピードを上げないと。
浅里も指摘してたけど、日本は2006年ドイツ大会の悪夢と同じ道筋を辿っている。
あとあと議論を呼びそうな試合ばかりだ・・・。
そして、あんなに浮かれて騒いでいたファンも、一気に手のひらを返して罵倒するんだろうなぁ。
ああ、イヤだ。

さて、三巡目はどうなりますやら。
今晩からは駆け引きが出来ないように、同時刻開催になるのはいいんだけど、試合がかぶるのでどれを観るか?どれを録るか?
悩むなぁ。

子供達、せっかくこういう機会なんだから、日本戦以外の試合も見て欲しいなぁ。

死亡遊戯(1978)

現在リバイバル上映されているブルース・リー映画の第2弾。
ブルー・リーの死後5年経ってから公開された、ブルース・リー主演と言うには看板に偽りありの作品。
クライマックスシーンのみ撮影され、ハリウッドからのオファーで「燃えよドラゴン」撮影のために中断。
撮影再開準備中に急逝したために、未完成となってしまった不遇の作品。
その後、「燃えよドラゴン」のスタッフがソックリさんを使って完成させたが、正直言ってラスト10分の「本物」が出てくるシーンを観るためだけの映画である。
さらに日本公開版以外のバージョンは、「怪鳥音」までが別人のアフレコになっており、実に間の抜けた声の格闘シーンになってしまっている。
ちなみに日本公開版は、過去作品から本物の声を抽出して使用している。
その後の2000年に、残されたフィルムを使って40分ほどのファイトシーとして完成させた「死亡的遊戯」が作られたため、同シーンの別テイクを観る事しか価値の無い映画になってしまった。
この「死亡的遊戯」も、日本の制作会社がセミドキュメンタリーとして作ったものだが、このドラマ部分が破壊的にダメダメなので、後にアメリカで制作されたドキュメンタリーを観る方がベター。
何とも、ファン以外には複雑極まりない事態になっている。

映画批評的に言えば、こちらの「死亡遊戯」もツッコミどころ満載。
取り残したラストシーンに繋げようという努力は見えるが、何しろ設定的に無理が多すぎる。
ソックリさんと本物のアクションのキレに関しては、これは致し方ない事なので言及しないでおこう。
「キル・ビル」でもリスペクトされた、黄色いトラックスーツだが、本物とソックリさんとでは物自体が違う。
本物は足から脇、そして袖まで黒ラインが入っているだが、ソックリさんは脇までしかない。
組織のナンバー2が倒されるシーンでは、ボスの居所を簡単に喋ってしまったりして、およそ組織の人間とは思えん。
まだまだあるがこの辺で。

音楽を担当したのは、「007」シリーズでおなじみのジョン・バリー。
どことなく「007」の香りがする。
辰吉丈一郎の登場曲として使われたことも。
オープニングシーンは、音楽との相乗効果もあってか、無駄にカッコイイ。
エンディングテーマは、ヒロインを演じたコリーン・キャンプが歌っている。
フランシス・F・コッポラ監督の「地獄の黙示録」で、前線で戦う兵士の慰安のために派遣されたプレイメイトの一人を演じているのだが、これ以外には経歴は知らない。
このエンディングは、ブルース・リーの名場面集的な構成となっており、ファンとしては余計クレジットを観ないという悲しい状態になってしまっている。
ああ、キリがない。

ファン以外には無用な与太話。
この辺でおしまい。
ブルース・リー・ファンにとって、ブルース・リーが観られればそれでいい。
ファンなんてそんなものだよね。
特にブルース・リー・ファンは特殊ですから(笑)

ゴジラ(1954)

「死ぬまでに映画館で見たい日本映画」の上位にいつもあった映画。
ついに映画館で見ることが出来た。
ハリウッドでリメイクされた事を機に、製作60周年記念としてHDリマスターされてリバイバル上映された。

特筆すべきは何と言っても特殊撮影を担当した「円谷英二」。
日本の特撮の始祖であり、世界の特撮界の父といわれる。
後に「怪獣映画」といわれるジャンルの誕生のきっかけとなった重要な作品である。

監督の本多猪四郎の控えめな演出が、特撮シーンとの静と動の役割を見事に果たしている。
今観れば、かなり古風な演出であり、主役の二人が大根役者であることが目に付いてしまうが、作品全体のテーマの扱い方は見事で、紛れもなく反戦・反核映画である。
そして微妙な三角関係や、科学者としての異常なる発見に苦悩する姿も盛り込み、ドラマ性も高い。
また、この映画を観ると、現代の最新CG技術が、ミニチュアワークに負けている事実を知る。
現物というものは、質感においてCGでは表現できないものだということだ。

後のシリーズでの、キャラクター化したゴジラとは違い、「ゴジラ」という生物をどう捉えるかで解釈も変わるだろう。
東洋思想を色濃く写し込み、人的要素によって生み出された怪物に対する因果応報と、人の制御の力をはるかに超えた存在であるゴジラに対し、さらに強大な力を欲する人間の愚かしさをも描き出している。
人のエゴが臨界点を超えた時に現れるものというメタファーとして描かれるゴジラは、実は人間の悪意そのものなのかも知れない。

「怪獣映画は子供向け」だなんて思わず、せめてこの第一作だけは観ていて欲しい。

チームとして素晴らしいこと

全少ネタをもうひとつ。
今回対戦した相手チームの中で、FC東和さんのチームとしての素晴らしさが目に入った。
とにかくチームマナーがいい。
これは選手達もさることながら、指導者の質が高いことの表れだろう。
自分達がアウトボールにしたものは、全て自分達で取ってきて相手に渡す。
相手チームが蹴って大きくそれていったボールも、控えメンバーがベンチから飛び出して拾いに行く。
味方の叱咤激励には必ず大声で返事をする。
どれをとっても見習わせたい事ばかりである。
とくに最終戦となった、東和対一関の試合では、失点した後にキーパーが「ディフェンス、もっとコース絞って!簡単にシュート打たせないで!」と声を上げると、ディフェンダーは「おう!わかった!ありがとう!」と声を返した。
副審をやりながら見てたのだが、試合中にもかかわらず、思わず拍手したくなった。
父兄のマナーも良く、少々荒い言葉があっても愛情ある応援になっていた。
試合が終わり、中央に集まる前に、父兄のほうを見て軽く頭を下げた。
「いいチームですね」と声をかけたかった。
父兄は楽しそうにゲームを見ている。
何よりも選手達が躍動している。
それまで全敗だったチームが、この最終戦で引き分けを拾う。
チーム力というのは、何も攻撃力・守備力・個人の能力・戦術だけで語られるものではないことを知った。
結果は出なくとも、みんな楽しんでプレーしていた。
全体の雰囲気から伝わる「いいチーム」のオーラというものを、ウチもぜひ身に着けたいものである。
訪問者数
プロフィール

faccer

Author:faccer
Be Water,My Friend.

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR