【音楽】FIRE CRACKER/YELLOW MAGIC ORCHESTRA(1978)
オレの音楽カルチャー人生の洗礼曲となり、30年以上経った今でも「神曲」として君臨し続けるのが、今日紹介するこの曲である。
当時小学3年生。
それまでにもポップスに触れることはあった。
歌謡曲だって聴いていた。
しかし、これほどまでにその後の音楽の趣味というものに色濃く影響を残したものは無いし、これを聴いた時の衝撃を超えるものとは未だに出会えていない。
当時はテレビゲーム黎明期。
当然オレもゲーム小僧だった。
親の財布から小銭をくすねてはゲームセンターに通った。
やがてくすねる額は小銭の域を超え、ある日とうとう見つかってこっぴどく怒られた。
見るに見かねた上の兄が「これをやるからもうゲームセンターには行くな!」と、一枚のレコードを差し出す。
針を落とすと、そこから聞こえてきたのはゲームの音だった。
「なんだ?これ。」
ゲーム音に反応するオレ。
「ゲームの音を収録したアルバムなのか?」
(本当の意味でのゲーム音楽のアルバムの登場は、ここから5年以上待たなければならなかった)
やがてゲームの音にドラムの音が被る。
リズムを刻みだしたドラム音が、ゲーム音とともに音楽になっていった。
そのゲーム音とリズム音のまま、ノンストップアレンジで突入したのがこの曲。
FIRE CRACKER by Yellow Magic Orchestra
その瞬間、脳が沸騰したかのような高揚感に包まれ、人生史上最大のカルチャーショックに打ちのめされた。
以来30余年、未だにフェイバリット・アーティストとして聴き続けている。
同じ時代、しかも多感な時期に出会えた幸運は筆舌に尽くしがたい。
オレの音楽カルチャー人生の中でY.M.O.を超える存在は現れていないし、現れることはないだろう。
さて、Y.M.O.と出会い、小銭をくすねることは無くなったオレだったが、今度はY.M.O.のレコードを買うお金をせびるようになりましたとさ。
おしまい。
ということで、今聞いても当時の感覚が甦ってくるこの曲をどうぞ。
当時小学3年生。
それまでにもポップスに触れることはあった。
歌謡曲だって聴いていた。
しかし、これほどまでにその後の音楽の趣味というものに色濃く影響を残したものは無いし、これを聴いた時の衝撃を超えるものとは未だに出会えていない。
当時はテレビゲーム黎明期。
当然オレもゲーム小僧だった。
親の財布から小銭をくすねてはゲームセンターに通った。
やがてくすねる額は小銭の域を超え、ある日とうとう見つかってこっぴどく怒られた。
見るに見かねた上の兄が「これをやるからもうゲームセンターには行くな!」と、一枚のレコードを差し出す。
針を落とすと、そこから聞こえてきたのはゲームの音だった。
「なんだ?これ。」
ゲーム音に反応するオレ。
「ゲームの音を収録したアルバムなのか?」
(本当の意味でのゲーム音楽のアルバムの登場は、ここから5年以上待たなければならなかった)
やがてゲームの音にドラムの音が被る。
リズムを刻みだしたドラム音が、ゲーム音とともに音楽になっていった。
そのゲーム音とリズム音のまま、ノンストップアレンジで突入したのがこの曲。
FIRE CRACKER by Yellow Magic Orchestra
その瞬間、脳が沸騰したかのような高揚感に包まれ、人生史上最大のカルチャーショックに打ちのめされた。
以来30余年、未だにフェイバリット・アーティストとして聴き続けている。
同じ時代、しかも多感な時期に出会えた幸運は筆舌に尽くしがたい。
オレの音楽カルチャー人生の中でY.M.O.を超える存在は現れていないし、現れることはないだろう。
さて、Y.M.O.と出会い、小銭をくすねることは無くなったオレだったが、今度はY.M.O.のレコードを買うお金をせびるようになりましたとさ。
おしまい。
ということで、今聞いても当時の感覚が甦ってくるこの曲をどうぞ。
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膝の怪我道中記 その3
とんでもないことになってしまった膝の怪我であるが、よく知る人物の評が得られるとしたら「またか」の一言で片付けられていることだろう。
注射器で3本分も水を抜かれる経験は初めてだったが、治りが早いのも特徴だと思って頑張るしかない。
さて、診察でこっぴどく怒られたオレだったが、悔しいので翌日に再診察に行く。
「お、きたね。」
さわやかに通り過ぎようとする先生だが、オレの膝を二度見。
「ん?」
「あれ?」
おいおい・・・医者が患者を不安にさせるような言動するなよ・・・。
そして「・・・ちょっと膝曲げてみて。」
可能な限り曲げてみる。
前日に水を抜いたせいか、最低でも90度以上は曲がった。
オレの膝を覗き込みつぶやく。
「何でこんなに回復してるんだ?」
治す立場の人の台詞とは思えん。
心の中で叫ぶ。
「どうだ!オレ様の回復力は!」
さらに先生は言う。
「この症状と回復力。悪いけど勉強したいからちょっと通ってくれないかな?」
人体実験でもする気なのか?
まあ、治してくれりゃ文句は言わない。
別にいいやってな感じで承諾したのだが、勤務シフトは変わるわ超多忙になるわで結局あれ以来行ってない・・・。
ゴメンナサイ・・・。
こっちは勝手に順調に治っていますわよ。
ダッシュ出来るまでもう少し。
無理せずに治そう。
まだまだ現役プレーヤーでいる時間は長いんだからな。
注射器で3本分も水を抜かれる経験は初めてだったが、治りが早いのも特徴だと思って頑張るしかない。
さて、診察でこっぴどく怒られたオレだったが、悔しいので翌日に再診察に行く。
「お、きたね。」
さわやかに通り過ぎようとする先生だが、オレの膝を二度見。
「ん?」
「あれ?」
おいおい・・・医者が患者を不安にさせるような言動するなよ・・・。
そして「・・・ちょっと膝曲げてみて。」
可能な限り曲げてみる。
前日に水を抜いたせいか、最低でも90度以上は曲がった。
オレの膝を覗き込みつぶやく。
「何でこんなに回復してるんだ?」
治す立場の人の台詞とは思えん。
心の中で叫ぶ。
「どうだ!オレ様の回復力は!」
さらに先生は言う。
「この症状と回復力。悪いけど勉強したいからちょっと通ってくれないかな?」
人体実験でもする気なのか?
まあ、治してくれりゃ文句は言わない。
別にいいやってな感じで承諾したのだが、勤務シフトは変わるわ超多忙になるわで結局あれ以来行ってない・・・。
ゴメンナサイ・・・。
こっちは勝手に順調に治っていますわよ。
ダッシュ出来るまでもう少し。
無理せずに治そう。
まだまだ現役プレーヤーでいる時間は長いんだからな。
膝の怪我道中記 その2
よくよく思い返してみると、古傷の右膝が壊れるのは決まって7月の気がする。
誕生月はオレにとって鬼門か???
さて、まずは水抜きを命ぜられた右膝の治療だったが、知っている整形外科がないため、職場の近くに飛び入りしてみた。
そこの先生はレントゲンとオレの右膝を見るなり頭を抱えた。
「何よ~これ!!」
第一声で怒られた・・・。
「フットサルなんてやってる場合じゃないよ!骨が削れて変形してるじゃないか!年寄りの膝だよ、これじゃ!」
と半ギレされる。
さらに続く。
「さ~て、どうしようかな・・・。」
なんとなくサジを投げたような態度。
いや、わかってるよ。
自業自得だし、無理をしていることも重々承知している。
それでも動けるうちはプレイヤーでいたいんだよ。
だから痛い治療にも耐えて見せるさ!
これはオレの意思なんだから!
そんな思いを他所に、おもむろに治療開始。
膝の横部分に何かマーキングしたかと思いきや、何の前触れもなく注射針がブスリ!
いわゆる水抜き開始だ。
整骨院の人からは「20ccくらいは抜けると思うよ。シリンダー1本くらいかな。」と言われていたのだが、何の迷いもなく2本抜かれた。
そこで先生は首をかしげ、「もう1本だな・・・」とつぶやく。
結局3本抜かれ、看護婦さんからは「一度にこんなに抜かれたのは初めて見ましたよ。」と言われる。
そして有無を言わさずギプス。
ああ、なんだかエライことになっちまったなあ・・・。
つづく。
誕生月はオレにとって鬼門か???
さて、まずは水抜きを命ぜられた右膝の治療だったが、知っている整形外科がないため、職場の近くに飛び入りしてみた。
そこの先生はレントゲンとオレの右膝を見るなり頭を抱えた。
「何よ~これ!!」
第一声で怒られた・・・。
「フットサルなんてやってる場合じゃないよ!骨が削れて変形してるじゃないか!年寄りの膝だよ、これじゃ!」
と半ギレされる。
さらに続く。
「さ~て、どうしようかな・・・。」
なんとなくサジを投げたような態度。
いや、わかってるよ。
自業自得だし、無理をしていることも重々承知している。
それでも動けるうちはプレイヤーでいたいんだよ。
だから痛い治療にも耐えて見せるさ!
これはオレの意思なんだから!
そんな思いを他所に、おもむろに治療開始。
膝の横部分に何かマーキングしたかと思いきや、何の前触れもなく注射針がブスリ!
いわゆる水抜き開始だ。
整骨院の人からは「20ccくらいは抜けると思うよ。シリンダー1本くらいかな。」と言われていたのだが、何の迷いもなく2本抜かれた。
そこで先生は首をかしげ、「もう1本だな・・・」とつぶやく。
結局3本抜かれ、看護婦さんからは「一度にこんなに抜かれたのは初めて見ましたよ。」と言われる。
そして有無を言わさずギプス。
ああ、なんだかエライことになっちまったなあ・・・。
つづく。