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11月27日、神降臨の日

無神論者のオレ。
結局のところ、神様とか宗教とかいうものは人が創り上げたものに過ぎない。
もちろん信じる人をとやかく言うつもりもない。
ただ、そういう人達に感じる嫌悪感とは、他の信仰を絶対に認めないことだ。
異教徒は全て邪教扱い。
そういった歴史が、16世紀の魔女裁判や現在も続いている宗教闘争を生んでいると思う。

それでも、そんなオレが唯一「神」と崇める人物がいた。
かく言うオレにも家には仏壇があり、神棚もある。
しかし、他の宗派・宗教を否定したことはない。
それは、その「神」の言葉を刻み込んでいるからだと思っている。

Empty your mind.
(心を空っぽにするんだ)
Be formless, shapeless.
(型にとらわれず、柔軟に)
Like water.
(そう、水のように)
Now you put water into a cup, it becomes the cup.
(水はカップに入れればカップの形に)
You put water into a bottle, it becomes the bottle.
(ビンに入れればビンの形に)
You put it into a teapot, it becomes the teapot.
(ティーポットに入れればティーポットの形になる)
Now water can flow or can crash.
(そして水は流れることも出来れば、ぶつかり合うことも出来る)
Be water, my friend.
(友よ、水になりなさい)

この言葉は、今のオレを構成する思想の原点でもある。
全てを受け入れ、全てを吸収し、固定観念にとらわれず、いつか岩をも砕く。
完全にこの思想を実践出来るわけはないが、せめて思想だけでも・・・。
この言葉へのオレ自身の信仰も、堅苦しい宗教観念と同列になってしまうかも知れないが、生きる上でのひとつの指標として、これからもオレの中に生き続けることだろう。

そう。
1940年の今日は、オレにとっての神「ブルース・リー」の生誕の日だ!

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バーモントカップを終えて 小さな発見編

バーモントネタが続くということは、それだけ書きたいことがあるという事なんだろうなぁ。
それほど今回の大会にはシビレたし、未だに余韻に浸っていたりするんですよ~。
ということで、ちょっと気付いた事があるので書かせて頂きます。

前日の死闘から一夜明け、翌日は全てが自由行動となった。
朝食の時に子供達および父母の方々に会い、雑談を交わした。
その中で、「ウチを倒したグルージャとミルマエの試合を観ていこうか?」という事になった。
本心は、番狂わせ的なものもなく、女子の交流大会が西根で行われていたこと、早めに帰路に着きたかったことなどが重なって、ホテルを出たら直帰するつもりでいた。
しかし子供達も父母の方々も「せめてグルージャ対ミルマエは観ていかない?」ということになったので、初戦だけでもと体育館に向かった。
そこでのグルージャのウォーミングアップを見て驚愕。
「フットサル」の練習をしているのである。
昨日までは全くそんなことがなかったのに。
最大限に好意的に考えて、「二戸がグルージャを本気にさせたのかも。」と無理矢理結論を出した。
その後グルージャは決勝まで進んだのだから、この考えもまんざら自惚れでもないかも。

さて本題の「小さな発見」だが、グルージャ対ミルマエの試合には、結局子供達はみんな観戦に来ていた。
この事実に「おっ?」と思ったのだが、本題はここから。
この時、観客席の最前列に全員が横一列に並んで座ったのである。
「・・・それが何か?」と思われるかも知れないが、オレにとってはびっくり仰天の光景だったのである。
去年までの二戸FCなら、4~5人のグループが3つくらい出来上がり、あっちにポツリ、こっちにポツリとバラバラに座るのがお決まりだった。
それがどうだろう。
今年は全員がひとつの集団となっていたのである。
すぐに大人の側に回って、大人の陰に隠れる傾向のあるサカユウでさえ、率先して仲間の輪に入っていた。
オレはよくサカユウに言っていた。
「すぐに大人の側に回ってくるな。自分がいるべき場所は自分で作れ。」
それを実践してくれたのだろう。
ちょっと嬉しい光景だった。

何度かブログにも登場した言葉ですが、「二戸FCが一つになった」という証明にもなった気がします。
仲間同士の連帯感というものが芽生え始めてきたのでしょう。
きっといつか気付く日が来ると思います。
「仲間」というものの大切さを。

バーモントカップを終えて 父母の皆様へ

立て続けの遠征・大会と、負担の大きいサポートを精力的にして頂いた事に感謝致します。
スタッフとしてではなく、あくまでも個人的に父母の皆様に、偉そうに語らせて頂きます。

バーモントは「ベスト16」という結果に終わりました。
皆様方はこの結果をどう受け止めていらっしゃるでしょうか。
帰りの車中で兄・ヒロシとこんな話をしました。
「6年の親にはこの結果を去年の結果と比べて、単純に成績的に『負けた』とか思って欲しくないよな。」と。
確かに残酷な現実としての成績では、去年の「ベスト4」より下の結果だったかも知れません。
二戸FCというチームが、結果至上主義のチームならそこを問いただされるのも頷ける話です。
私が言うまでも無いことですが、二戸FCは「とにかく勝て」、「勝てばいい」、「勝つためならどんな手でも使え」というチームではありません。
もちろん県下のチームにもそんなチームなど無いと思っています。
高いレベルでの育成を主観としている「ミルマエ」も、その結果を導くためのプロセスをとても大事にしているクラブだと思います。
結果というものはプロセスの積み重ねでしかありません。
逆に言えばプロセスを重視しているからこそ、結果もついてくるというものだと思います。
二戸FCの選手たちが辿ってきたプロセスというものの結果が「ベスト16」であったというだけのことで、そのプロセスが結果によって上下する事はないと思っています。

個人的に、結果も確かに大事なことではありますが、その結果を求めて選手達がどれだけの力を搾り出して戦ったかという所を重視したいと思っています。
そして今回は賞賛に値する戦いだったと思っています。
試合後の選手たちの様子を見れば、それは一目瞭然。
あそこまで感情を表に出して泣きはらしたのは、全力で戦ったけど勝てなかったという悔しさと、勝てなかったけど全力で戦ったという満足感があったからではないでしょうか。
しかも義務感や悲壮感というものも無かったような気がします。
つまり楽しんでいたと思うのです。
私がいつも大会の試合前に、送り出す言葉として選手達にかけている言葉があります。
「ま、せいぜい楽しんで来いや。」
きっとこれを守ってくれたんだと思います。

繰り返しになりますが、結果的な上下を比較して欲しくはないのです。
なぜなら、去年と今年では別のチームだからです。
メンバーが違いますから。
「ちょきんぎょで1勝しかできなかったチームが・・・」という感慨は、もちろん正論であり当然の感情だと思います。
これはメンバーが同じである為、同一のチームだからです。
加えて二戸FCが成長するなら、他のチームも成長します。
相手のあることなので、自分達の成長都合だけで結果が出るものでもありません。
それでも全大会で同等の結果を残してきたのです。

称えましょう。
誇りに思いましょう。
私自身、今年のチームを誇りに思っています。
確かに負けはしましたが、グルージャ戦は私が二戸FCにお手伝いに来るようになって以降、「史上最高の試合」でした。
感動を与えられて、もらい泣きしたのも初めてでした。
試合の事を心配してオロオロする親に、兄・ヒロシは「親が焦ってどうするの。あまり過度な期待をしないで。プレッシャーになるだけだから。」と諌めた事があったそうですが、私としては子供に過度な期待をするのが親の性だと思っています。
期待して応援する。
それが親の務めだと思います。
そしてその期待に応えるために、子供達は最大限の努力をしてくれたと思います。

そんな選手達をこの世に送り出してくれた父母の皆様に感謝します。
子供のいない私にとって、本当の子供であるかのような交流が、僅かながらも出来たと思っています。
おおっぴらには言いませんが、子供達にはこの上ない賛辞を送りたいと思います。

今年の二戸FCを取り巻く環境は、最高にいいものだったと思います。
これも一重に父母会の方々の尽力があってのことです。
それがあったから子供達はフットボールに打ち込むことが出来、スタッフは心置きなく子供達の上達の手助けが出来たのだと思います。

私に言われるまでも無い事でしょうが、成績・結果の如何に関わらず、自分から始めた事を見事に貫徹して見せてくれた子供達を褒め称えましょう。
これからの更なる飛躍のためにも。


長々と偉そうな事を並べ立て、わかった風なことをクドクドと書き綴ってすみませんでした。
バーモントを終えての、私自身の偽らざる気持ちです。
私の中ではまだまだ終わっていません。
少年団としてはあと数ヶ月ですが、その間、いやその後でも出来る限り交流を続けたいと思います。
その時は、是非とも宜しくお願い致します。

バーモントカップ県大会 終劇

3大コンペティションで、6年生最後の大会となるフットサル・バーモントカップ岩手県大会が幕を閉じた。

結果から述べると、
<予選リーグ>
二戸 4-2 黒西
二戸 3-4 紫波
予選リーグ2位。
トーナメント進出。

<決勝トーナメント・初戦>
二戸 3-4 グルージャ
トーナメント初戦敗退。
結果・ベスト16

あくまでもコーチ・スタッフサイドから見れば、どんな結果であろうとも満足してはいけないのである。
他のコーチ・スタッフからは怒られるかもしれないし、コーチ・スタッフの資格無しとの烙印を押されそうではあるが、はっきり言おう。
「満足」だと。

上を見ればキリがないし、細かいことを言い出せばキリがないものであるが、「結果」という現実を見れば満足出来るものではない。
だがそれを覆し、賞賛に値する努力・気迫・集中・気持ち・視線・闘争心・・・・。
今出来る最大限の事を、最大限に、いや、限界突破してのプレーで、コーチ・スタッフとしてのタブーを打ち破ったと言えるかも知れない。
そしてこれは次のステージへの足がかりとしては充分な結果だったと思っている。
心情的には「結果以上の内容」というところ。
何度も言うが、「結果」が出なかった以上は満足してはいけないのだ。
それでも「充実感」を与えてくれた選手たちのプレーは、自分がスタッフであることも忘れさせる「親心的な満足感」をもたらした。

この場を借りて、選手達には心からの感謝をしたい。
ここまで連れて来てくれた事。
スタッフにあるまじき「感動」を与えてくれた事。
素晴らしいプレーの数々を見せてくれた事。
気持ちを前面に打ち出してくれた事。
終焉の時、自分の気持ちに偽らずに感情を表に出して、悔し泣きしてくれた事。
まだ気持ち的に早いが、いい思い出をたくさんくれた事。
こんな指導素人のオレのアドバイスに耳を傾けてくれた事。
一緒にボールを蹴ってくれた事。
大きな成長を見せてくれた事。
・・・数え上げればキリがない。

そして恥ずかしながら、選手達にしてやれることはもう無い。
ただ全ての結果を一緒に受け止めて、「よくやった」と労ってやる事だけ。
負けて泣き晴らす選手たちの肩を叩き、抱きしめてやる事しか出来なかった。
こんなにもたくさんの感動をもらったのに。

だからせめて6年生たちが「二戸FC」として少年団に在籍している間は、今まで以上に自分が伝えられることを出来るだけ伝えたいと思う。
あと数ヶ月という期間の中で、次のステージに繋げられる事を自分なりに伝える、いや、一緒に成長出来るようにしたいと思う。
個人的には卒団して中学に行っても、可能な限り個人的に一緒にボールを蹴りたいと思っている。
あまり個人感情をさらけ出すのはよくないが、今年の6年生が一番印象に残ることになるだろう。
オレのスポ少への関わりの始まった年に1年生だったメンバーだからだ。
もちろん3年生とかから入った子もいるが、気持ちは変わらない。
この感情は毎年更新されていくのかも知れない。
でも今はオレにとって今の6年生は特別な気がする。

いかん、またもらい泣きしそう。

真の意味での真剣勝負のステージは終わりを告げた。
それでも本人が続ける限りフットボールの歴史は続く。
その歴史の中で、いつの日にか振り返った時に、「いい思い出」、「悩んだ時に帰るべき原点」になってくれたら本当に嬉しい。
これからの人生で、大きな「基点」になってくれることを祈る。


本当にありがとう。
そしてこれからもよろしくな!

いよいよバーモント県大会

今年も地区予選を突破して参加が叶ったバーモント。
昨年の結果を意識せず、かつ気を抜かずに戦ってくれることを期待する。

ここまで見てきて思うことは、以前にも書いたが、「こいつら、フットサルのほうが合っているのか?」と思わせられる内容ばかり。
全く違うタイプの対戦相手にも対応できているし、二戸FCとしてのチームの「形」というものが出来ているようにも思える。
オレなんかが偉そうに言えることではないが、自らのチームである「F.C.Faccer」や県リーグ対応チーム「D.M.E.Admirar」、さらには県内の強豪チームや東北リーグ参加チーム、加えて全国大会参加の都道府県代表チーム、オマケにFリーグも見てきたオレが、今のチーム状態にはある程度納得している。
もちろん細かい修正点は数多くある。
それでも強い気持ちとブレない目標をしっかり持っていると思える。
今まで通りやれば、少なくともグループリーグでコケることは無いと思っているが、相手があることなので楽観もできない。
締めるべきところは締めていかないとね。

父兄の方々には、これまでの集大成として見守って頂きたいと思っています。
そしてこれまでのサポートに御礼申し上げます。
個人的にも、社交性が低くて子供嫌いだったオレに、暖かい気持ちで接してくれた父兄の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
先週の仙台遠征の時につくづく思いました。
こういう人達に支えられているんだなぁ、と。
特にリョーヤパパ&ママ、タカラママ、ショーゴパパ&ママには色々とご迷惑をかけました。
何とかこの大会で、「思い出話」として語られるように、もう少しだけ子供たちをフォローしたいと思います。
おっと、まだスポ少活動を締めくくるのは早いかな。
まだまだこれからですね。


ん?
つーか、バーモントって明日じゃないか!
ゲッ!
ぜんぜん支度してねぇ。
早く寝なきゃ。

さて、どうなりますことやら。
いつもの決め台詞で子供達を送り出してやろうっと。
「ま、せいぜい楽しんで来いや。」

第10回 ドコモ東北少年少女フットサル大会 総括の巻・試合編

今回、岩手県では県北地区と沿岸地区の第1代表チームに与えられる、通称「ドコモカップ」出場のため、仙台は泉区にある「シェルコム仙台」まで、チームに同行して行って来た。
やはり東北最大都市にある施設。
スケールが違う。
足場は絨毯タイプの砂入り人工芝だったが、少々「滑る」ということ以外には何の障害も無い、良い施設だった。
雨風がしのげるだけでも有難いものである。

全体的に振り返ってみると、評価としては「上々」だと思う。
東北各県の強豪にも引けをとらない戦い振りだったと思っている。
イベント感覚を持って楽しくかつ真剣に戦ってくれたと思っているが、子供達にとってはどうだったのだろうか。

グループリーグは1勝1敗1分。
順位決定リーグは1勝1分。
チームの総合順位は12チーム中7位。
可もなく不可もなくといったところだが、この結果にははっきりとした「必然」が見て取れた。
全ての試合で言えることは、「得点は崩して取った。失点は全て自滅。」である。

攻撃に関しては、場当たり的な、火事場の馬鹿力的な、苦し紛れの得点というものはなかったと記憶している。
自分達のリズムに乗ったときは、プレスをかけられれば球離れを早くして回避し、相手マークをずらして崩して決めるというケースが目立った。
これは、フットサルの練習が始まった頃からおぼろげに感じていた「こいつら、フットサルのほうが性に合っているのか?」と思わせる、オレ的な驚きポイントだった。
それが見事にハマりまくるシーンばかりだった。

失点については、プレスをかけられたときの慌てっぷりが表に出た時だ。
ボールを回せば回避できるシーンでも、慌てて前を急ぐことによってリズムを崩すのが大きな要因。
前を急いで相手にボールをぶつけてカウンターを喰らいそうになる。
前を急いで無理な縦パスを出し、マイボールの時間を自分達で短くしてしまう。
キックインからでも前を急ぐあまり、前方向にループで大きく蹴ってしまう。
これらは周りが動かないからという理由もあるのだが、それならばボールの出し手が受け手に要求することで改善が期待できること。
しかしゲーム中のそういった声がまだ足りないせいか、意思疎通にはまだ及第点はあげられない。
ここで一声かける事によって落ち着きを取り戻すことも可能なのだから、もっとゲームの中で騒いでもいいと思う。
以前のプログ「マダイを見習え!」とは、つまりこういうことだ。
問題点はこれだけではないが、複数の要素に共通していることではないだろうか。

フットサルでは基本的に「0失点」というのは難しいものだ。
今回も結局全試合で失点を記録している。
目標にするのはアリだと個人的には思っているが。
しかしそれを上回る得点力によって、今回の成績を掴んだと言えよう。
「得点しているけど失点も多い」というのは、言い換えれば「常に攻めの姿勢を崩していない」という事ではないだろうか。
それはすごくいいことだ。
次のレベルに行くためには、その上で「如何にして失点を減らすか」を考えてもいいと思う。
「守れ」ということではなく、「相手ボールの時間を短くさせる」という意味で。
究極的に言えば、ずっと「マイボール」ならば相手に攻められることも無いし危険も無い。
あまりにも哲学的で現実的じゃない考えかも知れないが、やろうとしなくても出来なくても「意識」だけでも持っていて損はないと思う。
「攻撃は最大の防御なり(先んずれば人を制す)」という格言もあるしね。
これがオレ的な「失点0思想」だ。

思えば来週のバーモント・県大会に向けて、この上無い機会に恵まれた。
ここで得たことがそのまま通用するとは思わないが、大なり小なり得るものはあったと思う。
でも得るだけではダメ。
生かすも殺すも自分次第。
今回の東北大会を「いい思い出」で終わらせて欲しくない。
気負う必要は無いが、残り一週間で「意識」だけでも最高潮に高められるようにしよう。

docomo_cup.jpg

ふぅ、長ぇ文章だな・・・。

【TVアニメ】伝説巨神イデオン(1980)

トラウマアニメを次々と送り出してくれた富野由悠季。
そんな富野作品の中でも個人的に最もトラウマとなったのがこれ。

「伝説巨神イデオン」

宇宙に進出した2つの種族が不幸な出会いを果たし、無限エネルギー「イデ」を巡って誤解を重ね、泥沼の戦いを続ける物語である。
精神科学的理論、バイオレンス、人間ドラマ、戦術理論など様々なエッセンスが詰め込まれ、子供向けとは思えないハードな内容となっている。
富野監督によれば、元々製作会社である「サンライズ」のアニメは、メカ・ロボットのデザイン決定から企画がスタートするのだが、このデザインがあまりにも酷いもので、資料を見るなり「これは第六文明人の遺跡です。」と答えたそうである。
後に付け加えて、「そうでなければ誰がこんな酷いデザインを使いますか?」と。
とにかくこの酷いデザインのロボットを動かすストーリーとして、日常の延長という性質を消すために、せっかく前作・ガンダムで18mというダウンサイジングを施したというのに、100m以上の巨大ロボットとして設定したそうである。
企画から間違っているものを成功させるためにハード路線になったいうことであり、むしろ「イデオンそのものが障害」だったとの事。
一見めちゃくちゃな設定が、異種異様な世界観を作り出すことに成功したようには思える。
それにしてもアフロヘアーの主人公ってのは驚いた。

余談だが、オレがネットデビューした頃のハンドルネームとして「コスモ」という名を使っていたことがあるが、マツダのロータリーエンジン車「コスモスポーツ」と、このイデオンの主人公「ユウキ・コスモ」から取っている。

それよりもなによりも、登場人物のほとんどが死んでしまう展開は、「ザンボット3」で芽生えた「皆殺し」路線の最高点に位置すると言っていい全滅劇。
後に製作された劇場版では、例え子供であっても容赦なく殺し、その死に様を人体破壊描写を伴って映し出している。
これは作劇上の演出の他に、スポンサーサイドからの声優へのギャラ削減要求を受けての事だったらしい。

とにもかくにも小学4年生の時に見たこのアニメは、オレ自身のトラウマアニメの最高峰。
「機動戦士ガンダム」が「ニュー・タイプ」というキーワードを軸に、人は判り合えるという希望的観測を描いたストーリーだとすれば、「伝説巨神イデオン」は「イデ」というキーワードを軸に、人はどこまで行っても判り合えないという絶望的悲劇を描いたストーリーであろう。



オープニングを貼り付けておくが、実はエンディングがイイ。
歌っているのはアンパンマンでおなじみの元アイドル歌手・戸田恵子である。
ついでに貼っておこう。

「まさか」の結果・・・。

全日本フットサル選手権・岩手県大会のグループリーグで、アドミラ敗退の知らせ・・・。
昨年、一昨年と準優勝だったこの大会で、今年はまさかのグループリーグ敗退・・・。
なにやら内部では「負けて然るべき」的な感覚だったらしいが、ここまでトップギアで突っ走ってきたアドミラにとって、初めてと言っていい下降線。
原因を探ることも大事かも知れないが、それよりもチームの復調のために何が必要かを考える時に差し掛かっているのではないだろうか。
結果は結果として受け止め、それを次に繋げるための切り替えが今は必要だ。

アドミラールの歴史はこれからも続く。
振り返る時が来た時、いい意味での分岐点だったと思えるようにしたいものだ。

結果が変わらないなら次を見よう!

【TVアニメ】無敵超人 ザンボット3(1977)

富野由悠季といえば「機動戦士ガンダム」という人は多いだろう。
しかし、ガンダム以前にトラウマアニメを作っていたことがある。

「無敵超人・ザンボット3」

これも3機のメカが合体して巨大ロボットになるという、当時のトレンドを踏襲したものだったが、何しろその内容がすさまじい。
地球人を守る立場の主人公が実は異星人の末裔だったり、地球のために戦う主人公たちが地球人から憎まれていたり、登場人物のほとんどが非業な死をとげたりと、壮絶な物語である。
特に、主人公たちに比較的協力的だった少女の絶命シーンはまさにトラウマ。
主人公たちはガイゾックと戦闘し、住宅や無関係な人への被害が出ることによって、地球にガイゾックを「連れてきた」と誤解され、一般の地球人から激しく非難されるという理不尽さ。
最終回では、ガイゾックはガイゾック星人により作られたコンピュータであり、平和のために悪意に満ちた生物を滅ぼすことを目的とし、危険な地球人を平和のために滅ぼすため飛来したという事実がガイゾックによって語られる。
従来の単純な公式である「勧善懲悪」に「正義とは何か?それを決めるのは誰か?」と疑問を投げかける結末となっている。
「アニメは子どもが見るもの、子どもに夢を与えるもの」という考え方が一般的だった当時の常識を覆すものであった。
まさに「アニメは子どもが見るもの、子どもに夢を与えるもの」という考え方が一般的だった当時の常識を覆す衝撃作だった。

また主人公・勝平の声を当てているのは「大山のぶ代」。
メカ音痴の大山はロボット物には出ないというのが通例だったが、ストーリー性に感動して引き受けた唯一のロボットアニメでもある。

ということで、主題歌「ゆけ!ザンボット3」をどうぞ。

【TVアニメ】機動戦士ガンダム(1979)

11月5日は、アニメーション監督の富野由悠季の誕生日である。
富野由悠季といって真っ先に思い浮かぶのは、何と言っても「機動戦士ガンダム」だろう。
アニメ史に燦然と輝く名作である。
と言っても、テレビ放映時はそれほどの人気ではなく、現在の評価ほど画期的だったわけでもなかった。
3機のメカが合体してガンダムになるというギミックは、それまでのスーパーロボット物にはよくある設定だった。
(これはスポンサーからの注文を受けての設定変更だった。)
劇場版として再編集されたあたりから爆発的に人気が高まり、ガンプラをはじめとする玩具の売り上げがアニメを後押しした形だった。
劇場版に関しては、今観るとそれまでのアニメとは一味違っていることは事実。
主人公が内向的だったり、敵対する組織にも戦争をする理由というものが明確に定義付けられていたり、モビルスーツの存在意義が科学的に説明されていたりと、「リアルロボット物」と呼ばれる要素の先駆的な存在であることは間違いが無い。
個人的に、モビルスーツのデザインそのものは画期的だったと思う。
特にガンダムのカラーリング。
全体が白を基調としたものは今まで無かった。
ただし富野監督自身は「社会現象」という言葉を、「アニメファンが勝手に騒いだだけ」と否定している。

当然オレもガンダムブームにハマったクチであるが、あまりにも肥大化しすぎたガンダムシリーズの中でも「一年戦争」の正史シリーズ以外は、認めないほどに観ることを拒否している。
「ガンダム」、「ゼータ」、「ダブルゼータ」までが限界だった。
そんなガンダムの原点である、便宜上「ファーストガンダム」と呼ばれているこのシリーズを振り返ってみよう。
製作のサンライズは、著作権というものに異常なまでに厳しいので、TVシリーズのオープニング映像をYouTubeにアップしてもすぐに削除されてしまう。
なので、生き残りの劇場版の挿入歌を取り上げてみた。

「劇場版・機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編」より。
「めぐりあい/井上大輔」

おまけで、テレビシリーズのノンテロップ版オープニングも。
合体ロボだったことが判るよね。
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